「遁げ武蔵」2

 数え年にして十三のとき、武蔵はある勝負をおこなっていた。

 相手は新当流の有馬喜兵衛といって、それが武蔵にとってはじめての勝負、命の遣り取りしたはじめといっていい。それまでも喧嘩、剣戟激しい剣を鍛える為の修錬はたまさか積んでいた武蔵だが。

 十三にして、はじめて本当に命、生命のかかる勝負をしたといっていい。

 相手は、有馬喜兵衛という武芸者である。

 無論修錬も生半なものでなかったが、勝負はさらに凄惨なものであった。ときにすでに武蔵に父は無く、修行の上で教えを請う相手を既に喪っていた。武蔵の父新免無二斎は、武蔵の幼い折に既に隠れてしまい、母これなく、宮本村という僻村で育った武蔵にとり師匠と呼べるものはついに無かったといってよかったろう。

 ただひたすら、樹木を相手に、風を観て、孤独に剣を振り回すより道が無かった。

 その武蔵がはじめての勝負を行うこととなったのは、ちいさなきっかけである。

 有馬は、武芸という珍妙なものをもって、この宮本村へと流れてきた無頼者であった。当時、武芸というものは、ある種珍奇な芸といったおもむきがないでもなかった。戦国の世に士官を求めて、といえばまだわかりやすいが、それよりもむしろ己の芸をみせて歩いていた武芸というものをある種興業のようにして歩いていたものたちがいたのである。後年におこる剣の修行や武者修行と呼ばれる旅とはまた違っている。

 かれらは、武芸という芸をみせていたのであり、それにより各地の大名達に召抱えられるものもあるにはあったようだが。またいまでいう契約を交わし、一場ごと、その戦場ごとでの戦働きといったことを行うものなどもあったようである。得物も、剣や槍ばかりとはかぎらない。当時でいう火薬、手妻などもつかうものなどもあったといわれているようだ。いずれにせよ、興業のように各地を渡り歩き、武芸というものをみせて歩くのである。剣の道を究めるといった形のものではなく、芸をみせることを生業とし旅を渡っていくものであった。

 ともあれ、有馬喜兵衛というのは武芸者であった。

 あるからには、村に高札を掲げたと伝わっている。

 武芸というものをみせ、あるいはおしえて金をとるには、無論客を集めなければならない。有力な紹介状などがあれば地方の有力者宅に仮寓することなどもできたようだが、このとき有馬は特にそのような紹介状を持ってはいなかったようだ。あるいは、そういった客を泊める有力な家というものが、宮本村には存在しなかったのかもしれない。

 いずれにしろ、武蔵を著した伝記などでは有馬喜兵衛は高札を掲げたと伝わっている。高札には、勝負のものに対する挑戦などが書いてあったろうか。あるいは自らの高名を華々しく書き綴ってあったかもしれない。いずれにせよ、武蔵はちょっとした悪戯をその高札に仕掛けたと伝えられている。

 墨を塗ったのだ。

 高々と掲げられている高札に、何をおもったか当年十三才の武蔵は有馬の高札に黒々と墨を塗ったのである。

 これには有馬が怒った。

 当然である。武芸者として名乗りをあげた高札に墨をぬられたのだ。怒らない方がどうかしている。どうかしているが、ついでにその墨ぬった小坊主の悪戯をゆるさず、勝負を挑むなどというのはさらにどうかしている。もっとも、それだけ小僧の武蔵が小面憎かったのかもしれず、武蔵もかわいげなどとはほど遠いこどもだったことだろう。

 ともあれ、十三の小僧に墨を塗られ、面目を潰された有馬喜兵衛は武蔵に勝負を申し入れた。

「よくたたかえ、こわっぱ」

などとでも、いったものだろうか。いずれにせよ、勝負を挑んだことは間違いない。武蔵の方から挑んだ勝負でなかったことは確かなようだ。

 もっとも、挑発をしたのは武蔵であるから、まるで考えもしなかったものでもないだろうが、勝負ということになると考えを詰めていたわけでもないだろう。

 悪戯であった。ちょっとした気持ちであったのだ。それには、宮本村などというところまで流れてきた武芸者などというものへの揶揄いの気持ちが多分にあったに違いない。面白くおもう気持ちと、何だこんなものといった気持ち。ご大層な高札など掲げて、という気分が武蔵のなかにあったに違いない。

 何にしろ、いたずらであった。

 こどものすることと流せば有馬は大人であったに違いない。けれど、流すことは出来なかった。この点、有馬は大人でなかったというしかない。それに、こどもの武蔵を軽んじてもいただろう。さらに、勝負を挑んだ理由としては、武蔵が新免家――武蔵は宮本姓も持つが、新免の姓も持っていた――の名を持っていたこともあっただろう。新免というのは名誉の名であり、父新免無二斎が功によって主家の名を名乗ることがゆるされたとも、無二斎の母にあたる婦人が主家新免家より嫁いでいて、実際に親戚であったからともいわれている。

