First Contact 10
「マラリアかもしれないそうですよ、…!」
滝岡からの内線を置いた事務長が水岡と西野に向き直って大喜びでいう。
「それは、…鑑定できたんですか?」
「いえ、それはまだなんだそうですが、神尾先生が診られてですね」
「確定はまだですか、…―」
よろこびにもう泣きそうな事務長に感情を押さえて確認してから、水岡をみて西野が訊ねる。
「マラリアだったら、NARSじゃないってことですよね?」
「普通はね?感染研の鑑定待ちだよ、…でも」
「でも?水岡先生、なんです?」
西野の問い掛けに、ぐっ、と水岡が拳を握る。
「いや、…マラリアだったら、…―――よしっ!」
拳を握って、うれしそうに水岡が大きくうなずく。
それを僅かに眉を顰めて西野がみて。
「水岡先生、落ち着いてください。まだ確定ではないんですよ?」
「そーだけどさ?西野くん、でもさ?普通の感染症が一番だよ!いや、マラリアなんて日本じゃ珍しい感染症だけどさ。旅行者が発症するくらいで土着はしてないけど。でもマラリアなら薬もある!」
「あ、そうでした。私はその薬の手配をしないと」
水岡の言葉に我に返って事務長がいうのに。
今度は慌てて水岡が事務長をみる。
「薬って、事務長、まだ確定した訳じゃないんでしょ?」
薬を手配できそうな連絡先を携帯で探す事務長に水岡があわてていうのに。そちらを向かずに頷いて携帯に目的の番号をみつけて事務長が答える。
「勿論ですけどね。マラリアだとしても、いまうちに在庫はありませんから。薬問屋さんにも、いつも頼んでる薬じゃないですから、簡単に手に入るかどうか。ああ、そうだ、西野さん」
「はい、事務長」
連絡先に電話を掛けながら事務長が西野をみていう。
「マラリアの場合、感染症の届け出をしなくてはいけませんから、その報告書を準備しておいてもらえますか?マラリアは、――何類でしたかね?」
事務長に振られた水岡が難しい顔をして天を仰ぐ。
「あーと、マラリアは確か、…神尾先生に聞いた方がはやいかも」
「大丈夫ですよ。その手の書類は準備してありますから」
「やっぱり、西野くん、有能」
あっさりという西野に水岡が楽しそうにいう。それを淡々と肯定して。
「当り前です。僕は滝岡先生の秘書ですからね」
「外科オフィス全体の秘書じゃあないの?」
「それはついでです」
「…―――言い切られちゃった、…」
水岡の突っ込みをさらりとかわして、自分のデスクに戻って書類の準備を始めた西野に。忙しく連絡を取りながら出て行った事務長を水岡が見送って。
「えーと、僕は、…患者さんの転院は済んだしな。病棟の様子でもきくか」
水岡もデスクに就いてから、両手を握って目を閉じる。
「どーか、マラリアでありますように、…!」
そして、目をあけて。
「よーしっ!あ、川南先生?良いニュースがあるんだけど!」
水岡がうれしそうに話し出す。
「マラリアかもしれないそうです」
「川南先生、本当ですか?」
病棟二階にあるナースルームで、水岡からの内線を受けた川南がうれしそうに看護師長を振り向く。
「そうなんですよ、仙崎さんっ!」
「それはよか、…川南先生、まだ患者さんにはいえませんよ?はっきりしてからでないと」
仙崎師長の言葉に、大きく川南が頷いて拳を握る。
「勿論ですっ!でも、これで患者さんをこれ以上転院させなくてもすむかもしれませんよ。受付を休止して患者さんを受け入れないのも明日だけで済むかもしれませんよ」
安心したのか泣きそうになりながらいう川南に師長が肩を叩く。
「しっかりしなさい!川南先生!勿論、それに越したことはありませんけどね」
「今日転院してもらった患者さん達も滝岡先生の手術、受けたがってましたからね」
「一、 二日位まってもいいって人ばかりでしたね」
「そうなんですけどねえ、…もし、NARSだったら、感染経路が完全には解明されてませんから、うちでしばらく手術はできませんからね。仕方ないです」
「安全第一ですからね。患者さんが転院したくないお気持ちもわかりますけど」
うなずく師長に川南がボードを手に同意する。
「おれだって手術してもらうなら、滝岡先生の方がいいです。他所の先生より」
「川南先生はこの病院の先生なんですから、それで当り前です」
「他所にいてもここにきますよー。おれ、滝岡先生に師事したくて、この病院に来たんですからね?競争率、高かったんですから」
「滝岡先生は人気ありますからね。当然です」
きっぱりいいきる仙崎師長に頷く川南。
「おれ、回診いってきます!」
「川南先生、マラリアかもしれないってことは、まだ患者さん達にはいっては駄目ですからね?」
「勿論!いいませんよ!」
明るい笑顔で出ていく川南を見送って思わず溜息を。
「大丈夫かしらね、川南先生、…」
ま、気持ちはわかりますけど、と。
