First Contact 7
水岡が滝岡に問い掛ける。
「それじゃ、いま患者さんの処置はどうなってるんです?」
「高井先生が処置している。いまの処点滴位だが」
「そーですか、…どうしましょうね?」
考え込む水岡を背に、神尾がホワイトボードに向き合う。
「待合い室にいた患者さんは、全員、保険所の人が聞き取り調査をしてマイクロバスで送ります。…―処で、これって陰圧室ですか?」
見取り図をみながら、一つだけ離れて建てられている新しい区画に神尾が指を置く。
「これは、―――」
「陰圧室だ」
滝岡の言葉に、神尾が振り向く。
その視線を受け止めて、滝岡が総合待合いを挟んで病棟と反対側にある小区画をみながらいう。
「だが、まだ稼働したことがない」
「…―新しい設備なんですか」
僅かに眉を寄せて神尾が問うのに、滝岡が淡々という。
「先年造ってテストもした。だが、――…実際に患者を受け入れたことがない。うちは感染症の指定病院じゃないからな」
「…そうですか、…―」
沈黙する神尾に、水岡が滝岡と見取り図と見比べていう。
「何にしてもどうするんですか?患者さん?」
その問い掛けに、神尾が目を閉じて、深く息を吐く。
「神尾先生?」
「――滝岡先生」
水岡が問い掛ける前で、神尾が目を開けて振り向き、滝岡をみる。
「僕に診察させてください。…――陰圧室に運びましょう」
黙っている滝岡を、神尾が同じく沈黙したまま強い視線で見返す。
陰圧室―他の部屋よりも気圧を下げる―陰圧にすることで部屋の中からウイルスや菌が出ていくことを防ぐ為に、つまり感染症患者を隔離する為に造られている部屋に患者を運ぼうという神尾と。
無言で、その神尾を前に滝岡が睨むようにして立っている。
その二人を前にして。
水岡が、そーっとくちを挟んでみる。
「あの、でも運ぶってどうやって?うちには感染症対策用のストレッチャーなんてないですよ?ないですよね?西野くん、ね?ないよね?」
「は、はいあの、…ないです。とおもいます、事務長に」
「無い。専用のストレッチャーは無い。どうやって運ぶ、神尾」
腹が座ったように、神尾を見据えたまま呼び捨てにする滝岡に。
僅かに神尾が笑む。
「そうですね、…。例外的ですし、また消毒しなおしてもらうことになりますが」
「どうする?」
浅く笑んでいう滝岡に、静かに神尾も微笑んで。
「やってみましょう」
一見穏やかに微笑む神尾と。それを見返して不敵に笑む滝岡に。
そーっと隅に移動して水岡が同じく自分のデスク周りに下がっていた西野の隣にきて小声でいう。
「なにか、この御二人さん、こわいんだけど」
滝岡先生も、と目を見張っていう水岡に。
「そうですね、…特に神尾先生、笑っているけど、笑ってないです」
「…それ、滝岡先生も一緒だよ、…」
これからどーなるの?と思わず脅えながら二人を見守る水岡と西野の前で。
「どこが一番近い経路になりますか?」
「そうだな、…やはり、一度初診診察室から、こちらへ出た方がいいとおもう。ここから外へ出る」
「こちらの通路は?」
「非常用出口だな。こちらには外の間に段差がある。少し回るが、こちらの外廊下への通路はバリアフリーになっている」
「ああ、そうですか。なら、その方がいいですね。ストレッチャーで運びますから、…―」
「普通のストレッチャーでいいんだな?」
「ええ、二類感染症ですから、――。確かに新しい感染症ですが、ウイルスは上気道ではなく下気道での増殖だということが解っています。念の為、移送する経路には誰も近付かないようにしてもらえますか?」
ウイルスの増殖場所が下気道である為、咳等で飛沫がとんで感染の危険が増す可能性が比べると少ないことをあらためて指摘してからいう神尾に滝岡がうなずく。
「勿論だ。移送後もしばらくはこの経路なら封鎖できる」
「わかりました。高井先生達にも、防護服を着けてもらいましょう。規定通り、患者さんにサージカルマスクを着けてもらって、ストレッチャーは使用後、そのまま使用せずに消毒までおく必要がありますが」
「わかった、場所はある。運ぶ人数はどうする」
「そうですね、…僕と」
感染の危険性を減らす為には経路に人が近付かないこと等が必要になる。運搬後の封鎖等も視野に入れながら滝岡が神尾の提案を呑み、見取り図を見ながら、次々と決めていく。
