見えない明日

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小学校を卒業したケンジは、地区の関係で僕とは違う中学へ行った。

「近所なのに変だよな。まあいつでも会えるけどな!」

そう言っていたケンジだったけど、サッカーの部活は日曜日でも休みなく練習しているためなかなか会える日は無かった。

たまたまに休みが合った日にあの洞窟まで行ってみた。

前よりしっかりと封鎖されていて、ちょっとやそっとじゃ入れそうにない。

何とかこじ開けれないかと奮闘してみたけど、こんな所にいる事が万が一見つかりでもしたらそれこそ大変な事になるので、僕らは諦めて早々に立ち去るしか無かった。



タケシはどうしているんだろう。

最初の頃はよく手紙が届いてたけど、最後にもらったのはいつだったかな、というぐらいになっていた。きっと新しい友達が出来て、もうそんなに寂しくないに違いない。そう思うと嬉しくもあり、少し淋しい気持ちにもなった。


ケンジは中学の3年間で一気にサッカー部を盛り上げ、学校始まって以来初の1年でレギュラーという快挙を成し遂げてからは当然の様に3年生でキャプテンにまで上がっていった。

でも全国大会出場権を決める大事な試合で足を挫いてしまい、何とか2位という成績を残したが彼はずっと悔いを残していた。

それから卒業まで、彼が再び試合を引っ張る事はなかった。


僕は冒険家を夢見ながらも相変わらず平々凡々な中学生活を送った。浮いた話も特になく、誰々ちゃんがあなたのこと好きらしいよという友達からの情報も、その時だけで終わった。

あとで考えてみればもったいない事をした、と思った。一度しか無い青春を僕は捨ててしまったのかも知れない。



中学校生活も残りわずかという頃。ひとまず地元の高校に合格した僕は、ある日久しぶりにケンジに会った。


「俺、県外に出るよ」

いつもの公園で彼は唐突に言った。

「工業高校だけど、全国大会出場の経験もある歴史あるサッカー部に入って、今度こそ優勝するんだ。何十年ぶりか分からないけど、歴史に名を残す男になるぜ!」

頼もしい言葉だった。

だけど、やっぱりちょっぴり寂しい気持ちになる。



きっとケンジは順風満帆にサッカーを続けて行くだろう。そしていつの日か本当にプロの選手になって、僕はそれをテレビで応援する日が来るかも知れない。

そしてタケシは、そのテレビにタレントとして出ているだろうか。


その頃僕は、何をしているんだろう。

平凡で何一つ不満のない今の人生に、僕は少しだけ不安になった。

みんな何か夢中になれるものがあって、夢があって。

僕は冒険家になりたかったはずなのに、あの洞窟の一件以来すっかり気持ちが冷めている。

もっと自由に、もっと好きな様に冒険がしたい。

だけど現実の冒険家は、好き勝手にあちこち行けるわけじゃない。世界はみんなのもので、どこも人間の管理の中でやれるようにやるしかないんだ、ということを理解し始めていた。きっと世界中どこへ行ってもそうなんだろうと。


余計な事を考えず、好きな事に夢中になれる2人が羨ましいと思った。

大人になる前の僕は、この時は本当にそう思っていた。



          2


高校で「考古学研究部」という怪しい名前のついた、部員も2人しかいないクラブに僕は所属していた。毎日古い文献を読んだり、メガネをかけた先生のウソがホントか分からない話しを聞いたり、だんだんと冒険から遠ざかっているような無機質な毎日を過ごしていた。


文化祭で町の古い歴史について発表するという、誰も来てくれないような企画のために僕は色々な参考文献をあさっていた。最初居たはずのもう一人の部員はいつの間にか来なくなってからは会っていない。

戦後の歴史やら近代の町の発展などをまとめていた時、ひとつの書物に目がいった。

それは「歴史には無い歴史」という不可解なタイトルだったが、僕は何となくそれを開いて

「あっ!」と声を上げた。

そこに写真付きで紹介されているのは紛れもなくあの洞窟だった。

文章は写真の下にページの半分しかなく、大して大きく取り上げられてるわけじゃなかったが、

「この奇妙な洞穴については戦前から存在すると考えられる。壕として使われ、炭鉱や資源を採掘するためにも掘られたが、中の構造は複雑で、蟻の巣状に入り組んでいる。その奥の一部からは、確証はないがおそらくかなり古い遺跡のようなものなども見つかっている」


