「遁げ武蔵」4


このときのことを、武蔵は無論忘れていない。

忘れようが無いともいえる。生涯に於いて初めてのそれは命を賭けた勝負であった。

勝利は僥倖に過ぎず、生死の境は淡いまぼろしのようなものでしかない。そのことを、武蔵にこれほどしらせた闘いは無かったであろう。前夜、あれほどの緊張を持って迎えた勝負は、ほぼ一瞬間に決着が付き、それは武蔵の脳裏に忘れられることなく刻み付けられている。有馬喜兵衛は屍骸になり、武蔵は屍骸とならなかった。

 この一如を、なにがわけているのか。

 その問いが、武蔵をして一層、闘いの道へと駆り立てることとなったのは間違いがない。

武蔵は、より一層の修錬を行うようになっていった。

 もとより既に村では先の勝負の成り行きがしれわたっていることもあり、もともと武蔵に関わっていたひとはすくなかったが、これで加速度を増して減ったようであった。もとより訪うひとのすくない家であるが、何ヶ月かもひとにあうことがないのも常となった。米や何かの届け物はいくらかある。が、それも武蔵の留守の内に、山奥に武蔵が出るあいだに置かれていくことがおおくなった。

 武蔵は、ながいことひとを見ず、ひとことも話すこともないことが珍しくなくなったくらしを、淡々と受け入れた。

 野草を山からとり、あるいはけものを狩って食とし、山奥を駆け足を鍛え無言のうちに風を相手に剣を振った。

 孤独ということも、しかし武蔵はおもうこともしていなかった。

 だから、故郷の村を出たのは何故であったろう。

 或る日、山を振り仰ぎ手になれた―――この頃は無二斎の残した木刀も、ようやく武蔵の手に合うようになってきていた――木刀を振りながら、武蔵は無言のうちに手をとめていた。

 ときに十五、六の頃合である。

 おそらく十五ほどになっていたろうか。

 武蔵は、あまり己のとしというものをはっきりとおぼえていない。

 年月の過ぎ去ることさえも、日暮のなかに風が過ぎていくようなものとして、はっきりと数え覚えてなどいない武蔵である。

 ただ春が来て夏がおとずれ、いずれ道の閉ざされる冬の訪れる繰り返しを、肌に感じるばかりである。

 山寺に字をならいにいったのもとうにむかしだ。

 無言で、武蔵は手をとめて山をみあげた。

 と、すたすたとあるきはじめた。

 そのまま、木刀一本をさげあるいていく。

 無造作なそれが、武蔵の故郷を捨てての流浪の始まりであった。

 それきり、一顧だにせず。

それまで棲んだ家を振り返るでなく、道具、着替えの類旅に必要な品々を取りに戻るでない。置き捨てたまま、武蔵はなにひとつ持たずに故郷を出たのである。

 着のみ着のまま、木刀一振り握っただけ。

 無言のまま、武蔵は山の奥へとあるいていく。

無造作にあるいていく。

そのまま、武蔵は以後二度と郷里に戻ることは無かった。



郷里を出てのち、武蔵は幾度か請われるままに小さな戦に槍を貸しながら、向き合う敵を切り取りながら暮らしていた。或いは、秋山という力自慢の武芸者に立ち会ったこともある。

戦で功を立てれば、それでも幾らか稼ぎがある。故郷を出て、何をしなくとも幾らかの米には不自由しなかった暮らしから、己の腕で稼がねばならぬという暮らしは、いくらか武蔵に張りをあたえた。

山に入るときに、何をおもっていたわけでもない。郷里を捨てるという、明確な志があったわけでもない。なにもなかった。

ただ、山の奥に何処までもあるいていく。その衝動にまかせただけのことであった。

飢えるまえに獣を狩り、くちをすすぐことをした。とくに何を求めていたわけでもないが、あるくうちに里へ出た。山がいつのまにかおわっていた、それだけのことであった。

武蔵はあまり言葉を持っていない。

あまり、ひとと話すという習慣がなかったためでもあろう。

それでも、山を歩き破って里に出たならそこにひとはいる。いる、ということに武蔵は戸惑ったかもしれないが、そこにひとがある以上はそれだけのことである。

とくにひとを避けようとおもったわけでもない。

ただ、山に入った。

そして出た。

単純にそれだけのことであるから、里に出てであったひとを避けるということもしなかった。そのうち、先に述べたとおり、戦働きもすることとなった。もっとも、合戦として名の残るような規模のものではない。小さな勢力の小競り合いというのが精々のところであり、いうならば戦働きというのも大袈裟なものであったろう。

