第19話:主役の帰還
札幌ウォーリアーズは8月に入った時点で4位争いの真っ只中にいた。3位まで残り2ゲーム差。しかし、主力の怪我や不調でチームは思うように波に乗れず、現場の士気もどこか低迷していた。
そんな中、鷹司監督は練習後の監督室で書類に目を通しながら、しばらく迷うように空を見つめた。そして、デスクに置かれた内線電話の受話器を取り、短く指示を出した。
「天羽を呼んでくれ。」
◇
スタメン発表が始まると、観客席がざわめきに包まれた。「7番・ライト、天羽翔太」の名前がコールされたからだ。2軍での調整を経て一軍に復帰した天羽にとって、これは復帰後初めてのスタメン出場だった。
試合前、監督室で鷹司新星監督が天羽を呼び寄せた。彼の目には、選手としての天羽の変化を探る鋭さと、若手への期待が込められていた。
「天羽、二軍でだいぶ変わったって聞いてるぞ。謙虚になったのか?」
その問いに、天羽は迷いなく答えた。自信に満ちた笑みを浮かべながら、はっきりとした声で言う。
「いいえ、もっと目立ちたい、そう思うようになりました。俺は球界で一番目立つ男になります。」
その言葉に、監督は眉をあげ、ほんの少し微笑んだ。しかし、その目には厳しさが宿っていた。
「お前が二軍に行く前は、ずいぶん浮足立ってたように見えたがな。お前、スターってのは目立つだけが仕事じゃないってわかってるのか?」
その問いに、天羽は一瞬だけ表情を引き締めた。しかし、すぐに自分の覚悟を口にした。
「はい、わかってます。目立つだけじゃ、プロでは通用しない。でも俺は、自分の全てを出し切ります。それが叩かれようが、憎まれようが関係ありません。自分の力を全部使って、結果を出します。そして、このチームを勝たせます。」
鷹司は天羽の目をじっと見つめた。以前よりも明らかに強い意思を感じ取ったのだろう。彼は小さく笑い、言葉に力を込めた。
「覚悟が決まったみたいだな。それなら、有言実行してみろ。スターになるってのは、簡単なことじゃないぞ。」
天羽は力強く頷いた。
「必ず、やってみせます。」
監督の視線を背に、天羽は部屋を出た。その姿は、以前よりも自信と決意に満ちていた。
(今日は俺が、全員の目を釘付けにする。)
札幌ドームの観客席は、これから繰り広げられるドラマの幕開けを待っているかのように、静かに熱を帯びていった。
◇
その日の試合。札幌ウォーリアーズはリーグ3位の大阪サンダースと対戦していた。試合は4回裏。札幌ウォーリアーズは1対2で1点を追う展開。ノーアウトランナー1塁の場面で、天羽翔太が打席に立った。
大阪サンダースでは、キャッチャーの山口拓也がマウンドに駆け寄り、ピッチャーに声をかけていた。
「こいつ、久々の一軍だけど、調子に乗らせたら厄介だぞ。」
山口は天羽のデータを頭の中で整理していた。
(2軍で打率.345、OPSは1.000ぴったり。守備もまあまあだが、やはり打撃が持ち味か。)
「まずは外角低めのスライダーで様子を見る。慎重にな。」
ピッチャーが頷き、山口は構え直した。
◇
埼玉グリズリーズのキャッチャー、古賀大輔はマスク越しに天羽を観察していた。
(噂のビッグマウスルーキーが……二軍上がりにしては妙に堂々としてるな。)
彼はバッターボックスに足を踏み入れる前に、バットを下げ外野席を指差した。
観客はざわめき、実況席も驚きを隠せない。
「おおっと! 天羽選手、これはまさかのホームラン予告か? いやぁ、これは相手を挑発する行為ですよねぇ!」
解説者は困惑気味に付け加えた。
「いやあ、これが成功すれば面白いですが……失敗したらただの目立ちたがり屋で終わりますよ。」
埼玉グリズリーズのキャッチャー、古賀大輔は天羽の動きに目を細めた。
(ふざけた奴だ……。ここまで舐められると逆に面白い。よし、徹底的に追い込んでやる。)
古賀は外角低めへのスライダーを要求した。狙い通りに変化したボールがストライクゾーンの外に落ちる。しかし――。
天羽はピクリとも動かず見送った。
「ボール!」
古賀は心の中で毒づいた。(冷静すぎるだろ……。)
古賀は次に内角高めの速球を要求した。威圧感を与え、打者のリズムを崩す狙いだ。だが、天羽はまたも見送った。
「ボール! カウント2-0!」
(くそっ、あんなパフォーマンスしておいて全然振らないじゃないか。)
「ストライクを取れ!」古賀はゾーン内に入るアウトローを狙う球を要求する。ピッチャーの田村が投じたボールがストライクゾーンに吸い込まれる。
「ストライク! カウント2-1!」
古賀は天羽に低く挑発的な声をかけた。
「おい、若造。予告したんなら振ってこいよ。それとも怖じ気づいたか?」
しかし、天羽は涼しい顔で一言だけ返した。
「黙って見ててください。」
その自信満々の態度に、古賀の眉間に汗が浮かんだ。
古賀はアウトローギリギリのスライダーを選んだ。ここをゴロを打たせてアウトを二つ取る計算だ。
