「遁げ武蔵」3

翌早朝。

朝霧もまだ晴れ渡らぬ時刻に武蔵は前夜素振りを続けた木刀一本をさげ、無造作に約束の場所へとあるいていた。

この時代よりさらに下っても、勝負試合を行うのに好まれる刻限は早朝であった。ひとつには、邪魔が入り難いということがある。精神を統一し、互いに研ぎ澄ましてしあう以上、生活の響きのまだはじまらぬ刻限というのは、やはり何かと都合の良いものであろう。また、見物目当てでもなければ、広々とした闘いのしやすい場所を選ぶ。村のはずれなど郊外が選ばれることの多いのも、同じ働きであったろう。

もっとも、この度勝負の相手は、見物を望んでいた。

名をあげるには確かにそれがはやい。見物の衆に囲まれて、鮮やかに決着をつけてみせれば、それは即すなわち宣伝であろう。たまさかその場で目にするのだから、あとからこのような勝負であったと、みずから宣伝する労がいらない。もとより郊外にても立会人はつけるものだが、確かにすぐれた立会い人などつけることが難しい場合には、見物衆を立会い替わりにするのがはやかった。実際、このとき有馬は確かな立会い人など用意していない。正しく、見物人こそが武蔵のはじめての勝負における立会人であった。

武蔵は無造作にあるいている。

背は、十三にしてはたかい。体格も抜きん出たものが出始めている。野山に無言のうちに鍛えた足はたくましく、蓬髪をひとつに束ねて背に流す姿は質素な着物とあいまって、武蔵を一個の野生児にみせている。

まだしかし、大人というには不足である。背も伸びる途中であろう。無言であるく足は素足で、すねまで泥で汚れている。猿というよりは猪、あるいは鬼の小童がいたならこのようなといえたろうか。まなざしをきっと前に向け、まなじりをきりりとあげてあるいていく。

手にした木刀は、まだ成長しつつある武蔵の手にもあまるほどにみえる。

目指す道、村の広場とでもいうべきところを目指してあるいている武蔵の前に、旗があった。白地に墨で名乗りを書き、棒に縛り付けて幕のようにして立てている。武蔵の墨で塗った高札のほかにあらたに書いたのであろう。

まだあたらしさを残す白い布地にわざわざ書かれた名乗りの幕に、武蔵は遠目ながらすこしあきれた。

まるで武将の床几のように仕立て、白旗の幕に囲まれて。美装を凝らしたつもりであろう有馬喜兵衛が、剣を抱えてすわっているのを武蔵はみた。

見物の衆は、有馬を取巻くようにいくらか離れてもう集まってきている。

武蔵のあるく道にも脇に村人の姿があらわれはじめ、歩速をおとさぬ武蔵の登場をながめていた。

有馬が、これだけの見物を周りに堂々と勝負のかたちを整えたのは、一重にこどもの武蔵を侮ったからであろう。有馬は唯、準備整えこのあとは一刀のもとに武蔵を捩じ伏せてしまえばいいとおもっている。また、いかに武蔵が年頃のこどもより大きいとはいえ、完全に大人であり武芸者として鍛えてもある有馬に比べれば、比べることが冗談なほどである。有馬とて各地を回る武芸の者、これまで生き延びてあるには相当のこともおこない身についた自信もある。

あるいてくる武蔵と有馬を見比べ、見物衆のうちにためいきのようなものが流れた。どうみても、こどもの武蔵と大人の有馬とでは、比べるべくもない。観衆のあいだに流れたものは、これはつまらないことになりそうだという観測か。あるいは、こうも力量に差のみえる一戦に、いくらなんでもこうしたこどもをと、ひそかにおもう感情でもあろうか。

確かに小面憎い小僧ではあるが、こどもである。

むごいことをと、すでに事後を想像して顔を顰める観衆まであった。

それでも見物しているのは、これはやはり娯楽というものの少ない世であるからだろうか。見物衆は、こどもの武蔵が、床几に座る有馬にと近付いていくのをいくばくか失せた興味のなかで見守っている。

