ある物語の解剖

 劇場を出た後、セオドア・マーゴットはようやくシーザーのことを「クリフ」と呼んだ。あまりに「ハニー」呼びに晒されたシーザーは、それに違和感を抱くほどになっていた。目の前がチカチカし、まだあの金銭と欲望だけで造られた劇場の中に居るような気がしていた。

「戻ってきてないね、クリフ」

 セオドアが言う。シーザーは頭を振った。

「ところで、『泥棒ねずみ』っていうのはどういうことだよ、ダー……セオドア」

 セオドアは杖の先をこつんと石畳にぶつけると、シーザーの高い背を仰ぎ見た。

「まずは夢から覚めていないクリフくんに説明をしなければならないね。こっちにきたまえ。まず何か食べようじゃないか。いい夜だ。酒でも飲むかい」

「酒なんか飲んでる場合か! 『泥棒ねずみ』は! あの子はどうなるんだよ!」

「それも含めて話そう。君は夢から覚めるべきだ。さ、こっちに」

 プラハの夜はやはり美しかった。シーザーにはそれが闇オークションの続きのようにさえ思われた。夢の向こう側にいるような心地で、セオドアに言われるがまま座ったバルの個室の席には、すでに「予約reserved」の印がついていた。密談にはもってこいだ。

「いつ予約したんだ?」

「ついさっき。携帯電話で」

「いつの間に」

「君が呆けている間にね。……君にオークション会場は早かったかなと反省したところだ」

「俺はもう34だぞ」

「僕もだよクリフ。奇遇だね」

「何がだよ。同窓生だろうが」


 ところで、とセオドアが口を開いた。

「気づいたかい。あの会場のおかしなところ。君なら気づくはずだ、シーザー・クリフ警部補」

「わからん」

 シーザーは即答した。実際、何も分からなかったからだ。

「見張られていたこと、俺たちが貴賓室にいたこと、それから意外と客が少なかったこと――」

すばらしいexcellent、80点」

 セオドアは手を軽くたたいた。「そう、僕らは貴賓室にいて、意外と招待客が少なかった。それは正しい。そして、『セオドア・マーゴット』は、その数少ない招待客の一人だったんだ」

「どういうことだよ」

「さっきのオークションの商品。

「は?」


 シーザーはアラン・ウッドフィールド刑事の報告書の内容を頭の中で反芻した。

「盗品オークションの出品物は盗品が全てじゃなかったのか?」

ようだ。僕のような贋物蒐集家を呼んだのもそれが理由だろう。本当に選りすぐりの盗品だけを並べる盗品オークションであれば、で決着がつくはず無いだろう?」

「……俺には基準がわからん」

 シーザーは両手を挙げた。額に関しては降参だ。

「ともあれ」セオドアはワイングラスを空けながら言った。「今回のオークションは贋物と本物が混じっていた。それはわかるね?」

「お前が反応しなかったのが本物だったのか?」

「それは分からない。僕が心惹かれないと思っただけだからね。でもいくつか本物も無いと面白くない。そう『闇のオークショニア』は踏んだんだろう。多分いくつかは本物で、しかも盗品だった」


 シーザーは頭の中で今までのセオドアの言葉を整理していく。

「ほとんどが贋物の盗品オークション――じゃあ、わざわざ、なんのためにこんな催しを?」

 セオドアは酔ったためか多少潤んだ目でシーザーを見た。

「ああ、クリフ、まだわからない? 『泥棒ねずみ』だよ」

「わからねえよ!」

 セオドアは嘆息した。「ああ、スコットランドヤードの警部補ともあろうものが、僕の話についてこられないなんて――」

「赤ん坊にでも分かるように説明しろ名探偵シャーロック

「ふふ」

 頬を赤く染めた探偵は微笑んだ。


「『泥棒ねずみ』を競りにかけること、そして僕に『泥棒ねずみ』を競り落とさせることこそが、彼らの目的だったのさ、ね、


 シーザーははっと振り向いた。そこに立っているバルのボーイは、喉元に手を遣ってそっと何かのスイッチを押した。


「《おみごとです、ミスタ・マーゴット》」

 ――あの加工音声が響いた。

 シーザーは椅子から立ち上がり、そのボーイを取り押さえようとしたが、セオドアがそれを止めた。


「クリフ。ボーイは関係ない。末端も末端だ。僕らの監視役に過ぎない。ごらん、おびえているじゃないか」

 シーザーは舌打ちした。

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