田村の腕が振り下ろされ、白いボールが矢のようにミットを目指して飛び出した。その軌道は、まさに古賀の狙い通り――アウトローの隅。ストライクゾーンの端をかすめる絶妙なコース。
だが、その瞬間、天羽のスイングが閃光のように走った。
打球がバットの芯に完璧に乗り、心地よい衝撃音とともに宙へと舞い上がる。その音は、木製の単なる響きではなかった。まるでスタジアム全体に響く天羽の宣言そのもののようだった。
ボールは一直線に夜空を切り裂き、センター方向へと飛び続けた。放物線の頂点で一瞬だけ静止したかのように見えたその打球は、その後、観客席の最奥へと突き刺さった。
天羽は一塁へ向かう足を緩めることなく、少しだけ首を傾けて自分の放った打球の行方を確認した。そして、フェンスを越えた瞬間、満足げに歩調を緩め、観客の歓声に応えるようにゆっくりと一塁ベースを回った。
古賀はマスク越しに打球の行方を見送るしかなかった。そのあまりにも完璧な一撃に、心の中で小さく舌打ちをする。
観客席が爆発的な歓声に包まれる中、実況席も声を上げた。
「なんと天羽選手、本当にホームランを達成しました! いやー、これは……信じられません!」
解説者も興奮した口調で続ける。
「いや、これは驚きましたね! 普通、予告なんてプレッシャーになるだけなんですが、この新人、肝が据わってますよ!」
古賀はマスクを外し、額の汗を手でぬぐいながらつぶやいた。
(あいつ、舐めやがって……。あんな余裕たっぷりの新人、初めてだよ。くそっ、やられた。)
田村が帽子を目深にかぶり直しながらマウンドで肩を落とすのを、古賀は横目で見た。
(まあ、しゃあない。あいつが上手だったってことだ。)
古賀は天羽のホームランの余韻が消えない札幌ドームのざわめきを聞きながら、天羽の背中を見つめていた。
◇
札幌ウォーリアーズが埼玉グリズリーズ相手に逆転勝利を収めた後、スタジアム中央のインタビュー台に呼ばれたのは、今日の試合の立役者、天羽翔太だった。
札幌ドームの観客席からは、期待と好奇心が入り混じった微妙な歓声が響く。照明が天羽を照らし、彼はマイクを握りしめる。
インタビュアーが笑顔で切り出した。
「天羽選手、素晴らしい逆転ホームランでした! いまのお気持ちを聞かせてください!」
その問いに、天羽は少しだけ間を置いて、観客席をぐるりと見渡した。すると、いつものように自信に満ちた笑みを浮かべ、軽くマイクを持ち上げた。
「いやー、皆さんお待たせしました。未来のスター、天羽翔太です!」
その一言に、観客席が一瞬静まり返る。そして、遠慮がちな笑いが広がる中で、数人の観客が小さく拍手を送った。
天羽はその反応を意に介さず、さらに続けた。
「今日のホームラン? まあ、正直言って想定内っすね。俺、これからもっとすごいプレー見せるんで、皆さん、ちゃんと名前覚えておいてくださいね! 天羽翔太――札幌ウォーリアーズの次世代の顔ですから!」
観客席から再びざわざわとした反応が起きる。「いやいや、新人が何言ってんだ」「でも、あのホームランはすごかったよな」といった声が飛び交い、困惑と好奇心が入り混じっていた。
インタビュアーも若干戸惑いながら、それでも質問を続ける。
「天羽選手、今日のホームランで試合の流れが変わりましたね。ご自身の役割について、どうお考えですか?」
天羽は胸を張り、堂々と答えた。
「俺の役割ですか? 簡単っすよ。チームを勝たせること――そして、球界で一番目立つこと! 今日はその第一歩を踏み出しただけです。俺がグラウンドにいる限り、皆さんはもっとワクワクする試合を見られますよ!」
その発言に観客席は再びざわつく。まだ新人の彼がここまで自信満々で語る姿に、「あいつ本当にやるのか?」と期待する声と、「ちょっと調子乗りすぎじゃないか?」という冷ややかな声が入り混じる。
インタビュアーは、どうまとめようかと悩みつつも、笑顔を作って言った。
「それでは、最後にファンの皆さんに一言お願いします!」
天羽はマイクを握り直し、観客席に視線を向けると、満面の笑みで宣言した。
「皆さん、札幌ウォーリアーズは俺が引っ張ります! だから、俺の名前を覚えて、これからも絶対に応援してください! 球界で一番目立つ男――それが俺、天羽翔太です!」
その一言に、観客席からは笑いと拍手が交錯しながら巻き起こる。「すげえ自信だな」「まあ、あのホームラン見たら期待しちゃうかも」といった声が聞こえる中、天羽は胸を張りながらインタビュー台を後にした。
ベンチへ戻る途中、チームメイトたちから声をかけられる。
「お前、言いすぎだろ!」 「でもまあ、今日は文句なしのヒーローだな。」
天羽は笑って肩をすくめた。
「俺は有言実行っすから。」
その言葉に、一瞬の沈黙の後、チームメイトたちも笑い始めた。
スタジアムの空気に、少しずつ天羽の存在が浸透していく。その日は、彼が球界で名を上げる第一歩となった。
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