10年後


「どういうつもりだ!」


男は珍しく声を荒げていた。社長室に呼び出された男は予期していないことを伝えられたのだ。


「今までその場で射殺していたアライグマをこれからは捕まえて毒ガスで処理するだと!なぜそんな恐怖を与えてから、苦しませるような殺し方をする!銃で頭を撃ち抜けば楽に死ねる!」


社長はやれやれという風に首を振る。


「出資元の要望だよ。銃で殺すなんて野蛮だってさ。仕方ないだろ、相棒。これが奴らなりの動物愛護なのさ」


そして社長は机を指で2度トントンと叩くと


「これからはお前たちラクーンハンターも必要ない。バッチと銃を置いて出ていけ」


と言った。


男はバッチを荒々しく叩きつけると机の上に弾丸をばら撒いた。


「待て、銃も置いていけ」


「忘れたのか?これは俺の私物だぜ」


「あぁ、そうだったな」


男は机の上にばら撒いた弾丸の一つを掴むと懐にしまった。


「これは退職金代わりだ、相棒」


そう言って男は社長室から出て行った。


社屋から出ると弟子の青年がいた。


「よう、酷い話だぜ。あんたに師事してラクーンハンターとしての道を極めたのに、不要となればお払い箱か」


両手に荷物を抱えた青年の周りには同じ境遇の者たちが集っていた。


「あんたをリーダーに据えて新しい駆除会社を立ち上げようってみんなで話してたんだ。もちろんあんたは話に乗るよな」


「ありがたい話だが、俺はもう廃業にする。旅に出るんだ」


「伝説のラクーンハンターが廃業だって?信じられないな。どこへ行くんだ?」


男はボロボロの車に荷物を放り込みながら


「あてどない旅だよ」


と言って青年たちと別れた。



男はバーボンをラッパ飲みしながら車を走らせた。


本当に目的地などない旅路だ。思えば若い頃からアライグマを殺す以外のことは何もしてこなかった。もっと若ければ、なにか違う仕事を探していたかもしれない。しかし、年老いた男にとっては全ては遅すぎたのだ。


車で寝泊まりしては進み、また車で寝泊まりをしては進み。1週間が経とうとした頃に、男は林に何かいることに気づいた。


車のダッシュボードから拳銃を取り出し、近づいてみると1匹のアライグマが罠にかかっていた。酷く怯えたそれは男に威嚇するも力無く、今にも消え入りそうな、か細さであった。


男は罠を忌み嫌っていた。なぜなら罠にかかったアライグマは長く苦しみ、苦しみ切って死ぬからだ。


男はひと思いに楽にしてやろうと一発の弾丸をリボルバーのシリンダーに込め、アライグマに狙いを定めた。


しかし、男は拳銃を下ろし、アライグマの罠を解いてやった。男に哀れみの心はなかったが、アライグマを助けることで、自分の中の良心が返ってくるのではないかと思い付いたのだ。


罠を解かれたアライグマは一目散に逃げるのかと思いきや、男の足に擦り寄った。男の車にまでついてきて、車に乗り込むまでに至った。男はアライグマを追い払うこともせず、されるがままアライグマを助手席に座らせ、なんならシートベルトまでした。しかし、男の良心が戻ったわけではなく、これもまた良心が戻るかどうかの賭けであった。


こうして1人と1匹の旅が始まった。


男とアライグマの旅は順調であった。このアライグマとの波長があったのか、男は頻繁にアライグマに話しかけ、時折笑うことさえあった。良心は回復しつつあるように男は感じた。


男は孤児であった。両親を戦争で失い、戦争孤児となり、やがて自身も戦場に送られた。毎日毎日、銃声で目が覚め、毎日毎日、敵を殺した。戦争が終わり、平和な世であっても男は銃を手放さなかった。殺す相手が人間からアライグマに変わっただけだ。


男の射撃の腕は戦時中、確実に相手を即死させれる眉間を撃ち抜くために鍛えられた技術だ。酷い破傷風にもがき苦しみ絶望の中で死んでいく捕虜を何人も見てきた。いっそ楽にしてやりたいが、戦争法により捕虜に手をかけるわけにもいかず、何もできない自分の無力さを嘆いた。他の兵士たちは敵国の兵士を人間扱いしないことで心を守ったが、不器用な男はそんな柔軟さなど持ち合わせてはいなかった。人間を殺すことに真摯に向き合い続けた結果、男の心は壊れてしまったのだ。戦地から戻ると、酷いPTSDに悩まされ、ベッドで寝ることもできなくなり、酒とタバコに依存する毎日。家族も友達もおらず、男は喋り方すら忘れそうなった。やがて哀れみと良心を失ったが、それでも殺されるものの尊厳だけは守ろうと努力した。