僕は本の最後のページをめくってこれを書いた人を確かめた。

この町に生まれ育ち、東都大学で遺跡や古代文明などに携わる。と書いてある。

本が出版されたのはだいぶ前だが、この時点では享年という記載がないことから今でも存命している可能性がある。

僕はすぐにでもこの人に会いに行きたいと思った。


僕らより前に、僕らと同じものを見て驚き、感じた人がいる。

そう思うと胸が高鳴った。

長い間眠っていた僕の冒険心が大きく強く揺さぶられ始めた。



          3


普段頼りにならないクラブの顧問は、僕が見つけた本の人物に強く興味を持っていると話した途端、今まで見たことが無いぐらい尽力してくれた。

この作者は本校の卒業生ということもあり、出版社を通さなくてもコンタクトが取れたと自分の事の様に喜んで教えてくれた。

彼も本当は同じ仲間を欲しがってたのかも知れないな、と僕はそっと思った。


先生が先方にアポを取ってくれた日曜日、僕は電車をいくつか乗り継いでその人の住む場所に向かった。


着いたのは、何でもない普通の平屋住宅。

本を出したら印税とかで儲かるという話しどこかでを聞いていた僕は意外な住まいに少しだけ期待はずれだった。

「安斎」と書かれた表札のインターホンを押してみたが反応がない。

相手が出ないのではなく、どこかで何か鳴ったような音がしないのだ。

何度か押して、多分壊れているんだろうと思った僕は玄関の引き戸に手をかける。何の抵抗もなくカラカラと軽い音を奏でてそれは開いた。

「あの~。ごめんくださーい!」

ドキドキしながら玄関で声を出した僕の所に、

少し年齢を感じさせる女性が現れた。

「はいはいごめんなさいな。どちら様でしよう?」

おそらく奥さんと思われるその人に

「あ、あの。学校から、今日先生にお会いさせて頂く約束をしてもらったの者ですが…」

それで分かってもらえたらしく、女性は

「ああ、はいはい存じておりますよ。先生は奥の書斎におりますのでご案内しますね」

と言って僕を招き入れてくれた。

僕につられたのかも知れないが、自分の旦那さんを先生と呼ぶなんて、何だか微笑ましいなと思った。


ドアをノックして「安斎先生。お客様がお見えですよ」と女性はまたよそよそしく声を掛ける。

部屋の奥から「どうぞ」と落ち着いた声がして「どうぞ」

と奥さんがドアを開けてくれた。

「失礼します」

僕は初めて会う、憧れの冒険家かも知れない人の書斎に、少し緊張しながら進んで行った。



          4


「良く来たね。話は聞いていますよ」

かなり高齢だと思うのだが、その声は張りと落ち着きと威厳を感じさせた。

「私の書き物に興味を持って頂けて嬉しいよ。特にあの本は、あまり人の興味を惹くものではなかったからね。私も個人的に趣味で書いたようなものだ」

何となく分かる気がした。

地元の人達ならともかく、名前も知らない小さな町の昔話や洞窟の事に興味を示す人なんて、ほとんど居ないと思われた。きっと学校もあの本を購入したのではなく、この人から寄贈されたに違いない。

「ときに君は、どうしてあの本に興味をもったのかね?」

僕は初めて山道を見つけた事。友達と一緒に探検した事。そしてその奥で不思議な絵文字を見つけた事を話した。

そして安全上の理由から、今は封鎖されてしまった事も。

「…そうか」

彼からは残念な表情は見られなかった。それどころか少しホッとしたようにも見えた。


僕は真っ先に一番疑問に思っている事を尋ねた。

「あの…。あの洞窟にあったのは、古代人が描いたものなんでしょうか」

発見した時は興奮して、絶対そうに違いないと思っていた。でも時間が経つに連れ、実は誰かのいたずら書きかも知れないと思い始めていたのだ。

目の前の老人は真っ直ぐに僕を見た。

「君は、どう思う?」

質問返しにやや戸惑ったが、僕は思った事を伝えた。

「僕は、本物ではないかと思っています。いえ、正直言うと本物であって欲しいと思います。ただ…。自分の町で、あんなちっぽけな所で、そんな大発見があるのかなと…。正直自信がないです」

彼は目を細めて何度も頷いた。厳格な雰囲気なのに優しい目をしていた。

「そう、それでいいんだよ。今はそれでいい。新しい発見など、始まりは大抵そんなものだ。発見者が亡くなってから真実に気付く事もある。みな、見たことのないものをいきなり信じられるようには出来ておらんからね。それが当たり前だ」

