初めての彼女が魔女でした

第1話「彼女のこと」

「君は、ほんっとーに分かってない！」

　観覧車の前で駄々を捏ねだしたモノリアに対し、彼氏である朝日南勇人（あさひなゆうと）は、「はいはい」と適当な言葉で応じた。

　夜の遊園地で口喧嘩を始める彼らを、周囲の人々は半ば呆れた様子で見守っている。しかし大半は、彼女のこの世の者らしからぬ色香に、密かに見惚れてさえいた。

　藤色に染まった髪の毛を秋の夜風に揺らし、透き通った瞳の色は薄浅葱（うすあさぎ）といったところだろうか。

　その瞳が、取るに足るような特徴を何一つ持ち合わせていない、一人の青年に向けられているのだ。当然、周囲の評価としては「不釣合いだ」、と認識されている。

　――くぅーーっ！ 俺の彼女、怒ってても可愛いとかマジ無敵じゃんっ！

　そんな周りの評価などお構いなしに、ユウトは今日も心の中で彼女への愛を叫ぶ。

「ねぇ、ちゃんと聞いてるの？」

「あーはいはい、聞いてますとも聞いてますとも！

　そりゃーモノリアさんの言うことは一字一句聞き逃したりなんかしゃーせんよ……となんだっけ？ 」

「――――っ！？」

　心の中で愛情と理性が格闘しているとき、眼下の会話に意識を置いておくことができないのは、彼の悪い癖だ。

　案の定、その適当な態度が火に油を注いでしまったようで、彼女は、

「私がいつまでこの世界にいられるのか、分からないんだよ！？」

　と声を張り上げる。

　なにやら意味深な彼女の言葉に、周囲の連中が唖然とする中、ユウトだけが「またこれか」といった表情を浮かべていた。

「あのねぇ〜、君は度々そうやって意味の分からないことを言って上手い具合に話を乗せようとするけど、それが君の策略だってことくらいいい加減こっちも気づいてんの！ この前だってそれで俺がアイスを奢る羽目になったんだ！ も〜うそんな手に乗せられてたまるもんか！！」

　長々と喚いた後、これでもかと得意げな顔を見せつけてくる彼に負けまいと、彼女も口を開く。

「……だって、だってだってだってだってだってだって！！！」

「……だって、なにさ？」

「君との思い出をできるだけ増やしておきたいの……だから！」

「…だから？」

「乗りたいっ、カンランシャ…」

　――ちくしょうっ、俺の負けだァ！！

　彼は彼女の上目遣いにめっぽう弱い。

　仕方なく二人分のチケットを購入する姿を、彼女は満足気に見ていた。その顔を見た彼もまた、まぁいいかと許してしまうのだ。

「……モノリアさん？」

「んー？」

「あの上目遣いはわざとかね？」

「どうかね〜？」

　――ッたーーー！ 可愛らっしい！！

　ゴンドラに乗り込み、二人向かい合うような形をとって座る。座った拍子に目が合い、彼は照れ隠しをするように、視線を自分の膝元に置いた。

　モノリアとの交際が始まって、もうすぐ一年が経つ。それはまぁ、何もかもが順調とは言い難かったけど、彼の十七年の人生で初めての彼女、幸せというよりこの上なかった。たくさん笑って、喧嘩して、仲直りして。傷付くことも、笑い合えることも、彼にとってはどれも喜びに感じられた。

　それでも、やはり心残りというものはある。彼は、彼女、モノリアについて知らないことが多すぎるのだ。

　出身地、家族関係、年齢さえも分かっていない。尋ねたことは何度もあるが、その度に彼女は冗談めかしいことを言って誤魔化すのだ。いつしか、彼の方から聞き出すことを諦めていた。傷付くからだ。彼氏として。

