第6話 天界巡り
「いやあ、翼さん、凄かったですね」
アンジェリカは興奮した様子でそう話す。
現在、私とアンジェリカは公園の長椅子に座っていた。
先ほどの一撃のせいか、公園内にいた霊魂はいつの間にか姿を消している。そして、心なしか、公園にかかっていたもやも少し薄くなっている気がした。
「私も最初から翼さんはただものじゃないとは思ってたんですよ。ただ、想像以上でしたね」
「そうなの?」
たしかに、杖から出る光線は霊魂を一掃した。しかし、あの霊魂たちは弱めであるともアンジェリカは言っていたと思う。
とするならば、別に私が優れているということにはならないのではないだろうか。
「あれほどの出力の攻撃を行えるものは天使の中にだってほとんどいませんよ。現に、あのまわりにいた霊魂も余波で倒していましたし。私たちは天使の持つ力を天使力と呼びますが、翼さんの天使力は、確実に上位五パーセントに入りますよ」
そう言われると、照れてしまう。しかし、普通の人間である私がなぜそんな力を有しているのだろう。
「天使力の高さは、なにで決まるんですか?」
「そういえばその話はしてませんでしたね。天使は心の純粋な人間しかなれないという話は、以前したかと思います。天使力はその純粋さに比例して高まる力です」
つまり、私の力の根源は自身の純粋さにあるということか。
あまりそんな自覚はないため、いまいち納得しかねる。
「私から見ても、翼さんは純粋で素敵だと思いますよ」
首を傾げていると、アンジェリカはそう声をかけてくれた。
「ありがとう」
アンジェリカからもそう見えているということなら、自分が他人と比べて純粋であるという事実を受け入れることができた。
それに、そんな特徴を褒められて悪い気はしない。
「そういうところ、ですかね」
アンジェリカは苦笑を浮かべながら、なにやら呟く。私はよく聞こえず、小さく首を傾げた。
幼い頃に見たアニメ。
そこに描かれた天使の棲家はキラキラとしていた。
まだ幼かった私は、そんな世界で生活してみたいと真剣に考えたものである。
しかし、現実の天界はといえば、もやがかかっていて、キラキラというよりジメジメという表現の方が合うであろう場所だった。
「さあ、討伐訓練も終わったことですし、軽く天界を案内しますね。周りながら、具体的な天使の仕事の話もしていこうと思います」
アンジェリカは椅子から立ち上がると、その翼で飛び上がった。
私も見よう見まねで背中に意識を向ける。すると、体がふっと浮かび上がった。
「うわあ」
体が空を浮くという初めての感覚に、驚く。飛行機に乗っているときに感じる体が浮く感覚と近いかもしれない。
地に足ついていないというのは、少し不安ではある。これが地上で暮らす人間の性なのかもしれない。
「私も初めて飛ぶときは変な感触でした。でも、いずれ慣れますよ」
天使でさえも、最初は人間と同じなようだ。なんとなくそれを聞いてほっとした。
アンジェリカはぐんぐんと上空へ飛んでいく。私もそれについていく。
しばらくしたところで、アンジェリカは止まった。下を見ると、建物がとても小さく見える。まるでミニチュアの世界にいるみたいだ。鳥はいつも、こんな風景を見ているのだろうか。
横を見れば、空へとぐんぐんと向かっていく霊魂たちの姿もあった。上へ上へと一心不乱に向かっている。
不意に下からドーンと大きな音が響いた。
何事かと見てみれば、音を立てながら光が何度か点滅する場所がある。
「あれは?」
「おそらく、天使が霊魂と戦っているのでしょう。翼さんと同じように、天使として仕事をしている人間もいますしね」
そうか。私以外にも天使として働いている人がいる。
それはすでに、アンジェリカから聞いてはいた。だが、改めてその存在を知ると、非常に心強く感じた。私の先輩方は、一体どんな人なのだろうか。
「いずれ、そういった人たちと一緒に働けるようになるでしょう。それよりも、私たちが用があるのは上です」
アンジェリカは空を指差した。人間界よりも薄暗く、もやがかかっている。その先になにかがあるようには見えなかった。
人間界であれば、空を超えていくと宇宙がある。それは、現代の科学で明らかになっていることだ。人々の中には、宇宙という未知を探求しようと情熱を燃やすものもいる。ロマンを追い求めているのだ。
「翼さんの視界に映っているのは、ただの淀んだ空ですよね」
私は頷いた。その通りだ。
「では、もう少し進んでみましょうか」
アンジェリカは上昇した。先ほどよりも速いスピードで。私も置いて行かれないように、懸命についていく。
不意に、目の前を行くアンジェリカの姿が消えた。
私は混乱した。しながら、空へ向かっていった。
次の瞬間、目の前が明るくなった。そして、横にはアンジェリカがいた。