運搬経路を使用後に封鎖、消毒する手順を決定しながら次に運ぶ人員を決定していく神尾と滝岡に、思わず遠巻きに水岡と西野がみながら沈黙していると。
「わかった、ではそうしよう、…―どうした?水岡先生?西野?」
「あ、いえいえ、…なんでもないです」
「はい、僕達はどうしましょう?」
首を振る水岡と質問する西野に滝岡が首を傾げる。
「どうしたんだ?まあ、いいが。水岡先生、ここを頼む。何かあったら呼んでくれ」
「あ、はい、…滝岡先生も陰圧室へ?」
抜けた声で答えてから、我に返って心配そうに水岡がいうのに滝岡がまっすぐに水岡をみる。
「大丈夫。陰圧室に入るのも患者を高井先生と運ぶのもこいつだ」
「はい、僕がやります」
にっこり笑んでいう神尾を滝岡がいやそうにみる。
隣に立つ神尾を眇めた目でみる滝岡に。
「着付け、お願いしますね」
にっこり、と笑んでいう神尾に滝岡が大きく眉を寄せて見返す。
「着付けって、防護服のですか?」
訊ねる水岡に神尾が頷く。
「はい、あれ、一人じゃ脱ぎ着できませんからね。チェックしてもらわないといけませんから」
にこにこと微笑んでいう神尾を、あきれた顔で滝岡がみる。
確かに神尾のいう通り、感染症から防護する為の防護服は非常に脱ぎ着がしづらいもので、その上使用後に脱ぐ際に誤って汚染された手袋を脱ぐ方法を間違い誤って髪に触れる等の些細な間違いで防護が全く無駄になり感染の危険に侵されることになる。その為脱着の際には二人体制で互いに正しく着用しているか、あるいは脱ぐ方法を間違っていないかをみることが基本となっているのだが。
明るく笑顔で水岡達をみていう神尾にあきれて溜息を吐いて滝岡が促す。
「ほら、ばかなこといってないでいくぞ。高井先生が待ってる」
「看護師さんも付き添われるんですね?」
「先にもいったが、予備室に高井先生と待機してもらうことになる。いまの処、一番の濃厚接触者だからな。事態がわかってからマスクにゴーグル何かの防護はしたがな」
濃厚接触者――感染した患者に身の回りの世話をする、あるいは至近距離での会話等感染する可能性のある接触をした場合にこう呼ばれる――感染していることを申請しなかった患者の為に、何の準備もなく防護することができずに診察をした高井先生達がいま一番感染の危険に近い立場に置かれていることに。
淡々と響くように声を押さえていう滝岡が外科オフィスを出ながらいうのに神尾が訊ねる。
「陰圧室の隣に設けられてる予備室ですね。本来、診察用の?」
「本来ならな。ちゃんと手順を踏んで患者が移送されてきたときには使う予定だった」
厳しい顔で早足で歩きながらいう背に追い付いて並びながら神尾がその横顔をみる。
検疫で申請し保健所に届けていれば、保健所にまず連絡して医療機関を直接受診しないように指導される。もし、この患者がそれを守ってくれていれば。
そうすれば病院の封鎖はなく、手術予定の入院患者を転院させる必要はなく、何より感染の危険にこの病院を受診していた人々――感染の可能性はかなり低いとはいえ―をさらす事は無かったろう。
そして、――高井先生達を、感染の危険が高い立場に置く事も無かっただろう。
厳しく眉を寄せたまま無言で歩く滝岡に神尾があっさりという。
随分、むしろあっけらかんと。
「いいじゃないですか。まだ患者さんが渡航歴があることを、ここで申告してくれて。もしかしたら本人も解らない内に感染していて、申告もなく、普通の肺炎や何かと思われたまま、この病院に入院になってた可能性もあるじゃないですか」
にっこり、笑顔でいう神尾を噛みつくような顔で滝岡が見返る。
つまり、新興感染症だと解らずに対応して感染が広まる一番避けたいシナリオをあっさり提示してみせる神尾に。
「…――おまえはな?いまどーして、そんなホラーな話をする必要があるんだ、…――!」
「ですから、ほら、良かった探し?」
「よくない…!」
あまりにホラーな内容を簡単にいってみせる神尾に滝岡が大声で怒鳴るのが廊下に響き渡って。
滝岡総合病院の愉快な仲間達 「First Contact」 TSUKASA・T @TSUKASA-T
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