秋山某とは、そうして働いて流れたうちのいずれかの城下で立ち会うことになった。正直にいって、この闘いをはっきりいつおこなったか、あるいは場所は何処であったかを、武蔵は既に覚えていない。

唯、有馬との勝負以来、武蔵にそうしたいさかいをしかけ、勝負を挑んだものが初めてであったに過ぎず、であるから幾らかはおぼえている。

秋山は、強力のものであった。

それは確か、戦に槍を貸し、その支払いも済んでさて、という頃合であった。幾らかの米などを稼ぎに雇われる流れ者のようなことを武蔵が行っていたころのことである。

報酬を頂き、では用もないかと先行きさえ特におもわず武蔵はあるいていた。

肩でも、たしかさわったかということであろう。

あるいは、秋山は既に戦場で見知り、武蔵を気に食わぬものとしておぼえてあったかもしれない。強面で強力自慢と知られるとおり、体格も山のようにそびえ筋骨隆々としていた秋山は、仲間と共に武蔵を取り囲み勝負を申し込んだ。対して武蔵は、六尺豊かとはいえ、細身である―――武蔵は、堅くしまって肉のつく性質であったらしい――その武蔵が、気圧されることもなく秋山の申し出をうけたことに、いらだちもしたものだろうか。

このとき、武蔵に友は無い。

秋山が勝負を武蔵に挑んだのは、孤独にある武蔵、いやそれよりもひとりである、ひとりでいきているというそのことに不安の影さえみえぬ武蔵に、苛立ったのが理由かもしれない。

戦場で、いのちの遣り取りを行う苛烈な生を送るからこそ、ひとはなかなか群れずにいられるものではない。いや日常の生活から、ひとというものの成り立ちからして、世間というもの、ひととのふれあいというものと離れて暮らしていけるものではないのだ。

武蔵はあまりに飄々と独りであった。

いや、ひとりであるということをすら意識してはいないようであった。

これは武蔵にとれば当り前のことであったかもしれない。

故郷の山里に於いて、武蔵はそれを当り前として過ごしてきたのである。山野にひとが無く、数ヶ月ときとしてほとんど一年を通じてさえ、ひととあうことがない。

はなすこともなく平然とある。

西行法師でさえ、旅のつれづれに寂しさのあまり、骸に口をきかそうとしたというが。

けれど、武蔵にはそれが平気であった。

山野になにひとつなく、あるきつづけるうちにまた無人の野にいたろうとも武蔵は平然と、くちを濯ぐ為に狩りをし、無言のうちにまた鍛錬をつづけたであろう。

外界に起こることに武蔵の反応は無いに等しい。

これでは、まわりにいるにんげんは、武蔵に無視されているのとおなじことである。もっとも、武蔵にとって、積極的に周囲のにんげんを無視している、ほどのつもりもない。ただ自然にあるさまが、武蔵をこのようにみせるのであり、とくに悪意を買うほどの気持ちもない。ひとがいるから、ひとには対している。話し掛けられればこたえ、必要とあれば話もするであろう。無口ではあるが、文字を読み書きも出来る武蔵である。頼まれれば、字を書く用も足してやっていたかもしれない。

このような暮らしぶりは、気に障るものにとっては、これ以上ないくらい気にさわるものであろう。武蔵にとり、自然な振る舞いも、取るものによっては鼻につく権高い振る舞いにも映ったろう。

特に、己が力を自慢し、功を自慢とし徒党を組むようなものには、ことさら鼻につくに違いない。

無言のうちに唯身を鍛え、それで力を自慢するでなく、功を求めるでなく。幾ばくかの給与に当たる米などを貰い、それ以上を求めるでなく。もっとも、これは武蔵にとっては、ひとがいるから報酬としてくちを濯ぐ糧を得る為におこなう、山で猪を狩るに違わぬ行為であろうが。功を求めずみずからひとと交わるわけでもないが、ひとを避け隠者となるわけでなく。

まこと、武蔵はかれらにとって鵺の如く気味のわるいものに映じたに違いない。

もっとも、武蔵はとくに何もおもわず自然に振舞っているだけである。

だから、なおわるいのだ、ともいえたが。

いずれにしても、秋山某は、その仲間とともに常々武蔵を気味悪いもの、としてきらっていたに違いない。理解の届かぬものをひとは嫌う。異質であるものを除きたいとおもうのは、一面ひとにある本能であろう。