 無二斎はまた、十手術の名人として知られていたらしい。武芸のものとして、同じ武芸者、あるいは達人と呼ばれるものを倒していくのは、己の名を上げることに繋がる。

 名をあげることは、生業として重要なことでもあろう。

 武蔵がまだこどもであり、無二斎ではないことも、このような田舎であれば武蔵を倒したのち新免無二斎を斃したのだと云って回ったところで誰もわからない。あるいは、新免家の使い手討ち果たしたりといえば、それは嘘であるとも云い難かろう。何しろ、武蔵はすでに宮本村に於いてのひとり残された新免の者なのだ。

 武蔵との勝負は、有馬にとりよい機会であるとおもえたことだろう。

 何しろ相手はこどもである。

 こどもであっても、倒せば名は高くなるのである。

 武蔵はといえば、何と思っていたか。相手が悪戯に勝負を挑んできた、ことは意外であったろう。あいだを取り成そうとした僧がいた、という話も伝わっている。

 けれど、相手は怒ったままだ。小僧を倒し、ついでに名をあげる旨味をもおもっている。当時、勝負といえばいのちを賭けたものであった。

 竹刀のような、相手を殺さないための道具など発明されていない。

 あくまで武芸とは人がひとをたおす術であり、実際に戦が習いの世では、相手と闘いながら生かしておく、等という発想がない。試合勝負といえば互いが相手の動かなくなるまで叩きのめすことであり、手加減をして相手に動く力を残すなどということは、相手の反撃をゆるし己の命を危機に陥らせるということを意味している。

 戦場では相手の動く力を削ぐことが第一であり、それは必ずしも命を確実に奪うことには繋がらないが、しかしたすけるものでも無い。

 戦を離れた勝負もまたこの時代同じであり、勝負をするなら剣もしくは木刀槍など得物が違っていても、殺す為の道具であることにかわりはない。

手加減などありえなかった。

 武芸とは武を売っているのであり、武とは相手を殺す手段であり、戦乱の続いた世において、その手段を教え歩くことは生業として成り立ったのである。あるいは、より見世物としての位置が強い武芸者もいたようだが。

いずれにせよ、この有馬喜兵衛としてまだ若い武蔵の前に立ち塞がった武芸者は、生死の掛る勝負を武蔵に挑んできたのであった。

其処には、武蔵を討ち果たす自信が満腔に有馬の内に満ちていたに違いない。

対して。

 武蔵はといえば、ひとごと――であった。

 いや、勝負ということの重さは承知もし、命に関わるであろう、ということもわかっている。けれどちょっとしたこと、ほんの悪戯ごとで勝負という事態になったことが不思議でいる。

 試合の前夜、ひとり夕餉をすませ、身を清めるかと風呂に入り、いくらか古びてはいない衣へと着替えてみた。そうして帯をしめてみると、不思議な気がするのだ。

 村では世話にならぬものとていない寺の僧がとりなしてくれようとしたが成らなかった。ならばそういうものだろうと、武蔵は淡々と勝負の準備をはじめたのだが。

 武蔵に親はない。いまも、身の回りの世話する手のひとつなく、ひとりあるばかりである。これは、おもえばふしぎなことであった。

 新免家は村に於いてけしてちいさな家ではない。むしろ代々続く地侍の家系として、よくしられた家であった。竹山城主である新免家とも繋がりがあり、父の無二斎は京に上って十手術を偉い方に披露したこともあるといわれている。けれど、それにしては、ひととの縁が薄い家であった。

 無二斎なきあと、武蔵はまさか独りで育ったのではない。武蔵の幼いときに父は亡くなっているのだから、幼子が誰の手も借りずに育つことのできようはずがなかった。

 けれど、武蔵に見覚えているほどのひとも、懐かしい、父母のかわりに育てられたのだと、慕う相手もいないのである。

 風を相手に、気がつくと剣を振るっていた。

 剣といっても、木刀である。

 父無二斎の使っていたものか、武蔵の手にはあまるほどの木刀がひとつあった。ひとつしかなかった。

 いつもそれを振るっていた。

 風が稽古相手であった。

 家はある。だが他にひとがいない。奇妙に食べることはなんとかなった。援助は受けていたのである。だがそれだけだ。いまこのときに、こどもの悪戯によって到った事態を庇うおとなも後ろ盾も武蔵には無いのであった。

 そうしていま、ひとり命を賭けた勝負の前夜ここにある。

 不思議、としかいいようがないとこのとき武蔵はおもっている。

ひとり孤愁の月を眺め、蒼茫と暮れ果てた屋に座している。蒼々と月に濡れるような庭に向き合いながら、武蔵は唯端坐している。

月が蒼い。白々と降る月の光は何処までも冴え渡って輝いて音も無い。天地の静寂は、武蔵をしんとつつみこんでいる。

音もなく武蔵は立ち上がった。

手にはいつのまにか木刀を手にしている。

無二斎が残した唯一の木刀である。

「それがよい」

無言のうちにそうおもい、庭に降り立って木刀を構える。

武蔵は、木刀を手に月光を友にして振りはじめた。無心に振り続ける。蒼い庭に、黙々と木刀を振る音だけが響いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る