First Contact 6
「戻りました、――」
そーっと外科オフィスのドアを潜って、中に入った神尾が覗いた先には。
「滝岡先生っ、…―!只今戻りましたっ、…!」
「水岡先生、どうだった!」
「はいっ!緊急手術が必要になるような、状態の急変が起きている患者さんはいません!川南先生と、内科の大原先生、草野先生には病棟で回診をしてもらってます!」
「わかった!よし!」
がしっ、と抱き合って、互いに背中を叩いている、滝岡とこちらは神尾の初めてみる小柄な白衣―おそらく医者だろう―の水岡先生と。
…体育会系だなあ、…。もしかして、二人とも外科医なのかな?
とか神尾が思わず感心してみていると。
滝岡が矢継ぎ早に水岡に訊ねる。
「それで、この一両日に手術を予定している患者さんのリストは?」
「こちらです。僕と川南先生が予定している患者さんがこちらで、一週間以内がこちらです」
「そうか。まず、一両日以内の分から探してくれ。転院先を探して振り分ける。俺の方は、こちらで当たる」
その滝岡の言葉に、リストを手にデスクの電話に向かいながら、水岡が残念そうにいう。
「滝岡先生の手術、楽しみにしてる患者さんばかりなんですけどね」
「…楽しみは違うだろう。とにかく、急で難しいと思うが転院先を頼む」
「はい、わかりました。大丈夫ですよ。手術スケジュール自体には余裕が組んでありますからね。それほど重篤な患者さんはいませんし」
では、といいながらリストをみて電話を掛け始める水岡と、同じくデスクに座って、自分も手配を始めようとする滝岡に驚いて神尾が近付いていく。
「あの、すみません、…。滝岡先生?」
「ああ、神尾先生。ありがとうございました。いま、申し訳ないが、そこのソファで休んでいてもらえば」
「いえ、――休むのはいいんですが、…。患者さん、転院させるんですか?まだ確定してませんが」
驚きを隠さないでみている神尾に、手を留めて滝岡が顔を上げる。
「確定を待ってはいられません。患者さんの体力を考えて予定は組んであるので、日程はあまりずらしたくない。ですが、ご存知の通り、どこの病院も手術予定は詰まってます。確定してから、予定を割りこませてくれといったのでは遅い。予防的処置になりますが、この一両日に手術予定だった患者さん達は転院させます。一週間以内の分は、西野に打診させている」
真直ぐ見返す滝岡に、神尾がいう。
「検査の結果、陽性でなければ、無駄なことになってもですか?」
神尾を見返して、滝岡が笑む。
「勿論、無駄です。陽性でなければ。だが、それだけのことです」
神尾から視線をリストに戻すと外線を掛け始める滝岡が、もうこちらを見ないのを確認して。
――やっぱり、変わった人だな。
そう思って、云われた通りソファに行こうとして、見取り図の貼られたホワイトボードをみる。
それから。
「ちょっと出ます。このエリアからは出ませんから」
いって出ていく神尾を、ちら、と滝岡がみて視線を戻し繋がった外線と通話を始めている。
「それで、感染研の人とは連絡が取れたのか?」
「どうして解ったんです?とれました」
戻って来た神尾に、滝岡がボードの近くから歩み寄る。それに、にっこりと神尾が笑む。
水岡がそれを聞いて近寄ってくる。
「何ですか?僕の方も手配つきましたけど。この先生、感染研の方なんですか?感染研って、国立の感染症を研究してる所の感染研ですか?難しい感染症研究してて、今回のNARSだって、そこで鑑定したりする。NARS関連で手配されてきたんですか?」
好奇心を隠さずに、小柄な水岡が間に入って二人を交互にみるのに、滝岡が頷く。
「感染研だそうだ。だが、手配されてきた訳じゃない。で、神尾先生、向こうは何といってたんだ?」
「僕は、もとは感染研にいたんですが、いまは内科医としての就職先を探してて、たまたまこちらに来てたんです」
