First Contact 11
「…―――」
滝岡が神尾と高井、それに箕部看護師が患者に対応している様子をモニタ室の窓からみる。防護服を身に着けたそれぞれが患者に対応して慎重に動くのを見つめる。
神尾が患者に説明し箕部看護師が半身を起して座れるようにした患者が応えている。
患者に微笑んで神尾が話しかける。それに疲れた表情ながら患者が笑い返すのをみて、僅かにほっとして。
高井と箕部が用意した点滴を確認して息を僅かについて。
診察し検体を取っている神尾を視野に置きながら内線を取る。
待ちの時間になり消灯された陰圧室を前に滝岡が両手を組み沈黙しているのに神尾が話し掛ける。
「マラリアで確定するといいですね」
「それはな。…大体、SARSだのMARSだのNARSだの、…全部似通ってて紛らわしい。名前、どれか一つで統一していいんじゃないのか?」
「それは、…一応、RNAを調べて配列が違うことが解ってますから。確かにどれも同じベータ・コロナウイルスの系統ですが」
多少笑みを零していう神尾に滝岡がちらといやそうに視線を向ける。
「流行地域も発見された地域もMARSとNARSは似てるだろう。本当は系統だけじゃなく本来は同じものなんじゃないのか?幾らか変異しただけで」
疑わしげにいう滝岡に神尾が笑む。
「まあ、それは。いま調べている処ですからね。実際良く似てますから、もしかしたら近年の変異が確定されるかもしれません」
「まあな、変異してしまっていても厄介なんだが」
さらりという神尾にいやそうに難しい顔を滝岡がするのに同意して問い掛ける。
「そうですね。…滝岡先生は、本当に外科医なんですか?」
「…何だよ?いきなり?おれは外科医だが、――何だそれは」
顔をしかめて見てくる滝岡に思わず悪戯な顔になって笑む。
「だって、感染症に対しての対策が、今回、かなり徹底してましたから、――こんなに、感染症対策に関して外科医の方がご存知とは思いませんでした」
笑んでいう神尾を難しい顔で見返す。
「おれは、外科医だ」
「はい、それが?」
「…――外科医っていうのは、感染症が大嫌いなんだよ。感染症は一番の敵だ。でなければ、ばかみたいにあれだけ術前に手を洗ってなんてことをしてないぞ?」
手術前に手を洗い、その後も感染する可能性のあるものに触れないように術前に移動するのを軽くやってみせて滝岡がいうのに神尾が笑む。
「まあ、それはそうですね。嫌いですか?感染症?」
「当り前だろう?おまえ、…――」
不意に沈黙する滝岡に神尾が聞き返す。
「どうしたんです?何か、」
「…――遣りすぎだとか、思ってるのか?」
不意に淡々という滝岡に神尾が目を見張る。
「…何を、…ああ、今回の対処についてですか?」
「怖がりすぎか?患者を転院させたことも、大袈裟だと思っているんじゃないのか」
黒瞳が感情をみせないようになるのに、不意に患者を転院させることに驚いて訊いたときのことを思い出す。
いまの声も、口調も。
そうか、むしろ感情を殺す人なのか、…こういうときには――。
思いながら、驚きに小さく首を振って。
「いえ、違います。僕が驚いたのは、―あのとき、訊いたのは、…まさか、そこまでしてもらえるとは思っていなかったからです」
「それは?」
眉を寄せて、首を僅かに傾げて見返してくる黒瞳に。
少し息を呑む。
「いえ、…僕は感染研で簡単に指示とか規定を作っていた側ですが」
続ける神尾を滝岡が凝っとみる。
その黒瞳を真直ぐ見返して息を吐いて。
「でも、実際には大変な負担でしょう。経済的にというか、経営面では。経費も掛ります。消毒もされてましたよね?待合い室他をすぐに」
「手配することになっていたからな。訓練した処で、決めていたんだ。以前、実をいうとつい最近だが、――新興感染症の患者が発生した場合の訓練をしていてな。そのときの課題にあがって改定した処だった」
訓練時に持ち上がった幾つもの課題を思い出すのか難しい顔で沈黙する滝岡に。
「そうなんですか。エアコンのフィルターも換えてましたよね?」
保健所に聞き取り調査を依頼してホールから戻る際にみていたことに関して訊く神尾に滝岡が少し驚いた顔をする。
「みてたのか?元々、一階部分は空調を別にしてあるからな。病棟とも独立させている。だから今回交換したのは患者が動いた部分だけだ」
あっさりという滝岡に内心感心しながら淡々と続ける。
「そうなんですか。それに受付を停止されたそうですね。明日も一日。患者さんを受け入れない」
「受診予定の患者さん達に連絡してもらうのに時間は掛ったがな」
事務に掛けた負担を考えて。そして予約していた患者達の病状等によって医師達と事務員達の間で交わされた膨大な検討事項に、必要があれば行った他の病院への紹介等の手続等――患者、医師、事務員――かれらに掛けた負担を考えて滝岡が沈黙するのに神尾が続けていう。
もう少し、効率的に動けるよう準備しておくようにしないといけないな。…
そう考えている滝岡の耳に神尾の問い掛けが届く。
「そして、手術予定の患者さん達を転院させた」
「――少なくともおれは動けない。それに、手術室はこの状況では稼働できないからな。…確かに手術だけならできないことはないが、その後の管理ができないのに手術はできない」
きっぱりと言い切る滝岡に神尾が息をつく。
安心したように笑む神尾に滝岡が眉を寄せる。
「おい?どうした?」
「いえ、…―――安心して」
「何が?」