さて、人数が少ない分、気を引き締めていかないと、と。
改めてスケジュール表をみて、現在詰めている看護師を確認して。休憩を適宜とらせる為に、仙崎師長が改めて食事の配膳等の時間を確認していく。
「薬の手配つきました。事務長さんの方から業者さんを通して受け取ってくれるそうです」
落ち着いている患者の症状を確認しながら神尾が伝えるのに滝岡が頷く。
「わかった。…――確定は、明日か」
「そうなりますね。疲れましたか?」
「おまえはどうなんだ。そういえば書類がまだだったな。事務長が作ってるはずだが」
「書類って?何の話です?」
「…――おまえをここで勤務させる為の書類だ。ちゃんと日給の他に残業も法定通りつく。臨時雇いだから健康保険等はないが労災は勿論あるぞ。それから危険手当と医療保険にも入る」
「…―至れりつくせりですね。ありがとうございます」
ちょっと驚いてみる神尾に、眇めた目でみて滝岡がいう。
「といっても、雇えるかどうかわからないけどな。…おまえ、まだ感染研に籍があるだろう。休職扱いになってる」
「…ばれてましたか」
微苦笑を零して、神尾が滝岡をみる。
「ばれるだろう」
いやそうに滝岡がみる。
「おまえを雇うのに手配を頼んだ事務長が何か困っているから訊いてみたらな。休職扱いだとどうなるんだ?感染研は公務員になるのか?確か公務員に副業はできないな?」
「…――はい」
微苦笑を浮かべて困った風にみていう神尾に、あきれて溜息を吐く。
「まったく、…―まあ、事務長が何か抜け道を探してくれるだろう」
「すみません」
つい、おかしくなってしまって笑んで神尾がいうのに、あきれて滝岡がみて苦い顔をする。
「ったく、おまえが突然、…――他所の奴に、本来なら診てもらう訳にはいかないんだぞ」
いやそうに眉を寄せてみる滝岡に神尾が笑って、患者の体温等を確認しながらいう。
「安定していますね、…これなら悪化の心配はしなくても済むかな。ありがとうございます」
「それはどこに掛るんだ。まったく、…―まあ、でも感染症専門の先生がいてくれて助かった。ありがとう」
横を向いて右手に頬杖をついていう滝岡に思わず笑む。
「そんな、いやそうにいわなくても」
「いやに決まってるだろう。メシはどうする」
「ごはん、ですか?」
驚いてみる神尾を振り向いて。
「おまえ、腹が空かない超人か何かか?」
「その表現は古いです…いえまあ、そういえば、…忘れてましたね」
「外科では十数時間食わないのも普通だがな。研究生活を続けている先生なら食事は規則正しいだろう。ほら」
滝岡が寄越した四角い箱に入った簡易栄養食に神尾が目を丸くする。
「これ、食事ですか?」
「悪いか?弁当を配達って訳にもいかないからな。ストックがあった」
いいながら取り出してかじる滝岡を隣に神尾も取り出してみる。
「徹夜になったときにはお世話になりますね」
「徹夜なんかするのか?」
「やりますよ?今日なんかも分析に機械を廻してますから立会もあるんじゃないかな。それに昼夜を忘れることもありますし」
「ふーん。…妙な味だな」
「りんご味らしいですよ。新製品かな」
「…不味い」
りんご?といいながら。
顔をしかめる滝岡に神尾が笑う。
「まあ、…僕はチーズ味の方が好きですね」
「チョコレートの方がいい」
難しく眉を寄せて携帯栄養食を噛み締める滝岡に神尾が吹き出す。
「…おい!笑うなよ!」
「いえ、でも、…凄い顔ですよ?」
眉を寄せたまま睨む滝岡に神尾が笑いを堪えようとして失敗して、すみません、と顔を伏せていう。
「…おまえな、……これ、まずいからここのストックに廻したろう、あいつ…」
いいながら、それでも律儀に噛み締めている滝岡を、つい伏せていた顔をあげてみて。
「…神尾っ!吹き出すな!」
「す、すみません、…はい、あの」
横を向いてそれ以上笑うのを堪えようとしながら失敗している神尾に。
「おまえな?…――あのな?神尾っ!」
「す、すみません、…」
いいながら完全にツボに入って突っ伏して笑っている神尾を隣に。
「まったく、くそ、…―」
そして、もう一口咬んで。
「…―――!」
あわてて飲物を飲む滝岡に。それにさらにツボに嵌って笑いが止まらなくなる神尾と。
「マラリアの判定きました」
神尾が連絡を受けて滝岡を振り仰ぐ。
「NARSは?」
「それはまだ鑑定中です。治療を始めても?」
「任せる。事務長、薬の手配は?」
滝岡が内線をかけて事務長に確認を取る。
「きてるそうだ。こちらに届けてもらう。他に必要なものは?」
「高井先生達に手伝ってもらっても?」
神尾の問い掛けに僅かに滝岡が視線を落とす。
「まってくれ、訊いてみる」
滝岡が連絡を取る間、神尾が防護服を確認して破れ等がないかをみる。
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