First Contact 3
「――――おい?」
神尾が、勝手に部屋の隅から運んで来たホワイトボードに、―――。
「おい?」
ホワイトボードに紙を広げて張り付けている神尾に、滝岡が視線を向けて言葉を失う。
背中を向けて、にっこり笑んで神尾がのんびりという。
「いえ、見取り図を。必要でしょう?先に丁度この中を案内してもらう為にパンフレットをもらった処だったんです。そこのコピー機で勝手にコピーしました、すみません」
にっこりと全然まったく反省していない声でいうと、ホワイトボードに院内の見取り図をマグネットで貼付ける。
いいながらおっとりと拡大コピーされた院内見取り図を張り終わった神尾に滝岡が眉をしかめながら近付く。
「おまえな」
「はい、何でしょう?」
にこやかにいう神尾を睨んで、滝岡が見取り図を睨む。
西野を振り向いて呼び、図を示す。
「ここと、ここ、行き来をなくす。連絡は内線で取る」
「わかりました」
西野が書きとって、内線にとりつき、モニタに呼び出した見取り図に印を入れる。
それを背に、滝岡が見取り図を前に事務長に確認する。
「事務長、訓練したときの手順書はどこにある?防御服と、それに消毒薬のストックは」
「あー、はい、服はここで、――…。消毒薬のストックはこちらの倉庫にあります。手順書は各タブレットから呼び出せますが、紙で保管してある分は、待機所の防災備品と同じ処にセットされています。――――…滝岡先生、…その、準備してある消毒薬で、…効くんでしょうか?」
見取り図を指してから、心配そうに事務長がいうのに。
滝岡がくちを開く前に、神尾がにっこりと微笑んで答えていた。
にこやかに。
「大丈夫ですよ。このいま疑いが掛かっている病気のウイルスは、SARSとかと同じコロナウイルス系統だということがわかっています。このウイルスはエンペローヴという殻をもっていて、その殻が消毒薬に弱いんです。70%のイソプロパノールや、1000ppm次亜塩素酸ナトリウムで消毒できます。在庫はしてるんですよね?」
事務長にいってから、滝岡をみる神尾に唸りながら応える。
「勿論だ。―――…事務長、とにかく、この場所なら総合受付を迂回して行ける」
「かしこまりました」
緊張して返す事務長と滝岡をのんびりと神尾が見比べる。
緊張などかけらもしていない、のんびりとした口調で神尾が
ホールと総合待合い室の位置を確認しながらいう。
「それと、みなさん、お待たせするんでしたら、椅子か何かあった方がいいとおもいますよ。あります?椅子」
「あ、は、はい?椅子ですか?」
事務長が驚いて神尾を見返す。
中央の一番大きな入口から真直ぐに入って、総合待合い室。
検査室と入院病棟へ向かう通路と同じ幅を挟んで右側にホールがある。
見取り図を確認しながら、事務長を見返して神尾が首を傾げる。
「はい、椅子です。患者さん達に立って待っていてもらうのは大変でしょう?待合室と違って、ホールには椅子がないようですし」
多分、人が集まるときには、椅子を出してくるんですよね?と事務長をみて、にっこりと笑んでいう神尾にあわててうなずく。
「あ、はい、あります。事務室の隣りに会議室用の折り畳み椅子が、…どうしましょう?」
神尾に答えてから、戸惑って滝岡を仰ぐ事務長に。
軽く滝岡が神尾をみて眉を寄せてから息を吐く。
「一階の事務室にいる職員は、――事務室は会計の裏だな。…検査室に近付かずに運べるか?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。椅子を運んで、患者さん達に座ってまっていてもらうように」
眉を寄せて神尾を睨むようにしていう滝岡に、事務長が頷いて内線を掛けようと電話を手にする。
その事務長をみるともなしにみながら、神尾があっさりという。
「それから、トイレはどうします?滝岡先生」
院内図を前にのんびりと指摘する神尾を振り向いて、滝岡が沈黙する。
重い空気も感じないように、神尾がのんびりと院内図をみている。
「…―――トイレか、…。くそ、…!使ってないだろうな?」
「滝岡先生、言葉遣いがよくないですよ?」
内線をかけながら、受話器をおさえて言葉遣いを注意する事務長に、滝岡が眉を大きく寄せたまま唸る。
「すまないな、事務長、…―。しかし、――…くそっ!トイレか!どうするんだ、…!」
言葉使いが悪いまま、院内図を睨む滝岡に。
神尾がのんびりという。
ゆっくり、院内図をゆびさして。
「ここと、ここが一番、待合い室から近いトイレですよね」
「…西野、高井先生に患者がこの病院に入ってからトイレを使ったかどうか聞いてみてくれ」
「わかりました」
西野が感染疑いの患者を診察し、いまもその診察室に留まっている高井医師に連絡を取る。
その返答を待ちながら、滝岡が無言で歯を食い縛り院内図をみる。
「トイレは感染源ですからね。咳をした後、ノブを握ったり」
淡々と神尾がいうのに、滝岡が軽く息を吐く。
僅かに肩から力を抜いて滝岡が続ける。
「――接触感染だな。咳や何かで排出されたウイルスが感染力を保っていた場合、そこに後から触れて感染する。…それに」
「ウイルスが尿などに排出されているようですからね。どのような状態かにもよりますが、NARSでは、その飛沫等に接触することも感染の危険を生みます」
「…―――さらに、それが乾燥して宙を舞うことによる、吸入か」
緊張しながら、眉を寄せて滝岡が神尾を睨む。
事務長が、その二人に恐る恐る口を挟む。
「そ、それは、つまり、…―患者さんがトイレを使ってたら、その後から使った患者さんに感染の危険があるってことですか?」
滝岡が感情の見えない視線を事務長に向ける。
「――――、…」
「その通りだ。患者がどの程度、ウイルスを排出する状態にあるかにもよるが、…簡単にいうとそういうことだ」
淡々と感情を殺したように押さえた声でいう滝岡に事務長が息を呑む。
「そ、それは、その、…どうしましょう?」
トイレ、使ってる患者さんは沢山いますよ、と困惑している事務長に滝岡が息を吐く。
「…その場合は、聞き取りをして、トイレを使用していた患者さん達には、さらに別の場所に待機してもらう必要があるな。尤も、接触しただけですぐに発症する訳ではない」
「そ、そう、そうですよね」
うろたえている事務長を前に僅かに息を吐き、滝岡が西野を振り返る。
西野が高井医師からの伝言を伝える。
「トイレ、使ってないそうです!」
「わかった。ありがとう」
滝岡の言葉に、伝言の内容に事務長が肩を落として安心したように大きく息を吐き膝をつかむ。
安心して気の抜けている事務長を背に見取り図に滝岡が向き直る。
「あれ?」
神尾が総合待合いと初診待合いの位置を見比べて、細い廊下の奥にあるトイレの記号をみていう。
「これは、検査室にも通じてない?」
「…――ああ、検査用の窓があるトイレはこっちだ」
総合待合いと初診待合いとは反対側にある大きく伸びた廊下を示して滝岡がいう。
「こちらと、総合受付の境は?」
「パーテーションで区切らせた。こちらにきている患者は、受付側には戻らせてない」
「そうですか、…いま初診受付には、患者さんと内科の先生一人?」
神尾の質問に滝岡がうなずく。
「それと案内した看護師だ」
感染疑いの患者と同室で待機することになる医師と看護師。
無言で見取り図を見つめる。
同室で患者に対応を続ける医師と看護師は、尤も感染の危険に近い場所にいる。
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