聞き返す滝岡に神尾が苦笑する。
「だって、それ全部経費が掛かるでしょう。簡単な事でもありません。休診するにも患者さんを転院させるにも、そして、患者さんを受け付けないのと手術しないのは、…この病院の収入を減らすことになります」
真直ぐ見返してくる神尾に滝岡が眉を寄せて睨むようにする。
「おまえな…それは、だから遣りすぎだっていうんじゃないのか?」
「やりすぎだとは、思いません」
「…―――」
真剣に見つめる滝岡に頷く。
「そうは思いません。だから安心したんです」
「…おまえな、」
だったらどうして、と小さくいう滝岡に。
「あのときですか?」
「…――」
モニタに向き直って、横目でみる滝岡に笑む。
「ですから驚いたんです。そう勧めたくても本当にやってくれるとは限りませんし。実際マラリアであればやる必要のなかった過剰な反応です。費用ばかりが掛かります」
「―――…」
真直ぐ見返してくる滝岡を真剣に見る。
「ですが、本当に感染していたとしたらどれも必要なことです」
無言でみる滝岡に。
「それをまだ確定しない内にやるのは勇気がいります」
「…勇気とかじゃない」
「滝岡先生?」
ぼそり、と滝岡が視線を伏せて呟くようにいう。
「…―――臆病なだけだ」
「――――…滝岡先生」
滝岡が眠る患者の姿をみる。
既に深夜になり、暗くした陰圧室に眠っている患者をみて神尾がデータを確認する。
「患者さんの容態も落ち着いてますね。いまの処、脱水も起こしていませんし。下痢はありましたが腎機能に異常は起きていません」
「後は、連絡待ちか」
神尾の報告に滝岡が椅子に座り目を閉じて天井を仰いで息を吐く。
「滝岡先生?」
「おまえ、そこの壁、そうそう、そこだ…ベッドを出せ」
「…何で簡易ベッドなんて設置してあるんです?」
いわれた壁をみて収納式の簡易ベッドが設置されていることに驚いて神尾がいう。
それに、椅子に座って目を閉じたまま。
「いとこにきいてくれ、…何かいろいろあいつは間違ってるんだよ、…消防署や何かに納品してるんだそうだ」
「確かに、医者も消防も似たようなものですが」
壁際にソファを少し広げて平らにしたような感じで引き出せた簡易ベッドにあきれてみている神尾に目を閉じたまま手で額を押さえて滝岡が指示する。
「いいから、もう寝るぞ。患者さんに何があったらこの警報が鳴る」
「え、あのでも、これ、…」
壁のスペースの為か、どうやら一つしかない簡易ベッドを指して神尾がいうのに額を押さえて顔をしかめながら滝岡が立ち上がる。
「大丈夫ですか?」
「――寝る。狭くても二人くらい寝れるだろう。眠れなくても横になっておくだけで違うぞ」
「ええと、それは、はい、…あの?」
目を閉じたまま簡易ベッドに辿り着くと滝岡が横になって。
「え?もう寝たんですか?」
はやいですね、と思わず感心して眺めてしまう。
横になった途端、既にすうっと眠りに就いてしまっている滝岡に。
「流石、外科医ですね、…」
感心してから、どうしよう、と眠るその白衣を着たままの姿をみて。何だか、その白衣を着たままの姿が。
「…―――」
まあ、確かにここを離れるよりは良いと思いますが。
そう考えてから。
「…――え?」
目がさめて神尾が驚いて顔を上げる。どうも滝岡の白衣の肩を枕代わりにして寝ていたことに気がついて。
えーと、確かに枕に酷似しているというか、…かなり丁度良い感じですけど、でも。
半分身体を起こして驚きに言葉がない神尾に目が醒めたのか。
「ん、…――いま何時だ」
「え、あの、その、…」
驚いている神尾に構わず滝岡がむくり、と身体を起こす。
まだ目を閉じているその横顔をみて。
「はい、あの、おはようございます」
「ん、――神尾?」
額に手を置いて眉を寄せるようにしていう滝岡に緊張して。
「はい、神尾です」
しばらく滝岡の返事がなく、戸惑っていると。
「うん、――目がさめた」
「え?」
いきなりすっきりした顔で目をあけて顔をあげ神尾を振り向く。
「は、はい」
「おはよう、顔洗ってくる。その間、頼む」
「あ、は、はい、…」
すっきりとした顔をしてきちんと立つとすたすたと歩いていく姿に。
「…流石、外科医ですね」
思わず見送ってから頭を振って目を醒ますと、患者の容態を確認する為に起き上がる。
「どうだ?顔洗って来ていいぞ」
「あ、はい、…まだ目を醒ましていませんね。落ち着いてます」
横に立つ滝岡に神尾が戸惑うようにみる。
「なんだ?」
「いえ、…おはようございます」
「ああ、おはよう?」
「じゃ、お願いします」
滝岡が不思議そうに神尾の背をみて。
「何なんだ?…―――脈拍、血圧に変化なし、か。…熱は、」
記録されている基礎データを確認しながら、滝岡が眠る患者の様子をみる。
滝岡にいわれるまま茫然として、洗面室にきた神尾だが。
鏡を前に両手をついて動くのを忘れたように。
―――もしかして、眠れたんですか。…
顔を洗って改めて驚きに鏡の向こうから見返している自分の顔をみる。衝撃が去っていないことにあきれて大きく息をつく。
「ねむれるなんて、」
しかも眠ったのを憶えていないくらい深く、と。
何だか、あきれて苦笑する。
――不眠症だったはずなんですが…
鏡の中に映る顔をみて苦笑して眸を伏せる。
「…―――」
僕は、…。
俯いて眸を閉じて。
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