「遁げ武蔵」6

それから、銭というものを知った。

村に居たときには、そういうものがある、とは知っていたが、実物を見たことはなかった。いや、あるいはあったかもしれないが、己のものとして持ったことはない。

あるとき、戦の報酬に、銭が出た。

すべてが銭ではなかったが、一部が銭で出た。

こんなものをもらっても、とおもった。

いまと違い、貨幣経済が発達していない。これよりしばらくときが下り、江戸時代もはじめを過ぎれば貨幣というものは経済の中心となり、交換の中心が米であった昔に戻ることは出来なくなるのだが。

米を中心とした幕府、武家の経済というものがいずれ破綻してしまうことは、いまこの武蔵の生きてあるころには影も無い。いや、ある程度予見できるものもいないではなかったろうが。

堺に目端の利く商人達などであればともかく、京大坂といった当時の経済中心地以外で、銭というものはそうそうひとが目にすることもない。

そうしたころに、銭を貰ってもなんと納得できよう。

大体、いろいろな通貨が、ごった煮に流通していた時代である。統一された通貨は、秀吉が幾らか打ち出しはしたものの、本当に流通するところまではいっていない。殆どが、大名同士のあいだで贈答に遣り取りされるくらいのもので、雲の上のものでしかない。

本当に食える米を頂いたほうが、よほど有難いのだ。

銭はくえない。

実際に、戦の褒美も殆どが米であった。

米の方がまた、何と交換するにも安定している。銭を中心に、いくらでもそう米さえ買い付けることのできる経済は既に発達していたが、それはまだ狭い範囲のことであった。

銭など見慣れていない武蔵にとっても、米の替わりに銭など、迷惑でしかない。

めずらしく文句をいった。

武蔵にしては、長い話をした。

 つまり、銭ではこまるという話である。

「銭はこまる」

無言でこういったあと動かない武蔵に、相手も困ったことであろう。困った相手に、武蔵はまた話した。

「くえない」

銭を手にみせて、頑として動かない。また、戦場の槍働きも巧みなものが巌のように立つのである。報酬を与えにきた役目のものもこまりはてたろう。

 こまりはてて、武蔵に丁寧に役目のものは説明をした。好きで丁寧にしたものでもなかろうが、猪さえ射殺すような眼光の相手が、頑として銭を手に前に出してうごかないのである。丁寧に説明するより他にないであろう。

 丁寧に説明した。

 役目で褒美を渡して、納得されずに首を失ってしまってはこまる。

 本当にていねいに、一から説明した。

 向き合えば生きた心地もしないであろう爛々とした武蔵の眼光を前にそれでも説明することが適ったのは、ある意味なれもしていたからであろう。

 武蔵のように、銭をみたことのないものはすくなくはない。

 銭で支払うものもまた、すくなかった時代である。説明しながらも、何でこんな目に、とおもっていたかもしれない。主家が、銭でなくすべて米で出してくれれば、こんな苦労はしなくて済むのである。

 ともあれ、説明をいくども繰り返しきいて、ようやく武蔵が納得をみせたときには、役目のものはほっとしたであろう。

 この銭が、くいものになるか。

 だが、武蔵が納得したのは、ようやく銭を実際に交換し、食いものを手にいれてからのことである。このあたり、武蔵は用心深い。疑り深いともいえる。実践に何事も行わなければ、信じることのすくない性質なのである。

 銭はともあれ、食いものにばけた。

 そして、便利なものだと納得した。

 懐へ入れば、すとんと納得する。

 これはいいものだ。

 納得もした。

 第一携帯に便利である。決まった棲み家を持たない武蔵のようなものにとり、いつでも食いものに交換できるものを、嵩張らずに持ち運べることは便利であった。

 もっとも、いつでもというものでもないだろう、と武蔵はみている。

 このあたり、銭というものをみる目が怜悧である。

 冬場の、本当に食糧のすくないとき、食うものが何も無い飢えた季節には、この銭というものは、単なる石くれにしかすぎないだろう、とみている。

 腹が本当に減ったときに、これを喰うことはできん。

 干し飯や、種を乾燥させて練りあげた梅に薬草などを加えたもの、干し肉をさらに燻した乾物など。

 銭はこれらのものと比べるべくもない。

 けれど、季節の良いときには、便利なものだ。

 武蔵は銭の価値を淡々と認めていた。

 後年まで、武蔵は常に蓄えをもち、不自由することはなかったと伝えられている。それは、このころおぼえたこの価値観によって得たものだといえる。

 飢えない為に、必要に応じて携帯し、あるいは蓄えて不意の用に費えとする。後年武蔵は弟子などが旅立つときには、棲み家の梁などから吊るしてある幾つもの小袋から、ではどれを持っていけ、と渡したという。袋には銭が詰まっており、旅などに用立てるようにと渡すのである。

