First Contact 4


 院内各所から連絡が届き始め、見取り図に位置情報を滝岡が書き込んでいく。

「他の初診外来室にいた全員は、総合受付ホールの初診受付側、こちら。総合受付にいた患者さん達は、反対側に案内が済んだか」

確認している滝岡を背に、事務長が元気を取り戻して内線から連絡が来た内容を伝える。

「滝岡先生、いま椅子を運ばせてます。―――事務員は全員、事務所の中にいました!」

「わかった」

滝岡が事務所の位置にALLと書き込んでいる。

神尾がそれらの声を背に、見取り図をじっと見つめる。

「こちらを、待機してる方々に使ってもらいましょう。それから、患者さんと先生方には、こちらを」

初診受付の奥にあるトイレを指していう神尾に、滝岡が眉を寄せる。

「わかった、それでいこう」

「患者さんの性別は?」

「―――男性だ。…事務長、受付の方から、待つ間のトイレはここを使うように伝えてくれ」

「はいっ」

「西野、高井先生に内線を」

「どうぞ」

西野が手渡す子機を持って、滝岡が一度息を吐く。

「高井先生、そちらはどうだ」

緊張して事務長達が見る中、滝岡が真剣に聞き入る。それらの様子を神尾が眺めて。

「わかった、保健所から移送する用意を整えてくるには、後二時間かかる。それまで、患者さんの様子をみながら待機してほしい。ああ、うん」

頷きながらメモを取り、それからいう。

「わかった。それから、トイレだが、そう、診療室の奥にあるあそこを、患者には男性用を、そして、きみと三園さんには、女性用を使うように、そうだ。別けてくれ。患者さんは一人で移動はできそうか?…ああ、わかった。二十分以内に、追加の手袋を届けさせる。わかった。頼んだぞ」

内線を切り、滝岡がメモをちぎり事務長に渡す。

「事務長、高井先生の娘さんの学校に仕事で遅くなるから、お母さんが迎えにいくまで先生に一緒にいてもらってくれと。連絡頼めるか?」

「わかりました」

メモを渡して事務長が外線に掛けるのをみてから、神尾が隣に立つ滝岡を眺める。

 にっこりと、笑顔になって。

「それで、じゃあ、ホールに待機している患者さん達への説明には僕がいきますね」

「…?なにをいってるんだ、おまえは?」

難しい顔で見取り図を腕組みして睨んでみていた滝岡が振り向いて思い切りあきれた顔でみるのを神尾がにっこりと見返す。

 沈黙して、滝岡と神尾が向き合う。

「説明って、――――…だから、おまえ、何のだ?」

あきれながらいう滝岡に、微笑んで返す。

「勿論、いま起きていることに関しての患者さん達への説明です。受付の人達がもう説明してるでしょうけどね。待っている間は不安でしょう?医者が一人、出て行って説明した方が少しは安心するでしょうから」

にこやかに当り前のように説明する神尾に、滝岡が沈黙して。

 大きく息を吐いて、それから神尾をみなおして。

「ひとつ、訊きたいのだが。…」

「はい、何でしょう?」

「いや、…。医師が説明する方が安心できるだろうというのは同意するが、…。いや、それ以前にだ」

「はい?」

「…――――」

 もう一度、滝岡が沈黙する。

 のんびり見返している神尾を、頭が痛いように見返しながら。

「…――――それは、…で、なんでおまえがいくんだ、……というか、おまえ、何で当り前のようにさっきから此処にいるんだ?」

 とても訊きたいんだが、という滝岡に、神尾がきょとんとした顔で見返していた。

「…なんで、といわれましても」

睨む滝岡に神尾が首を傾げる。

「…―――それは勿論。――先、ここにいろっておっしゃったじゃないですか。移動禁止でしょう?」

不思議そうにいう神尾に滝岡が額を押さえる。

「いや、…―――それは、…それはいったが」

「でしょう?」

滝岡が神尾を睨む。

「いや、だから、―――それに関しては、いや、…―――」

言葉に困った滝岡が神尾を見直す。

「…何故、おまえがいく。此処の医師ではないだろう」

眉をしかめながら滝岡が続ける。

「そもそもだ、…――大体、ここから移動が出来ないというのは、

この病院からは感染疑いの患者が来てしまった以上、疑いが晴れるまで、この病院から誰も出す訳にはいかないということなんだ。…ここから外に感染を広げる訳にはいかない。帰ってもらうにしても、連絡がつくようにして、追跡できるようにしてからでないと。だから、此処にいる必要があるというのはそういう意味で、――」

眉を寄せながら困惑したようにいう滝岡に、にっこり笑んで神尾がくちにする。

「僕、医者ですから。それも、感染症専門医です」

「…なんだって?」

唖然として睨む滝岡に、にこやかに続ける。

「感染症専門医。ですから。NARSの事は理解してますし、どの程度の感染の危険があるのか説明もできます。ここの勤務医になるかもしれませんし、何より医者ですから。この場に居合わせたのも何かの縁です。ですから、待合い室にいる方々に説明にいってきます」