武蔵は無造作な歩みをとめなかった。

有馬は座って武蔵の到着を待ち受けている―――。

これは勝負にならないと、今日の娯楽をたのしみに集まった見物衆がそれでも有馬と武蔵のしあうはじめを見ようと目を凝らした。

一間。

互いのあいだに丁度一間ほどの間があいた。向き合って名乗りを上げるに丁度良い距離になる。有馬もまた、それを意識してか口を開き名乗ろうとした。まだ有馬は床几を立たない。武蔵を迎える名乗りをあげるのに、立つ必要はないとおもったのであろう。

見物に、有馬は名乗りをあげるかとおもわれた。

互いに名乗り、いざ勝負と流れるのが通常の仕方である。大体ここで名乗っておかなくては、見物客に己が名を浸透させることも出来ない。名乗り旗の文字を読めるものの方がすくない時代である。

名を有馬は名乗ろうとしたか、にみえた。

みえたというのは、見物衆に声は届かなかったからであった。いや、声が出なかったというのが正解であろう。有馬は口を開きかけた。

武蔵はだが一間のまをとまらなかった。

歩きつづけたのである。

有馬が口をひらきかけても、武蔵はとまらなかった。

とまらず、木刀を座る有馬の頭上に叩き付けた。

無造作であった。

くちを開いたまま、有馬は何かいいかけた。何をいいかけたのであろう。武蔵の一振りは、既に有馬の脳天を砕いていた。

有馬は立ち上がることも出来なかった。太刀には手をかけたままである。

無残に赤く割けた有馬の脳天をみながら、武蔵はつぶやきかけたくちもとをみて、もう一度無造作に一撃した。今度は、肩に当てた。

脳天の右半分が無残に柘榴の如く赤く割れながら、なおも己の身に何が起こったか、わからない風にくちをおともなくちいさく動かしていた有馬の身体が、ゆらりとかしいだ。

白旗を背に、ゆっくりとたおれていく。

武蔵の二度目の一撃が、押したものであろう。

床几にすわったかたちのまま、天を仰いでたおれた有馬を、武蔵は無言でみつめている。たおれた有馬の口がまだ微かにうごいていた。

己が斃されたことを、敗れたことをまだ身体がしらないようであった。

武蔵が無言で立っている。手には無造作に切先を下にした木刀を持ち、無言で立つ武蔵の凄愴の気に、見物人もまた有馬と同じで何事がおこったのかまだ呑込めていないようだ。

 武蔵が、一刀を地に倒れた有馬に撃ち付けた。

 激しい一撃に、見物衆が我にかえったかのようにどよめきをあげた。

 木刀の先が血に染まっている。武蔵は凝と有馬の遺体をみつめたあと、くるりと踵を返した。この間、一言も発していない。

 後に、このとき武蔵が動かなくなっていた有馬をなお撃ち付けて留めを刺したことを残酷と非難するむきもあるが。見物衆もまた、同じように感じたかもしれなかった。

 我にかえれば既に武蔵の姿はなく、地に斃れた有馬の頭部を割られた無残な遺骸が転がるばかりとなれば。いまみたはずのものを理解できずに、見物衆が何が起こったかと理解するのさえ武蔵の去った随分さきのことであろう。

 残ってあるのはもはや言葉のつづきを発することもない有馬の遺骸のみ。無残に打ち割られた柘榴の如き頭蓋と、最後の一撃を加えた武蔵の衝撃のみが、見物に残されたものに違いない。あまりにあっさりとした初めの一撃を、誰が一体目にとめていたものか。

 また、このときの一撃についても、尋常の勝負であれば名乗りあいのちにしあうこととなるのだからと、しきたりに則らぬ、卑怯な業と謗るものとてもあったものだ。

 確かに、作法の上からは互いに名乗り、それよりしあうのが本来とはいえ―――。

 武蔵は、来たときとかわらぬ歩速で帰りの道をあるいていた。顔色も目の光も何もかわりはない。無言にて、これは行きとは違う血をあかあかと光らせた木刀を手にさげあるいている。

 武蔵とて、作法は知っている。寺において字を習い、あるいは作法を習ううちに知ったこともあり、また剣について学ぶうちに知ったこともある。勝負の名乗りをあげる作法を、武蔵も知らぬわけではなかった。