男とアライグマは旅路の途中、奇妙な出会いをした。打ち捨てたれた案内用ロボットに出会ったのだ。寿司屋とかの受付に置いてある人間型のやつだ。古びた案内用ロボットは壊れていたが、かろうじて自我は保っていた。


「僕はポッパーくん!お困りのことがあれば何でも聞いてください!」


「どうして捨てられたんだ?」


「普通に考えたら分かるけど、人間が案内した方が早いでしょ。なんで作る前に気づかないかな」


「たしかに」


男は用済みとなり捨てられたロボットに自分を重ねた。戦争が終わるやいなや、国から見放された自分と。方針が変わり、長年勤めていた会社から解雇された自分と。


「人生の最期にしたいことはあるか?」


「海が見たい。見たことないんだ海」


ポッパーくんは答えた。ここから1番近い海岸でも車で1週間はかかる。男は迷わずポッパーくんを後部座席に寝かせ車を走らせた。


「ポッパーくん、1週間で間に合うか?」


「多分ちょうどぐらいじゃないかな」


ポッパーくんは余命幾許かというのに、あまり悲観的ではない。命の重みをあまり理解してないようだ。ロボットに命がないという考えは、人間の傲慢さを表している。彼らは確かに生きている。今際の際に海が見たいなど、生命を持たぬものが言うはずもない。少なくとも男はポッパーくんを1人の人間として扱った。


海を目指し5日ほど経ったころ、ポッパーくんより先に車のエンジンが寿命を迎えた。男とアライグマは動かなくなった車を泥だらけになりながら付近の修理屋まで押した。


「どうしたんだ?スコールにでも出くわしたか?」

髭を蓄えた修理工は冗談を交えながら車のボンネットを開くと顔色を変えた。



「こいつは酷い。エンジンが完全に死んでやがる」


「どれくらいかかる?」


「値段と納期か?これぐらいだ」


修理工は両手をパーにして顔の横に掲げた。


男にはとうてい払えない金額の上に、修理に5日もかかれば、ポッパーくんは海に辿り着く前に死ぬ。


「頼む。半額にした上に納期を1日にしてくれ」


「馬鹿言うんじゃないよ、こんなゴミ持ってきて。修理の予約が何件も入ってるんだ。さぁ、帰ってくれ」


修理工が追い払うようなジェスチャーをしながら男に退店を命じた。引くに引けない男は最終手段を取ることにした。


「ならこいつで支払うことにする」


男は拳銃を取り出して掲げた。


「この店で強盗とはいい度胸だぜ!」


店主も応戦しようとカウンターからショットガンを取り出したが、男の思惑は違った。


「勘違いするんじゃねぇ。俺の命で支払うと言ったんだ」


男はそう言うとリボルバーの薬室に弾を一発込めてシリンダーを回転させ、自分のこめかみに銃口を押し付けた。


「おい!何するんだやめろ!」


修理工が制止する間もなく男は引き金を引き、激鉄がおろされた。幸い、その薬室には弾は入っておらず弾は発射されなかった。


「まだ足りねぇか?」


戸惑う修理工をよそに、男は躊躇わずもう2回引き金を引いた。これもまた不発で、幸運な男の脳みそがぶちまけられることはなかった。


「分かった、分かった!納期は1日で、値段は半額だな!言う通りにするよ!」


修理工は跪き、男の足にしがみついて懇願した。男の度胸に腰を抜かしたようだ。男は修理工にありがとうと言い店を後にした。


結局、半日足らずで修理は終わり、男は有り金を全部修理工に渡した。それは元の値段の半額にさえ足りていなかったが、修理工は見なかったフリをした。


「あんたイカれてるよ」


修理工の言葉を背に、旅は終局を迎えようとしていた。


海につき、男とアライグマは、砂浜にポッパーくんを運んだ。ポッパーくんの意識はもうほとんどなかったが、かろうじて無限に広がる青を感じることはできた。


「これが海……」


「あぁ、そうだ」


男は静かに頷く。


「天国ではみんな海の話をするんだよね……」


「あぁ、そうだ」


「潮風が気持ちいい……」


「……」


「……あのね?」


「なんだ?」


「僕、生まれてきてよかったよ」


「……」


ポッパーくんは死んだ。安らかな死であった。


男の目には涙が溢れていた。生まれて初めて泣いたのかも知れない。確かなことはその涙は、自分ではなく他人のためであった。男は良心を取り戻したが、同時に親友を失った。


「さぁ行こうか」


ポッパーくんの埋葬を終えた男がアライグマにそう言いながら振り返ると、アライグマが男の拳銃を男に向けて構えていた。


「お母さんとお父さんの仇……」


アライグマは憎しみに満ちた目で男を睨んでいた。男は全てを察し、報いとはこういうことなのだと悟った。


男は両手を挙げ、こう言った。


「哀れに思うなら、ひと思いにやれ」


海岸に銃声が響き渡った。


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