滝岡に向き合ってにこやかにいう神尾に、恐る恐る横から事務長が口を挟もうとする。

「そ、そのですね、…?そうはいっても、神尾先生は、うちの勤務医では無いわけで」

勤務なさってない先生がですね、――と事務長が小声で続けている隣りで。

「できるのか」

眇めた目で睨むようにしていう滝岡に、神尾が真直ぐ見つめて頷く。

 そして、あっさりと。

「勿論です。僕、つい先日まで感染研にいたんですよ」

「それをはやくいえ!…大体、しかし、何で感染研の先生がうちに来てるんだ?…必要なのは勤務医であって、臨床だぞ?うちでは研究はできないんだが」

唖然としながらいう滝岡に、神尾がにっこりと見返して。

「あんまり、患者さん達を待たせるのはよくないですよ。保健所の人達、来るのまだまだ先でしょう?」

「それは、―…。くそっ、…事務長、こいつが感染研にいたというのは確かか!」

「は、…はい、それは確かです、はいっ。院長から、伺っております!」

事務長の返事に滝岡が神尾を睨む。

「…院長か、…―――わかった、予備の防護服と」

「いりませんよ」

「何だって?」

説明に行くという神尾に、防護服を渡そうと事務長に指示しかけた滝岡に。

即座に否定する神尾に、滝岡が眉を寄せる。

「大丈夫です。もし、患者さんが陽性だとしても、0.6です」

「…確実じゃない」

無言で睨むようにする滝岡に、事務長が脅えたようにして質問する。

「あ、…あの、0.6って何ですか?」

鋭い視線で振り向く滝岡に事務長が詰まる。

 神尾がにっこりと微笑んで説明する。

 とてもにこやかで良い笑顔の神尾に、内心、滝岡と事務長が引いているのを知ってか知らずか。

 0.6というのはですね、と神尾が。

「0.6というのは発症した患者さんから、別の人に病気がうつる確率のことです。一人の人が一人に感染させると1、これは1以下ですから、感染力が強い訳ではありません。これが1を超えると、一人以上の人にうつる力があるということで、危険が増していきます。この数が大きくなればなるほど、沢山の人に感染する力があって、流行が広がってしまうんですが、そこまでの力はありません」

きっぱりと言い切る神尾に滝岡が眉を寄せたまま見る。

 それに、不安そうに事務長が訊く。

「ですが、その難民の人が百何人も死んだっていうのは?」

「確かに新しい感染症で、まだわかっていないことも多いですが、わかっていることも増えてきてるんですよ?イタリアへの不法難民の人達が感染した件では、狭い船内に沢山の人が詰め込まれて衛生状態が悪い条件で、患者さん同士の接触が強く感染したと考えられています。基本的に感染力は弱く、咳でとんだ飛沫に接触したりしなければ感染しないと考えられています。いまの処、医療機関での二次感染も、飛沫感染、――接触したことによるものの報告があるだけです。空気感染はしないと考えられています」

それに、と事務長に神尾がいう。

 穏やかに、事務長に視線をあわせてゆっくりと説明する。

「新しい感染症が発見されるときには、どうしても重症例、重い患者さんから発見されるので、当初の死亡率は高いことが多いんです。勿論、エボラのように高いままのものもありますが、これに関してはウイルスも単離されています。――つまり、どのウイルスが原因かもわかっています。それにあわせて、現在までの発症例をあわせて調査が進んでいますが、おそらくいま致死率が65%でも、これからさらに下がっていくと思いますよ」

説明を終えて、神尾が滝岡をみる。

「…確かに、だが、まだ解らない事の方が多い」

眉を寄せていう滝岡を神尾が見返してのんびりという。

「ですが、不安な患者さん達の処に、物々しい防護服を身につけていく必要はいまの段階ではありませんよ。まずは安心してもらわないと」

「―――おまえも隔離されることになる可能性はゼロじゃないぞ」

睨むようにいう滝岡に、にっこりと微笑む。

「とにかく、一緒に保健所の人達を下で待ちます」

「…―――」

額に拳を当てて、俯いて滝岡が目を閉じる。

「事務長」

「は、はいっ」

事務長が急いでいうのに、目を閉じたまま。

「いまこの瞬間からこいつを雇う。契約書を作っておいてくれ。こいつに何かあったら、この病院が責任を負う」

「…―――滝岡先生、…」

驚いた顔で事務長が神尾と滝岡を見比べる。

 滝岡が目を開けて、神尾を睨む。

「はい」

「――という訳だから、説明にいってこい。保健所の人達がきたら、指示に従ってくれ」

「わかりました。では、いってきます」

「―――…」

踵を返して出て行こうとする背に。

「事務長!白衣貸してやれ!」

「あ、はいっ、…!神尾先生、まってください、…滝岡先生、白衣はどうしましょう。予備をおいてある場所がその」

説明を始めようとする事務長を遮って滝岡がいう。

「――おれのロッカーに予備があるから、貸してやれ」

「わかりました!…神尾先生!こっちです!」

廊下を事務長の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、滝岡が眉を寄せる。

「ばかやろう…くそっ!」

いいながら、滝岡がボードを振り仰ぎ、それから西野にいう。

「これから、消毒業者の手配を行う。エアコンフィルターの確認、警備員の位置確認と―――」

西野に滝岡が短く指示していく。







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