にっこり視線をあわせて微笑んで、神尾が水岡に説明すると滝岡に向き直る。
「それなんですが」
表情を消した神尾に、滝岡が眉を寄せる。
「何だ」
鋭く問う滝岡に僅かに眉を寄せて軽く息を吐く。
「検体は、既に採取して運んでいますが」
「ああ、そう聞いてる。それで何だ?」
神尾が、水岡をみて、それから離れたデスクで手配している西野をみてから、滝岡に視線を戻す。
「…――もう、連絡があると思うんですが」
「何のだ?」
「…―――移送の手配が、遅れるかもと」
「何だって?」
躊躇ってくちにする神尾に、滝岡が問い返す。
「どうして?第一、うちは伝染病を扱う指定病院じゃないのに、患者が来ちゃった状態なんですよ?」
困惑して神尾をみて早口でいう水岡に、こちらも困惑に眉を寄せながら滝岡が問う。
「――――どういうことだ?」
「それが、…。多分、連絡があると思いますが、いま、成田にエボラ疑いの患者が」
「え?」
目を剥く水岡に。
「――――…」
完全に沈黙して滝岡が神尾をみる。
くちびるを咬み、ためらってから、いまはついていないTVのモニタを神尾がみる。
「もうすぐニュースでやると思いますが、僕もこちらの鑑定の状況を聞こうと思って連絡したら、…。それで、僕がいることがわかって、…ですから、こちらで対処できないかと」
「―…エボラが出たから、こちらには対処できないという訳か」
淡々とした声で、滝岡がいうのに。
「あの、でも、神尾先生がいるから、こちらに対処してくれっていうのは?」
驚いた顔で水岡がみてくるのに、神尾がくちを噤む。
そこへ。
「滝岡先生!その、予定が何か変更になったと連絡が…厚労省から」
西野が驚きながら振り向くのに、滝岡が息を吐いて頷く。
「わかった、内線こっちに廻せ」
「はいっ!」
神尾と水岡が無言で見る前で、滝岡がしずかに受話器を取る。
緊張して水岡が見て。
神尾がしずかに見守る。
「…―――わかりました」
滝岡が短く会話を終え、受話器を置く。
しばし、静かに目を閉じて動かない滝岡に。
「…その、…滝岡、先生?」
「どうしたんですか?」
水岡と西野の問いに、滝岡が顔を上げる。
無言で向けてくる滝岡の視線に二人が息を飲む。
それに、落ち着いた声で滝岡が。
「鑑定は予定通り、明日の午後には出る。だが、それまでこちらで患者を預かってくれといってきた」
「それまでって、――それからは?」
「わからん、だが」
水岡がむずかしい顔で眉を寄せてくちをゆがめる。
「いわれそうですね、確定してもあずかってくれって。うちは指定病院じゃないのに」
溜息をついて、デスクに凭れる水岡に。
「仕方ない、成田に緊急着陸する飛行機に乗ったエボラ患者に対応する為に、機材も人員も不足だそうだ」
「相手がエボラじゃ、――そっちは確定なんですか?でも、こっちだって、暫定ですけど、二類感染症ですよ?感染経路だって飛沫感染とはいわれてますけど、まだ新しくて確実じゃないし。それに致死率だって高いのに」
水岡の困惑に、神尾が判明している事実を告げる。
「確定はしてませんが、飛行機の中で血を吐いたそうです。先月収束後に新たな患者の出た西アフリカを旅行していて、どうやら再発患者のいた地区を旅行しています」
「げ、…。それって、…―いいんですか?ここで話しても」
水岡の問い掛けに神尾が苦笑する。
「いいですよ。もうニュースになります。…それに、こちらの病院にはNARS疑いの患者を引き受けてもらうことになります」
「引き受けたくないです」
ぼそり、と悲哀を感じさせる表情でつぶやく水岡に、ちら、と滝岡が視線を向けて苦笑する。
「仕方ない。…だが、引き渡しできないとなるとな、…いつまでも診察室に寝かせてはおけない」
滝岡がホワイトボードに貼られた見取り図を眺める。
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