第5話 初めての討伐

「いやあー。来ないでー」


 私は逃げる。必死に逃げる。後ろから追いかけてくる、白いオタマジャクシのような霊魂たちから。

 しかし、彼らはその見た目によらず思いのほか俊敏であり、じわりじわりと私との差を詰めてくる。


「翼さん、逃げてるだけじゃ勝てませんよ。戦わないと」


 横からは、アンジェリカの暢気で腹立たしい声が聞こえる。


 誰のせいでこうなっているというのだ。できることなら叫び返してやりたい。しかし、必死で逃げる今の私にそんな余裕はない。


 一体全体、なぜこんなことになっているのだろう。まだ、天界に来てから三十分と経っていないのに。

 私はここに来てからいままでを思い返してみる。


 土管を出て、まず最初にアンジェリカから天界についての軽い説明があった。


「まずですね、この世界は人間界と映し鏡なのですよ。だから、同じ景色が広がっていると思います」


 たしかにその通りである。

 全く同じ公園の姿があった。しかし大きな違いがいくつかある。

 人が誰一人いないこと。

 白いオタマジャクシみまいな存在が浮遊していること。

 そして、まだ日中だというのに薄暗いこと。


「あの白く浮遊している存在。あれは一体なんなんだ。そう思ったんじゃないですか」


 私は力強く頷いた。それはもう、何度も頷いた。あれは一体なんなのだ。


「あれが霊魂です。死んだ人間から生じたものです」


 霊魂。アンジェリカから説明があった存在だ。天使はあれを天国へ送り届ける責務がある。

 私は改めて霊魂を見た。白く丸い体を持ち、尻尾を生やしている。大きさはそれぞれ異なるが、大きいものだと人間の子どもくらい、小さいものでと小型犬くらいのサイズがある。そして、フォルムはオタマジャクシそっくりだ。