 唯、あほらしくなったのである。

 歩いていくうちにみえた相手の白い旗指物に取巻く幕。まるで戦場の武将の真似事をして床几に座るその姿。

 武蔵に相対しても、立つことすらせずある姿に、こっけいなばからしさを武蔵はおぼえていたのである。これが本当の戦場であれば、如何なることであろう。

 太刀に手を掛けることも無く、まして刃を抜く用意すらなく敵に斃されるとは。

 おもうと、武蔵は無造作に一刀を撃ち込んでいたのである。

 気迫の一撃であった。

 これは武蔵の仕様を作法を知らぬものと謗るものでも、その膂力、頭蓋を一撃で撃ち割る力の凄まじさには息を呑むものであった。いかに達人でも、生半にこれほどの一撃をくれることは難しい。ましてや、武蔵は齢まだ十三。それが大人に負けぬ、いや上回る力を見せ付けたのだから、これはたちまち噂となって方々を駆け抜けていった。

 見物衆は有馬の思い通り、確かに名をあげる宣伝に一役買ったのである。もっとも、それは有馬でなく、武蔵の名をあげる宣伝となったのであるが。

 かくして武蔵は十三にして、近郷に名をしられることとなるのであるが。

 武蔵はしずかに家に帰り着き、盥に水を汲みまず布を持ち出して血に染まった木刀を拭きはじめた。片肌を脱ぎ、庭の縁に座り盥に水を含んだ布をしぼり、無心に木刀を拭きあげていく。

庭に、絞る布から血のいろがおちた。

武蔵が最後に加えた一撃は、残忍の心持でおこなったことではなかった。

唯、動かぬことを確かめただけのことである。

最後に突いた有馬は、確かにもう動くことはなかった。くちびるの死をわすれた震えもとまっていた。

 一撃を行わなければ、切られ割られていたのは己の頭であっただけのことである。

 有馬のついに抜くことの出来なかった太刀は、木刀でなく真剣であった。もっとも、木刀の方が真剣より危険でない武器である、ということは無い。

 武蔵のしてのけた通り、木刀は振るものの持つ力によっては、真剣と同じほどに恐ろしい武器と成り得るのである。さらに鋼の刃と違うのは切ること、断ち切ることが出来ないこと。故にいえば、木刀に斃れた方が真剣の刃に切られるよりもさらに無残な姿を晒すことになるのである。

 有馬は斃れた。

 夕べ月を眺め無心に素振りをおこない、死というものをぼんやりとながら頭に描いていた。その機縁となった有馬はもういない。

 だが、それは一歩間違うと武蔵の運命であった。

 もし武蔵の一撃を有馬が避け、一撃の返しを行っていたなら。今頃、地に転がっているのは武蔵の遺骸であったことだろう。

 いま木刀を磨く武蔵の目には、そのときの己の姿が映じている。手に取るように、ありありと。

 まるで柘榴のように頭部を割られ、地に仰向けに斃れている己の姿が映じている。

この差を生み出したものは何であろうか。一歩の違いで、武蔵は地に屍を晒さずに済んだ。けれどそれは、絶対の差ではなかった。

 有馬がいますこし、こどもとおもい武蔵を侮ることをしなければ、それは武蔵の運命であったことだろう。有馬は、己の用心の無さに敗れたのである。

 こうして剣を磨いているのは、武蔵で無く有馬であっておかしくなかったのだ。

 いま刀身に映る己が姿をみ、自慢気に話す有馬がいておかしくない。おもえば、その姿が瞼に映り、耳に聴くこともできるようであった。

武蔵は木刀を磨く手に力を込め、無心になろうと磨きつづけてある。

何が武蔵と有馬を別けたものであろうか。

 月は天に無い。

 日は、片肌脱いだ武蔵の背に白く映じてこようとしている。鳥の騒ぐ声が、暫らくすれば山林からきこえてくることだろう。

 朝靄は、いつのまにかきれいに晴れていた。

 運命の変転とは、何が生死の境をきめているのか。

おもえば、日はまだようやく白く辺りを照らし始めたばかりなのであった。



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