　――本当は、モノリアが言う可笑しな言葉とか、そういうの全部理解したい。

　それでも、彼女のことを大切に思うのなら、干渉し過ぎないことも必要なのかもしれない。

　彼はそう自分に言い聞かせ、彼女の方に視線を持ち上げた。

「なぁ、モノリア。この後………――っ！？」

　その顔を目にした途端、彼は絶句した。顔色が悪いのだ。夜だからとか、室内だからの問題じゃなく、明らかに蒼白な顔色をしている。

「……んー？ どうしたのー？」

「どうしたのじゃねぇだろっ！ 体調悪いのか！？

　寒いとかっ！？ 俺のパーカー貸すからそれ着てくれ！」

　そう言って自身が着ている白いパーカーを、落ち着きのないまま脱ごうとする。パーカーの下はシャツなので、法律的な問題はない、が、

「……ユウト」

「―――！？」

　そんな彼を、珍しく名前で呼び止めた。

「大丈夫」

　そう言って作られた彼女の笑顔を、窓の外から差し込んだ月の光が照らした。

「だ、大丈夫って……、でも顔、が――」

　納得のいかないまま言葉を紡ぎ出そうとする彼の唇に、彼女は人差し指を当てて無理やり塞ぐ。

「見て」

　自身の視線を窓の外に向けることで、彼の視線も同じ方向を向けさせる。

「月が綺麗だよ」

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　帰り道、二人の間にはまだ気まずさが残っていた。モノリアは彼の家の近所の花屋に、住み込みで働いているので、デートの際は必ず彼女をそこまで送ることにしている。

　彼女の体調は相変わらずで、時折、息使いが荒くなるのを、彼は背中を摩ってやることくらいしかできなかった。

　苦しんでいる彼女が隣にいるのに、彼はまた、自分が傷付くことを恐れているのだ。作り物の笑顔で、抱えている苦しみを隠されてしまうことを。

　――不甲斐なさで潰れてしまいそうだ…

「楽しかった、…今日」

　唐突に彼女が呟いた。

「そっか、それは良かった」

　彼女は気を使ってくれたのだろうが、その事が益々彼を惨めな気持ちにさせる。

「私ね、ユウエンチなんて…初めて知った。この世界には面白いものが沢山…あるんだね」

「あのさ」

「…んー？」

「モノリアはどこの世界の人なの？」

「……それは――」

　ほんの一瞬、彼女は戸惑った表情を見せたが、

「……ごめん、言えない」

「――っ！」

　いつもと同じ返答だった。

　また一つ、彼のプライドに深い傷が付く。彼女を知りたい、理解したいと思う気持ちが、逆の方向に作用している気がしてならない。

　その後の道に、二人の会話はないまま、目的の花屋に辿り着く。

「ありがとね、送ってもらっちゃって」

「礼なんていいんだ。それより早く休んだ方がいい」

「分かった、……それじゃ」

「……うん」

　ぎこちなく別れの挨拶を済ませたが、何故だか彼女の方が帰ろうとしない。その場に呆然と立ち尽くし、不安定に頭を揺れ動かしている。

「モノリア？ 大丈夫か……？」

　彼がその顔を覗き込むようにして彼女の体調を伺うと、忽ち彼女は呼吸を荒らげ、顔の輪郭にそって流れ出る汗を、顎先で滴らせた。

　彼女は限界だったのだ。

「モノリア！！ 今すぐ病院に行くぞっ！ 今回ばかりは拒否権なしだ！！」

　そう言って彼がその手を引いた途端、彼女の体はちょうど彼を抱き締める形になって、もたれ込んだ。

「――っ！？ 大丈夫か！？」

「――だよ...？」

「え？」

「本当に、楽しかったん……だよ？」

　脆弱で、空気の隙間に埋もれてしまいそうなほど小さな声が零れる。

「何言ってんだっ！ 取り敢えず救急車呼ぶから、一旦どいてくれ」

「――くない、このまま…離れたくないなぁ」

「モノリア！！ しっかりし、――っ！？」

　彼の唇を塞いだのは、今度は人差し指ではなく、唇だった。

　唖然とした表情の彼に、

「ありがとね」

　と笑いかけ、彼女は店の中へと入っていった。

　彼は、まだ温もりの消えていない自分の唇にそっと触れる。

　――初めてのもののはずが、何故だかそんな気がしない

　しかし、彼はすぐさま正気に戻り、彼女の後に続いて店の中に入った。

　――っざけんな！！ まだなにも……

　店の中には、案の定、彼女が苦しそうに蹲っていた。

「全然、大丈夫じゃねーじゃねぇかぁぁ！！」

　険しい顔付きで近づいてくる彼に、彼女も気が付き、空っぽの腹を振り絞るように声を上げる。

「こっち来ちゃダメっ！！ 危ないからっ！！！」

「苦しんでいる彼女目の前にして、呑気に放っておける彼氏がどこにいんだよぉぉ！！！」

　彼が彼女の手を掴んだ途端、二人の傍らの空間に亀裂が入り、みるみるうちにその裂け目を広げていった。やがて、視界全体が青白い光で満たされると、彼はいよいよ耐えられなくなり、目を瞑った。

　次に目を開けた時には既に、二人は沢山の巨木が生い茂る森林の中にいた。

　☆ちょっと1話を長くしすぎました。次回からもう少し短めにしようと思うので、読んでもらえたら幸いです。(⌒ ͜ ⌒)