第4話 翼、天界へ行く
家の近くの公園。
私は時計を眺めていた。
針は十四時を指している。しかし、依然として待ち人は訪れない。
私はポーチから英単語帳を出した。どうせ何もしないで待つのなら、休み明けの英語テストの勉強でもしておこう。
しばらく単語を眺めていると、すたっと地面に着地する音が聞こえた。
「いやあ、お待たせしたました、翼さん。実は、困っているお婆さんがいて助けてまして。遅れてしまって申し訳ないです」
時計の針は十四時五分を指している。
ここは叱るところなのかもしれないが、人助けをしていたのならしょうがない。
「それならしょうがないですね」
英単語帳をしまおうとして、アンジェリカの視線に気づいた。
「なんで勉強してるんですか?」
「なんでって、あなたが来なかったから」
アンジェリカは首を傾げる。そんなに待っている時間に英単語の勉強をすることはおかしいのだろうか。
うちの中学の子たちの半分ほどは、休み時間になにかしらの勉強をしている。まあ、天使はそんなに勉強しないのかもしれない。
「はあ、まあいいです。あと私のことはアンジェリカでいいですよ」
「わかりました。アンジェリカさん」
うんうんとアンジェリカは満足げに頷いた。
それから、肩掛け鞄から本を一冊取り出して開いた。
「さて、早速ですが本題に入りましょう。翼さんにはこれから天使の仕事をしていただきます。ですが、いきなり一人でというわけではありません。しばらくは私が付き添って研修を行います。それが終わったら独り立ちという流れになります。さて、それで今日は、えーっと、そう。まずは天界に行きます」
最後の部分だけ、本をがっつりと見ていた。まるで、発表を覚えておらず、ただただ原稿を読み上げる人みたいだ。慣れていない感じがひしひしと伝わる。
「もしかして、初めてとか?」
「えっ。えーっと、ど、どうでしょうか」
視線はゆらゆらと虚空を彷徨う。急に挙動が不審になるアンジェリカ。
「じゃあ、以前担当した人のことを教えてください」
アンジェリカは図星をつかれたような苦々しげな顔をした。それから、観念したように頭を下げた。
「すいませんでした。経験者ぶっていましたが、実は翼さんが初スカウトだったんです。ただ、そつなく仕事がこなせる天使感を醸し出したかったんです。私には難しかったようですが……」
てへへ、と頭を掻いた。
そもそも最初に会ったときからできる天使というより、少し変わっている天使という印象だった。急に仕事ができる姿を見せようとしても印象は変わらないのではないか。
ただ、それを言ってむやみに傷つける必要もあるまい。
「それで、天界にどうやって行くんですか」
「そうですね。その前に、ちょいとあそこへ行きましょうか」
アンジェリカは、土管を指差した。
遊びたいのだろうか。子どもらしいところもあるのだなと思った。
たしかに、土管は珍しい遊具であり、他ではなかなかお目にかかれない。ただ、中学生にもなって、土管で一緒に遊ぶのは少し気恥ずかしい。
「一人で行ってください。私はここで待ってますから」
単語帳でも見ながら待っていようと思った。
「えっ、一緒に来てくださいよ。私一人じゃ意味がないんです」
しかし、アンジェリカは食い下がった。そんなに一緒に遊んで欲しいのだろうか。
私はあたりを見渡した。小さな公園だが、家族連れの姿も見える。小さい子ならいざしらず、大きい子が遊具遊びというのは、やはり気が引けてしまう。
「申し訳ないですが、土管遊びは一人でやって来てください」
「一緒にいきましょうよ、って、えっ。もしかして、土管遊びを誘ってるって思われてました?」
アンジェリカは驚きを顔に貼り付ける。
「違うんですか」
「違いますよ。こんなところで羽を出したらまずいじゃないですか。だから、土管の中にいくんです」
なるほど。まわりからの視線をカットするためということか。それならそうと、最初から言ってほしいものだ。
私とアンジェリカは土管の中へ入った。意外と中はぬくもりを感じた。冬にもし家の鍵を忘れて入れなくなったらここにいてもいいかもしれない。
「さあ、羽を出してください」
私は、背中に意識を集中させた。すると、にゅっと羽が生える。そして、なぜか服装も白いワンピースへと切り替わる。
こういったところは、まるでアニメみたいである。
つい三日前、私は目の前の天使に羽を生やされた。このまま一生羽を生やして生活するのかと悲しい気持ちになったものだが、そのあとすぐにアンジェリカからこの羽は自分の意思で生やしたりなくしたりすることが可能であることを聞いた。
試しに背中に意識を集中し念じてみると、すぐに羽は消えてしまった。
私は背中がつるつるであることを確認し、ほっと胸をなで下ろしたのであった。
その日は、次に会う日時と場所を決め、解散となった。そして今に至っている。
「翼さんも、羽が生えれば立派な天使ですね」
アンジェリカは楽しそうにそういうと、自身も羽を生やした。私の羽よりも大きく、土管の中でも分かるくらい綺麗な白だ。人口は天然に勝てないのかもしれない。
「さて、ちょっと腕を拝借。これを付けてください」
アンジェリカからアンクレットが手渡される。私は頷いてそれをつけた。
「これは言わば、天界への入場許可証のようなものです。入場という表現が合ってるかは定かではありませんが。それはさておき、これがあれば、天界へと自由に行き来ができるようになるんですよ。さあ、では地面に手をつけてください」
私は言われるがままに、土管に手を置いた。すると、光と共に星形の紋章が浮かび上がった。
「これが転移陣です。あとは、天界へ移動したいという気持ちを、言葉にしてください。それで万事上手くいきます」
説明の最後の方がだいぶ適当なのではと感じた。だが、きっとそんなかんじでも大丈夫なのだろう。
私はイメージする。別の世界を。いまいる世界とは違う世界、天界を。
そして叫ぶ。
「飛べ」
次の瞬間、体が浮遊するような感覚を覚えた。
視界はぐにゃりと歪む。少し、苦しさを覚える。しかし、すぐに視界が切り替わった。
暗がり。そして、先に見える円形の明かり。これは、土管の中か。
「いよっと」
そんな明かりに被さるように、不意に人影が現れた。
「うわあ」
驚きのあまり、立ち上がる。しかし、私の足がまっすぐに伸びる前に、頭に強い衝撃を感じた。そして、その後に鈍い痛みが襲う。
「い、痛い」
それで、土管に頭をぶつけたことに気づいた。
「大丈夫ですか、翼さん」
「誰のせいだ……」
恨みがましい目で見るが、当の本人はといえば、自身を指差しながら首を傾げている。
私ははあ、とため息をついて、頭をなでた。たんこぶになっていないだろうかと心配したが、どうやら大丈夫みたいだ。思ったより痛みもない。
「天使になると、身体機能が強化されるんですよ」
そんな思考を見透かしたかのように、アンジェリカは言って笑った。
最初に会ったとき、アンジェリカは高い身体能力を誇っていた。すると、私もあんなかんじで早く走れるのだろうか。そう考えると少しわくわくしてくる。
「取りあえず、土管をでましょうか」
私はアンジェリカのあとについて、土管を出た。
そして、そこに広がる光景に驚く。
そこは公園だった。遊具の位置から草木にいたるまで、現実の世界と何一つ変わらない公園。ただ、人は誰もおらず、代わりに白く尻尾の様なものが生えた、オタマジャクシみたいな存在が数匹浮遊している。
一体全体、ここはなんだというのだ。
アンジェリカは私を見て、にっと笑った。
「ようこそ、天界へ」
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