武蔵のようなものは、秋山のようなものにとって、いかにもきみわるく映ったろう。

そうして、いかにもどうでもよいきっかけがあり、武蔵に勝負を挑むことになったのであろう。

勝負はまた、ここでも些細なきっかけから、武蔵をつかんでいる。

逃げるのはたやすいことであったが、多少の興味が武蔵にあったのは確かである。それは勝負というものを有馬以来武蔵に挑んだものがなく、それが単に喧嘩小競り合い程度のもであっても生死を賭ける勝負というものに対して武蔵の興味が動いたものでもあろうか。

武蔵の応諾に、かえって秋山某の方が狼狽したかもしれない。

ともかく、無造作に武蔵は請けた。

秋山も周りに居たものたちへの手前がある。放言したときに、仲間もいたのだから、後にひくわけにはいかない。かくして勝負は執り行われることとなったのだが。

仲間がいなければそうした放言を秋山はしなかったであろうとおもわれる。徒党の勢いを借り、放言したのであるからには取り消すわけいもいかず。これがひとりであるときに、道で武蔵にいきあわせ肩がふれた、というようなことであったなら、郎党連れ歩く勢いの気勢もなく、黙って武蔵を睨んでいるのが精々ではなかったろうか。もっとも、ひとりであれば、秋山は武蔵に肩をふれさせることすらなしえなかったかもしれない。

力を自慢しても群れずにいることは出来ない。だからこそ、群れずに生きる武蔵が気に触り、また群れた勢いによって武蔵に勝負を挑んだものであろう。

その勢いもかって、秋山は勝負を避けることが出来なかった風であった。

挑んで相手がひるむ、あるいは断ればそれで秋山はよかったに違いない。相手が断れば、そらやはりおれを恐れたのだと、力自慢の一角にすることも出来るのである。

武蔵というものは、われ秋山を畏れたのだと、触れ回りたかったに違いない。

相手は鵺のように気味悪い武蔵であるから、それ避けることができればそれにしくはなかったのだ。

それが武蔵のあっさりとした応諾に、秋山は勝負をせねばならなくなった。

もっとも、名誉にも何もならぬ勝負など、本来そうは挑むものでもないのである。後に武蔵が高名になってからであればともかくも、このころはまだ多少の働きはあれども得体の知れない若造相手に、何を生死を賭けた勝負を挑まねばならぬのか。

武蔵をたおせば己が名を挙げる役に立つのであればともかく。後年には武蔵にそのような理由で勝負を求めるものも多くなったが、このときは郷里を出て以来はじめて勝負を挑んできた相手である。いってしまえばその一点をもって、秋山某の名は武蔵の脳裏に留められているに過ぎない。

もっとも、名字しか覚えていないのだが。

ともかく、おそらく挑んだ秋山の方が狼狽えた。

しかし、もう退くことは出来ない話である。

力自慢の秋山であるから、一度武蔵に向かい声をあげた以上引くことはできぬということもある。またいずれにせよ、己から挑んだ勝負を避けたなどとなっては、戦働きを糧とするものにとってどんな風聞となるともしれない。

勝負を逃げた卑怯者となれば、顔を表に向けてくらすことも難しくなるであろう。漢一匹の体面としても、避けては通れぬことであった。

強力にして強面の秋山は己のその強面と体面を守るために、一勝負せねばおさまらなくなった。

かくして、秋山と仲間は武蔵を勝負の場に待つこととなった。

約束の刻限がきた。

武蔵は、秋山との勝負のあとなにごともなかったかのように、この城下を去った。

まるで秋山との勝負など、無かったかの如くであった。

無造作に倒し、恬淡とあるきさった。

歩き来て、歩き去った。

その速度に、みだれひとつないようであった。

居並ぶ秋山の仲間から報復があることをおそれて去ったわけでなく。ただあるいたから前に進み、結果として去ったかたちとなったに過ぎない。

単に勝敗の決したのち、その場にいつまでもいる用がなかっただけのことであった。

もしこのとき、立ち会った秋山の仲間が武蔵に挑んでいたなら、武蔵は無造作に受けて立っていたに違いない。そうして、より以上に凄惨な一幕をこの場に残していくこととなったかもしれない。

けれど、武蔵の背にだれも挑むものは無かった。

あとには、頭を割られ柘榴の赤を散らした秋山の無残な姿が残るのみである。

秋山を取巻いて、いや、秋山であったものの遺骸を取巻いて声も無く仲間が立ち尽くし残るばかりであった。

武蔵は疾うに去っている。


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