変化は良いことなのか

三鹿ショート

変化は良いことなのか

 夢を見ているのではないかと、私は頬を抓った。

 痛みを感じたことから、眼前の光景が現実であるということを認めなければならないのだろう。

 だが、にわかに信ずることはできなかった。

 何故なら、これまで何の抵抗もすることなく虐げられ続けていた彼女が、自身を苦しめていた人間たちを漏れなく意識を失うまで殴り続けていたからである。

 地面は赤く染まり、転がっているのは歯だけではなく、彼女が噛みちぎった耳や指などもまた存在していた。

 常軌を逸していることは明白であるにも関わらず私が彼女を止めることがなかった理由は、弱者だった彼女によって強者が退治されている光景を目にすることで、私の気分が良くなっていたことが影響しているのだろう。

 やがて最後の一人の意識を奪うと、彼女は呼吸を乱すこともなく私に振り返り、

「では、次はあなたを虐げていた人間たちのところへ行きましょうか」

 気が付けば、私は頷いていた。


***


「私は、かつての私では無くなったのです」

 連日のように私の顔面を殴りつけていた人間の頭部を何度も壁に叩きつけながら、彼女はそのような言葉を吐いた。

 いわく、肉体は彼女のままだが、精神は別の人間のものであるらしい。

 虐げられることに耐えることができなくなったかつての彼女が山奥で首を吊り、その意識が肉体から離れようとしたときに、現在の精神である彼女が、

「肉体が不要と化したのならば、私が貰っても構わないでしょうか」

 その言葉に、かつての彼女は、要求を受け入れるのならばと、応じた。

 それは、自分と同じように虐げられていた私のことを救うということだったのである。

 かつての彼女と私が親しくなった理由は、境遇が似ており、傷を舐め合う相手にはうってつけだということだった。

 その彼女が、自らの意志でこの世に別れを告げようとしていたということや、別の人間の精神が肉体に宿るということが現実に起きているということに驚くと同時に、死後も私のことを気遣ってくれたことに対して、感謝の念を抱いた。

 心中で冥福を祈っていると、眼前の新たな彼女は人差し指を立てると、

「一つだけ、彼女があなたに伝えてほしいと言っていたことがあります」

「それは、一体」

「唯一の味方で存在してくれていたことに感謝していた、ということです」

 そこで私は、久方ぶりに、悔しさや惨めさが原因以外の涙を流した。


***


 新たな彼女が生前どのような人間だったのかを、私は知らない。

 しかし、躊躇することなく暴力を振るうことや、身なりに構わない様子から察するに、私やかつての彼女と親しくすることは無いような人間だったと思われる。

 それでも、かつての彼女の言葉を守り、私を気遣ってくれているということを考えると、義理堅い人間なのだろう。

 彼女のことを良い人間に分類したとしても、問題は無い。

 彼女が行動していなければ、私は平穏な時間を過ごすことが出来なかったからだ。

 ゆえに、私は毎日のように、彼女に対して感謝の言葉を吐いた。

 彼女は、嬉しそうに笑っていた。


***


 私を小馬鹿にしていた人間が、今では鼻血を流しながら、謝罪の言葉を述べている。

 そのような行動に及ぶのならば、最初から私を馬鹿にしなければ良かったのではないか。

 私が頷くと、彼女は相手の人間の指を一本ずつ、手の甲に向かって折り始めた。

 激痛による叫び声が響くが、私にとってその声は、有名な楽団の演奏のように心を満たした。

 やがて、痛みのあまりに気を失った相手の頭部を踏みつけながら、私は彼女に笑みを向ける。

 彼女は赤く染まった拳を掲げながら、歯を見せて笑った。

 私が他者から虐げられることに変化は無いが、その状況から私を救うことによって彼女は自身が抱いている暴力的な欲望を満たすことができ、私もまた、報復によって気分が爽快なものと化していた。

 これほどまでに充実した日々を、私は送ったことがない。

 私のその言葉に、彼女は頷いた。

「私も、同じようなものです。今だから話すことができますが、生前の私は、何事にも我慢することで、その場を乗り切るような日々を送っていたのです。ですが、この世を去ることが避けることができない状況に陥ったとき、己が思うままに行動することができなかったことを悔やんだのです。そのためか、精神だけが、この世に残っていたのでしょう」

 彼女は自身の胸に手を当てながら、

「この肉体の持ち主だった彼女には、どれほど感謝したとしても、足りません。それほどまでに、私にとって現在の生活は、幸福なのです」

 それは、私もまた、同じである。

 かつての彼女と共に生き続けていれば、やがて虐げられる毎日から抜け出し、それなりの幸福を得られるような生活が存在した可能性も考えられるだろうが、現在の日々の方が、私にとっては良いものだった。

 私は彼女と手を繋ぎ、その場を後にする。

 笑みを浮かべて生きることができるようになった我々を、かつての彼女は、どのように見ているのだろうか。

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