闇のオークショニア

「古くは紀元前バビロニア。歴史家ヘロドトスは『妻を得るための競売』について記している。またローマ帝国時代には戦利品、捕虜を競りにかけたそうだ。人間が『人間』をオークションにかけることの現代における是非はともかく、世界には前例がある。何事も」

 セオドアは前を向いた。面している鏡のようなガラスの向こうには舞台が静かにスポットライトを浴びていた。まだライトの下には何も供されていない。おそらくあの場所に商品が出てくるのだろう。ここはいくつかある舞台の観客席の、【特等席】にあたるのだ。

「この2020年代にあってそれが蛮俗だという君の言い分は分かるが、ここじゃその道理は通らない。なぜならここは、ハニー、君の常識を覆す場所だ。何せ主催者も客も、そんな些細なのりなど平気で越えるからだ」

「どうかしてる」

「君のお気に召さないのは承知しているが、無茶は起こしてくれるなよ。君の短気が災いしないといいんだけど」

「……分かってるさダーリン。安心してくれ。今日は別にそんな気分じゃないんだ」


 セオドアの言いたいことはよく分かる。暴れるな、身分を明かすなと言うのだろう。ここでは孤立無援だ。チェコの警察にも連絡はとっていないし、イギリス国外でロンドン警察スコットランド・ヤードが勝手に動くことはできない。ここでシーザーが行うべきは、アラン・ウッドフィールド刑事の失踪の手がかり、および闇オークションの手がかりを得ることだ。それのみだ。


「――でも、『泥棒ねずみ』が気になってる事は確かだ。一体いくらの値がつくんだか、考えただけで……」

 吐き気がする。アラン。仮にアランが『泥棒ねずみ』として出品されていたら――。

「そうだねハニー。『泥棒ねずみ』じゃなくとも、君の欲しいものが見つかるといいけど」

 セオドアは寄り添うようにシーザーの腕を抱きしめ、そして招き、耳元でこうささやいた。


「僕ら、見られているみたいだ」


 シーザーは体をこわばらせるが、なだめるような手が、不自然なシーザーの動きをカヴァーするように添えられる。

「大丈夫、今の調子で合わせてくれれば良い。そうだな、適当にキスでもしとけばいいかな。そうしたら誤魔化せ――」

「ばかやろうが」

「――おっとハニー。やっぱりこういう場所だと恥ずかしい?」

「あたりまえだ!」

 シーザーの小さな罵声は聞きとがめられずに済んだようだ。セオドアはからから笑いながら演技を続けていく。

「ごめん、唐突にキスをしたくなったんだ。そう拗ねないでくれ、ハニー」

 シーザーは大きなため息をついてセオドアの顔の前にノーを突きつけた。演技だなんだと言って本当にやりかねないのがこの男だ。

「ダーリン、キスを安売りしすぎだ。大学の時何人女が泣いたか覚えてるか?」

「泣いた子なんていたっけ?」

「最低だな、おまえ。34人だよ」

「数えてたのかい?」

 セオドアは目を丸くし、シーザーは額を打った。まさか「セオドア・マーゴット被害者の会」と未だに連絡を取っているとは言えなかった。



《みなさま》

 朗々とした機械音声が響いたのはそのときである。少年とも少女ともつかない調整具合は、日本ジャパンの歌う機械音声ツールを想起させた。

《大変長らくお待たせいたしました。此度のオークションにご参加いただきまして誠にありがとうございます。『闇のオークショニア』より御礼を申し上げます》

「英語だ」

「訳の手間が省けたよ」

 セオドアは杖を握る手に力をこめ、爛々とした瞳をがらんどうの舞台上に向けた。

「『闇のオークショニア』、ね……ふうん、自称なんだ、おもしろい」

《目録はごらんになられましたでしょうか。皆様の期待に添うべく、集められた品々の数々を、今夜は余すところなくお目にかけましょう》

 

「……録音だね」

 セオドアがつぶやいた。シーザーは黙って、闇オークションの進行を見守っていた。舞台上に運び込まれてきたのはただの丸テーブルである。スポットライトの真下に置かれたそれは、思いがけない脚光にひるんでいるようにも見えた。

 次に舞台上に進み出てきたのは仮面を被ったスーツの夫人だった。手袋を嵌めた手に、何かを捧げ持っている。

 花瓶――、一輪挿しだ。


《目録ナンバー1。『秘色ひそくのたくらみ』。秘色とは、青磁のもっとも美しい色のことを言うんだとか。流線型を描くシルエット、美しい青。ここに何を活けるかは自由。日本のとある名陶が手がけたひとつのたくらみといえましょう。世界に一つしか無い一輪挿しです》

 そこで、仮面の夫人が声を張った。

「500ドルから!」

 即座に周囲から声が上がる。

「700!」

「750!」

「760!」

「790!」

 今までどこに居たのかというほどの人の息づかいがこだました。シーザーは息を呑み、空間に呑まれ、自分を忘れるほど目の前の花瓶に見入った。

「800!」


 隣でセオドア・マーゴットが凜と言い放った。

「820」

「えっ」


 だが、それ以上セオドアは値をつり上げることをせず、その『秘色のたくらみ』は結局別の人物が888ドルで買い取っていった。


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