眼前には、建物が広がり、多くの空飛ぶ天使の姿があった。
「天界の上層へようこそ」
アンジェリカはにっと笑った。私は困惑した。なにが、どうなっているのか。
「いやあ、戸惑わせてしまったみたいですね」
その通りだ。この天使は、なにかと説明が少なくて困る。
「ここは一体、なんなんですか」
「ここは、天界の上層です。天国や天使の住居など多くの施設が存在します。先ほどまでいた霊魂たちが留まって居場所を私たちは下層と呼んでいます。あちらにいろいろと建物があるでしょう。あちらが天使の居住区です」
アンジェリカの指差す先には、浮いている大きな島が存在していた。その島には、半円状の屋根を持った建物が立ち並んでいた。恐らく、あれが天使にとっての家なのだろう。日本の三角形の屋根を持った家屋などとは違うが、人が出入りしていることからもそうであろうことが推察できる。
あたりを見渡せば、その周りにもいくつも空を浮かぶ島があった。不思議な空間だ。私たち人間とは異質の住処。どういった理屈で島が浮いているのかも、てんで検討がつかない。
だが、一つだけ、島状ではない建物があった。
それは西洋風の尖塔が複数ついたお城のような建物であった。その建物はうねった木々の集合体の上にそびえ立っていた。木々は上層の最下部のさらに下まで伸びているようであり、その全容は見えない。
その城の正面には、階段と白く大きな門があった。霊魂たちは、そこに順番に並び、少しずつ進んでいっていた。
「あの建物は?」
「あれは、中枢機関の天上宮ですね。高位の天使たちが勤める場所になります。とはいえ、私のような下っ端はなかなか中に入ることはないのですが」
アンジェリカは天使の中での序列は低いようである。
たしかに、すごい高貴な天使という感じはしなかった。しかし、天使にも人間と同じような階級が取り入れられているとは驚きである。
「それから、下を支える木々は天界樹といいます。永遠に生きる樹木であり、空間を超越する力があります。天国はあの下に広がっているんですよ」
その説明で納得がいった。並んでいる霊魂たちは、あのまま天国へと向かっていくということなのだろう。
「さて、私の家に案内してもいいのですが、時間も限られていることですし、まずは私たちが捕獲した霊魂たちを届けに行きましょうか」
アンジェリカは天上宮の方へと飛んでいく。私もそれについていく。
周りには、アンジェリカと同じような輪っかと羽を持つ、白いワンピース姿の天使が数多く飛んでいる。一部、男の天使もいるが、彼らの中には、ワンピースのものとスラックスのものがいた。
どうやら白いワンピースが天使のオーソドックスな服であり、男の天使であればスラックスも選択できるということなのだろう。
みな、同じように天上宮へ向かっていた。
「さっき、アンジェリカさんは天上宮へはなかなか入ることができないって言ってましたよね」
だというのに、なぜいま天上宮へ向かっているのだろう。
「その通りです。天上宮には入れません。ただ、そこに隣接する施設に用事があるんですよ」
そう言って、アンジェリカは門の左側を指差した。そこには天使の列ができており、なにやら受け渡しを行っていた。
目を凝らすと、その手元にあるのが瓶であることがわかった。
「捕らえた霊魂を受け渡す施設ってことですか」
「ええ、その通りです。そして、その討伐実績に応じて我々はジェル、天使の通貨と換金されるんです」
つまり、それがお給金になるということか。天使も人間と同じように貨幣経済であることは、驚きである。
「そうすると、アンジェリカさんたち霊魂を狩る天使はそれによって生計を立てているってことなんですね」
「そうですね。基本給と討伐内容に応じた歩合制、インセンティブがもらえるって仕組みですね。とはいえ、人間ほど貨幣経済が深まっているわけでもなくて、最低限の衣食住はみなに提供されてるんですがね」
現代の日本とは、大きく異なるシステムの上に成り立っているようである。
普段、私たちの暮らしのあり方が、まるで当たり前のように感じる。けれども、それは一つの型でしたかない。様々な社会構造が存在する。それは、天使でも例外ではないようだ。
「さて、着きましたね」
そんなことを考えているうちに、いつの間にか隣接する施設へとたどり着いた。天使は現在五人ほど並んでおり、その後ろで待つ。
列を捌くのもまた、天使。瓶を預かると、硬貨を手渡す。あれが、ボーナスとなっているということだろう。
「そうだ。ちょうどこの待ち時間を使って、天労法において天使代行をする人間の働き方についてお伝えしましょう」
「たしかに、それを聞いてなかった」
天労法の発端はといえば、天使が黒化していったことによるものだ。
とするならば、天使代行の人間の労働時間もまた、かなり過酷なものになるのだろうか。別に暑くもないのに、額が汗ばみ始める。