黙って頷いた僕に老人は言った。

「だが、あれは本物だ」

えっ?と目を開いた僕に、彼は立ち上がってズラリと並んだ本棚からひとつの書物を取り出した。

それをペラペラとめくって「ごらん」と僕に見せる。

僕は唖然とした。

あの洞窟の壁の絵にそっくりなものが、カラーの写真で紹介されている。絵の下の文字もあの時見たのとおんなじだ。

「これは日本の古代文明が栄えた時に、神へ捧げるために描かれたものだ。解説にもある通り、厄災を払い、無事を祈り、平穏に感謝する言葉が記されている」

写真の下の解説には確かにそう書いてある。そしてそれを解読したのは有名な大学の偉い教授とそのグループだ。

「もちろんこれはあの洞窟のものではない。遠い西の地方で発見された物だ」

「じゃ、…何で同じものがあの洞窟に?」

僕は興奮して訊いた。

「この文明は永く栄えた。川を渡り、土地を拓き、日本の多くの土地でその文化を築いただろう。君の、君と私の住む所にも、その暮らしが移り住んで来た事は想像に難くない」


「だがいつの世にも争いは起こる。この文明も新たな支配者達によって滅ぼされた。崩壊する直前、彼らは山奥や洞窟に身を潜めて暮らしていたとも考えられる」

老人は続けて言った。

「複雑な迷路を構築して、ね」


僕は悠久の時代に思いを馳せた


栄華を誇った文明。どんな栄えてもいずれは滅ぶ時が来る。それはいつの時代でも変わらない。

古代の人達は、滅びゆく文明の中で最後まで神に祈ったのかも知れない。いや、もしかしたら自分達がここに存在した証を、何らかの形で残したかったのかも知れない。

そしてその願いは人知れず脈々とあの場所で眠り続け、僕に、いや、この老人に発見されたのだ。


それにしても疑問は残る。この凄い発見をした彼は、どうして世の中に知らしめなかったのだろう。こんな平屋ではなく、もしかしたら一生困らない程の財産を手に出来たかも知れないのに。

僕はその疑問を思い切ってぶつけてみた。

老人の優しい眼差しが、少し寂しそうに揺れる。


「まだ私が若い頃、それは野心もあり自己顕示欲もあった。世界中飛び回って、あちこち掘り返しては未知の遺産を発見したりもした。チベットのボルテ遺産も我々のグループが発見したものだ」

僕は驚いた。その遺跡はカナダのチームが未開の土地で発見したもので、一緒に参加していた日本人が重要な手掛かりとなるものを最初に発見したんだ。僕の冒険心を大きくくすぐるもので色んな記録や書物を何度も読み返した覚えがある。

その人物が、目の前にいるなんて。この老人が、その人だったなんて…!

貧しそうな住まいを見て偏見の目で彼を見ていた自分を心から反省した。

「でも…。だったらなおさらどうして?」

「発見に至るまでは厳しさの連続だった。なにせ誰も行ったことのない場所だ。地図なんてものもない。途中で滑落して亡くなってしまう仲間も居た。それに…」

彼は少し言葉に詰まった。

「現地には原住民が居たんだ。誰にも憚れる事なく、静かに暮らしていた人達だ。我々は交渉して、彼らが神聖な場所として崇めている土地にまで踏み込んだ」

少し哀しそうな顔をして老人は言った。

「嘘をついたんだ。決して荒らさない、大切な物には触れない、と。ところが私が古代遺跡の手掛かりを見つけた時、チームは色めき立ってそこら中を掘り返してしまった」

無言で聞いている僕に彼は続けた。

「世界初の大発見だ。それはすごい事だよ。だがね、大切な場所を荒らされた原住民はどうだろう。そんな発見なんて彼らには必要も価値も見出だせない」

「怒った、ですか?」

当然だろうと思って僕は訊いた。

「怒らなかった。ただ、悲しい顔をしていたよ。その時は分からなかったんだが、歳を追うごとに考えた。大切なものは、何だろうかってね。世界の多くの人にとっては、もちろん我々冒険家たちにもそうだが、新しい発見は宝物だ。だが住んでる人達にとっては違う。そんなものより大切なのは、みんなが静かに密やかに暮らして行けること。

彼らは怒りはしなかったが、二度と来てくれるなと言った。賠償すると言っても、彼らには金銭のやりとりの文化は無かった。そんなものは無意味だったんだよ」

老人は開いていたページを閉じて言った。

「なぁ、君。君たちや私が発見した物はおそらく誰にも知られてないものだ。きっとすごいニュースになるだろう。だが私は、愛する故郷を、あの昔からの姿のままでいる美しい山を、誰かに壊されてしまうのが怖いんだ。…自分がしてきた事なのにね」

すごく分かる気がした。僕もあの山が大好きだ。


子供の頃からちっとも変わらない景色。草木も虫も、本当に自然のままで育まれている。

もし僕があの場所の、洞窟の秘密を誰かに話したら。

きっとこぞってみんな押しかけるだろう。

何年もかかって昔の人たちが築いたものも、その奥の壁画までスムーズに行くために大きく変わり果てるかも知れない。

それは、嬉しい事なのだろうか。

僕は本当に、それを求めて居るんだろうか。

「これは私の持論だがね。冒険家にとって最も大切なのは、見つける事よりも護ること。古代人が残した大切な遺産を、決して破壊するような事はしてはいけないんだ。

たとえそれが小さな小道であったとしてもね」



僕は丁寧にお礼を言って、老人の家を出た。

奥様にもよろしくお伝え下さいと言ったが

「ああ、あの人は家の事をやってもらってる家政婦さんだよ。家内は随分前に亡くしてね」

と初めて知った。頭を下げた僕に「いいんだよ」と彼は手を振って優しく見送ってくれた。



帰りの電車で、ずっと考えていた。

 大切なもの。

僕にとってそれは、何だろうかということを。



          5


全国大会出場をかけての大きな大会だった。

あと1勝すれば大会出場権を与えられる大事な試合だ。


最後の決勝戦の前日、突然の不幸がケンジを襲う。

青色になった歩行者信号に気付かず、ながら運転をしていた乗用車はノーブレーキで彼に突っ込んだ。


意識不明の状態と聞かされて、僕は泣きながら病院へ向かった。



サッカーボールを上手に扱う、幼いケンジの姿が思い浮かんだ。


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