 くえなければ、ひとはさもしくなる。

であるから、用立てるが良いと渡すのである。蓄財を、武蔵は己の為に行おうとしなかった。不意の用意の為にするのであるが、必要なものがあれば惜しまずあたえた。

自然、そういう人物のまえには、金銭も集まるように出来ている。

多くを求め、銭の為に銭を求めるようなことを武蔵はしなかったが、生涯金銭に困ることがなかったというのは、かえって金銭に拘ることをしなかったからであろう。武蔵に大切なことは、食いものに換えることのできる銭であった。銭だけを稼いでも仕方が無いのである。

 さて、随分と武蔵と銭の話をしてしまったが、であいから以降、武蔵は銭とは終始よい関係を保ったのであった。

 そして、銭を食いものと兌換するものとしてのみ捉えたように、戦に働き功を立てることを、武蔵は食いものを手にいれるために。稼ぎ場として捉えて、戦に出掛けていたのである。

 食べるために、真剣に稼ぐ。

 故に稼ぎ、功が生まれるが。

 稼ぐが、仕官をするという頭がまるでなかった。

 実際の処、この武蔵という漢は単に仕官という道のあることを知らないのかもしれなかったが。あるいは、こつこつと溜めて冬に不自由をしないのであれば。飢えない用心のために冬だけでなくいつでも食う事を保証されるために、碌を食める仕官をする、ということに必要を感じなかったのかもしれない。

 もっとも、ひとは食の保証だけでなく、もっともっと摩訶不思議な、出世や名誉、食うためだけならば必要の無い高禄を得るために、槍働きをしてみせるのだが。

 考えれば、不思議なはなしである。

 おのれの食を贖うために、ひとのいのちを槍先に掛けるとは。

 或いは名誉出世というために、槍働きしてためらわぬとは。

 おかしなものである。

 だが、いつの世も、所詮にんげんは本当に他人のいのちを、おのれの都合のためよりも上に考えることはないのかもしれない。

 武蔵は、生きるために猪を獲ると同じ真剣さで、戦場ではたらく。

 猪とおなじにされたひとは不快であろう。

 武蔵が真摯に向き合っているほど、違和を覚えたものかもしれない。もっとも、では名誉や褒賞のため、狩られる首は何であろう、というものだが。

 よりよい暮らしをしたいと、ゆめみて戦稼ぎをするとは、どうしたものであろう。

 食い扶持稼ぎに武蔵は槍をつける。

 槍をつけて食い代を稼いでいることに、武蔵は翳りをもっていない。いや、武蔵でなくとも、農閑期に戦稼ぎに出るもの、戦に流れ食い扶持を稼ぐもの。

 当然のこととして。

 この時代に生きるものの、戦国の世に生きるためのそれは手段のひとつになってしまっている、……。

 けれど、戦国の世であっても、戦場を外れ日々のくらしのなかでおのれに利益を得んと人を殺せば、人々は殺したものを、いっせいに拒否してゆるさないだろう。

 人を殺してゆるさないのも。

 ひとに槍つけて稼ぐのも。

 どちらもおなじひとというものであった。

 この矛盾に内心気づくからこそ、戦働きをしながら、恬淡と仕官もせずかるがるとみえる武蔵に、敵意を向けるものもあるのかもしれない……。

 ひとは苦しいときに、より苦しみを他人にあたえたいと願うものだという。

 あるいはおなじ苦しみを味合わぬものを、恨み憎むものだという。

 おのれより楽をしていると心決めた相手を、羨み呪う心があるものだという。

 おのれより上であるもの。

 おのれより冨を持つもの。

 おのれより力に技にすぐれるもの。

毒を呑むようにおのれから、こうしたおそろしい想念に身を染めるものか。




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