「そんなに怯えなくて大丈夫です。基本労働日は土日。早番と中番というどちらかを選択するかたちです。人間の労働時間でいうと、九時から十三時と十四時から十八時ですね。どちらかの曜日の早番か中番に従事してもらえれば大丈夫です」
説明を聞く限りでは、だいぶ負担が少なめなように思えた。
もともと天使が週七日勤務をしていたと言っていたから、もっと週二日、それぞれ最低八時間は働くように、なんて激しい要望が出てくると思ったのだが。
「意外と、人道的なんですね」
「まあ、お願いしている立場ですから、そんなに過酷な労働環境にはできないですしね。それに、我々の休日である土日のみを対象にして、多数の方に天使代行をお願いしてうまく負担が分散できるようにしていますから」
とすると、私以外にも天使代行をしている人間はけっこうな数いるということだろう。
「ちなみに、今日は土曜日だと思うけど……」
「振替休日があるので問題ありませんよ。しばらくは、私が翼さんについて補佐をしていきます。振替休日が溜まりまくりです」
さすがに、そういった制度は整っているようだ。だが、その言い方だと振替休日はあれども、消化できないのではないだろうか。気になる部分ではあったが、怖くて深入りしないでおいた。
アンジェリカと話していると、あっという間に、目の前の天使は一人になる。
「これですと、百ジェルですね」
目の前に立つ男の天使は、それを受け取ると、なにやら財布のようなものを取りだして、その中にしまう。
それにしても、百ジェルとは一体どれくらいなのだろうか。
私の手元にある討伐実績と比較するといくらくらいになるのか。ワクワクしながら受付の女の天使に瓶を手渡した。
「これですと、二ジェルですね」
二。
一の次の数字。
それが、私があれだけ苦労して得た対価。
「た、た、たったのそれだけ?」
「まあ、非常に弱い霊魂でしたからね。そんなものでしょう。これから頑張って成果を上げていきましょう」
アンジェリカはぐっと拳を握って鼓舞してくる。
しかし、前の天使との落差は私にはあまりに堪える。これはあんまりではないか。ここの通貨の価値はまだ不明だが、二ジェルでなにかができるとは思えない。
「ほら、次の人も待ってますから、どきますよ」
アンジェリカに引っ張られて、私は横に移動した。
気持ちはなおも晴れないままだ。
「おお、ルシェルさんじゃないですか」
そんな私の横で、アンジェリカが楽しそうな声を上げた。
その視線の先には、眼鏡をかけた長身で細身の男の天使が立っていた。
「アンジェリカか。相変わらず、元気だな。それで、そっちが」
「私がトレーナーをしている子です」
アンジェリカは胸を張って自信満々に答える。トレーナーとして、細かく丁寧に指導してもらっている覚えはないが、立場はそうなっているのか。
ルシェルと名乗る天使は、私をじっと見た。
「初めまして。私はルシェルだ。ここ、天上宮の五席で、様々な管理の仕事をしている」
「天使には席次がありましてね、首座をトップとして、ここ天上宮には十席までが存在しています。席次が上がるごと就ける人数が減っていくかたちです。ルシェルさんは、最年少で五席に着いた天才なのですよ」
アンジェリカが解説をしてくれる。
天使の席次がどういった要素で決まるかは不明だが、きっと優秀な天使なのだろう。
「そんな大層なものではないよ。運が良かったんだ。それで、君の名前はなんと」
「えーっと、つ、翼といいます」
年上の男性に不意に話しかけられたことで、思わずどもってしまった。
「そうか。天使にぴったりな名前だな。アンジェリカは、まあ、少し適当なところもあるが、大丈夫だ。きっと……。なにかあったら、気軽に相談してくれ」
なんだか不安になるような口ぶりだった。擁護しようとして、むしろ失敗してしまっている。私も、曖昧にはあと頷く。
「私にかかれば大丈夫ですよ。大船に乗ったつもりで、どーんとお任せください」
その船は乗っても大丈夫なのか。泥船でないことを祈るばかりである。
「それにしても、天労法の施行で本当にたくさんの人間が働くようになったね。しかも、優秀な子も多いと聞く。ああ、ちょうどあそこにいる子もそうだね」
ルシェルが瞳を向ける先。そこには。肩口くらいまでの綺麗な黒髪で、端整な顔立ちの女性が立っていた。
思わず、呆けてしまった。こんな、お人形さんみたいに綺麗な人がいるのか。私は不覚にも胸がドキドキしてしまった。
その後、天界の他の施設のいくつかをアンジェリカに案内されたが、黒髪の女性の姿が私の頭からずっと離れず上の空でいたのであった。
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