 公園のまわりだけでも、数多く存在していた。ざっと数えただけでも二十体以上はいる。中には、空へと向かっているものもいた。


「霊魂は大きく二種類に分けられます」


 アンジェリカは二本指を立てた。


「未練を残さず死んだもの。そして、この世に未練を残したまま死んだもの」


 その感覚はなんとなく分かった。

 私の母は看護師をしている。重症度の高い患者と接することが多く、死を看取ることも多い。そんな中で、死に近づいた人間の多くは後悔を口にするようなのだ。


 現世に未練を残したまま死を迎える。

 それは残念なことに、ままあることなのである。


「私はそんな人間たちを見てきて、悔いのないように生きようって決めたのよ」


 母はそう力強く言い切った。

 そんな母の姿を見た当時小学校低学年だった私は、ママかっこいいと思わず手を叩いてしまった。そう、うちの母は強くてかっこいい女なのだ。

 自称父似の私は、残念ながらそんな母にはあまり似なかった。


「未練を残したものは、どうなるんですか?」

「天界の上空にある天国に行くことを拒否し、ここに居座ろうとします」


 現世への未練が、天国へ進むのを踏みとどまらせるということか。たしかに、霊魂の中には、空へ向かっていくものもいた。

 空を見上げれば、いまも数多くの空へ向かう霊魂を瞳に映すことができる。彼らは未練なく、人生を全うできたということなのだろう。


「そんな居座る霊魂を天国へ連れて行くのが私たちの役目です。例えば、そうですね。あそこの霊魂」


 アンジェリカは公園のブランコに引っ付く霊魂を指差した。なぜかは不明だが、無性にブランコに執着する様子が見てとれる。


 アンジェリカはそんな霊魂の横へスーッと飛んでいくと、あろうことかブランコを押し始めた。


 私はそんな奇行にぎょっとした。

 未練を持った霊魂に一体何をしているのだろうか。


 しかし、そんな私の驚きとは裏腹に、霊魂はブランコに引っ付いたまましばらく揺られていた。

 目や鼻がないため、感情は読み取れないが、ブランコに捕まりながら体を揺らす姿はなぜだか微笑ましかった。


 しばらくすると、その霊魂はブランコから離れ、一度アンジェリカになにかを伝えるかのように軽く触れると、空へ飛んでいった。


「いまのは、おそらく子どもの霊魂ですね。遊んで欲しかったんだと思います」


 淡々と話すアンジェリカ。初めてこの少女のことを天使らしいと感じた。

 天使の仕事というのは、つまり未練の残った魂を導いてあげること。


「まあ、悲しいことにあんなピュアな霊魂はほぼいません。ですからその大半は討伐する必要があります」


 一瞬にして百八十度変わってしまった天使像に私は呆然とする。


「討伐の事例もお見せしましょう」


 アンジェリカは、長椅子の前へと歩みを進める。その椅子の横には、アンジェリカの二倍はあろう霊魂がこちらを凝視していた。その色合いは薄い灰色であった。


 その距離が一メートルほどに達すると同時に、霊魂はゆっくりと動き出した。そして、アンジェリカにすれすれの距離まで近づいた。

 その様子は、まるで公園にいるヤンキーがメンチを切っているような感じであり、嫌な感じがした。


「いでよ、刀」


 アンジェリカは小さく、そう唱えた。

 次の瞬間、なにもない空間から日本刀が現れた。霊魂は異変を察知して、すぐさま逃走をはかる。

 アンジェリカはその柄を握ると、その巨体の背中に一太刀浴びせた。


 途端、その大きな体から煙のような白と黒の気体が噴出し、霊魂は縮んでいく。そして、ミニトマトくらいのサイズになったところでぺちっと地面に落ちた。


「はい、確保」


 アンジェリカはつまみ上げると、ポーチから瓶を取り出し、その中に入れた。


 あっという間の討伐。

 聞きたいことはたくさんあった。刀はどこから出てきたのか。なぜ縮んだのか。霊魂から噴き出した煙はなんだったのか。


 そんな私の疑問を察してかアンジェリカはこちらに向き直り、解説を始めた。


「まず、ここに居座ろうとする未練ある霊魂ですが、彼らは次第に大きく成長していきます。そうして、力を増していくのです」


 さっきのあれ、はまだまだ弱い部類ですよ、とアンジェリカは付け足した。

 あれが、弱い。 

 そんな言葉に私は恐れおののく。たしかにアンジェリカは一瞬で倒した。だが、私ではきっと勝負にならない。


「そして、そんな霊魂に攻撃を加えることで、彼らの蓄えた力が放出されます。その結果、小さな霊魂へと戻るという流れですね」


 つまるところ、戦闘というフェーズが間に挟まってくるということみたいだ。

 私は平和が一番な主義の持ち主であるため、望ましくないお仕事である。


「ちなみに、武器はどう出すんですか?」

「天使はそれぞれ固有の武器や異能を持ち合わせているんです。だいたい二種類くらいであることが多いですね。武器も異能も、出でよ、みたいな感じで念じると具現化します」


 アンジェリカは先ほど刀を出した。すると少なくとももう一種類の武器や異能を持ち合わせているということだろう。

 私には一体どんな力があるのだろうか。


「さて、霊魂の討伐については実戦あるのみです。まずはそこらの弱々霊魂を打倒してみましょうか」


 アンジェリカはにこにこした笑みを浮かべながら、私に近づくと、腰をガシッと掴んだ。


「えーっと、アンジェリカさん?」

「だあらっしゃい」


 よく分からない掛け声が聞こえたかと思うと、私の体は宙を舞った。それで、アンジェリカに投げ飛ばされたことに気づく。

 アニメのコマ割りのように、パッパッパっとスローモーションで瞳の先の映像が切り替わっていく。

 次のコマに進むごとに、私と霊魂の群衆との距離は近づき、そしてぶつかった。


「な、なにするんですか」

「グッドラック」


 アンジェリカはそんな私の叫び声に、親指を立ててウインクを返すのみだった。


 前に霊魂。後ろに霊魂。右にも、そして左にもいる。

 三十六計逃げるに如かず。私は右前の隙間から逃げ出した。後ろからは怒り狂った霊魂たちが猛然と追ってくる。


「いやー、来ないで」


 そして現在に至るというわけだ。

 アンジェリカの策略により、私は窮地に陥っていた。

 

「翼さん、逃げてるだけじゃ勝てませんよ。戦わないと」


 初心者にどう戦えというのだ。

 私は走る。公園を一心不乱に走る。


 不意に、右足が硬直した。私は前のめりに転げる。

 体を起こして後ろを振り返ると、霊魂の尻尾がこちらへ伸びていた。尻尾による、足かけ攻撃をしてきたようだ。


 お尻を地面につけた私に、霊魂たちはゆっくりと近づいてくる。それはまるで、弱った獲物を喰らわんとする、捕食者のようであった。


「翼さん、武器か異能を使ってください。念じるんです」


 アンジェリカの声にはっと我に返った。

 そうだ。天使には特殊な力があるんだ。


「なにか、来て」


 私は瞳を閉じ、叫びながら力強く念じた。

 次の瞬間、両の手に細く硬い感触を得る。武器だ。

 目を開けて、握られた武器を確認した。

 

 細く捻れのある鋭い木。そこに一つ、小さなピンクのリボンがついている。形状からして杖であろうか。


「これで、どう戦えと……」


 呆然とする私を、霊魂たちは待ってはくれない。私の武器を見て安心したのか、グワっと襲いかかってくる。


「お願い、何か出て」


 私は一縷の望みにかけ、杖を霊魂たちに向けた。


 次の瞬間、パッと激しい光とともに杖から光が噴射された。その光は、瞬く間に霊魂を消滅させた。


「えっ、えっ、えっ」


 呆然とする私の前には、小さくなり、横たわる霊魂たちの姿があった。

 こうして私は、初めての討伐を完遂させたのであった。

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