「遁げ武蔵」1
慶長五年九月十五日、天満山。
山中懐深きを遁れ走る姿がある。遁れる内に天地上下はともかくも、右左、どちらが西で東も判らずに、唯闇雲に走る雑兵の姿が在った。
雑兵である。顔は煤け、四肢のあちこちに傷跡も赤く生々しい。尤もその傷の何れも深手はなく掠った程度のものとはみえたが。具足、胴丸の類は形怪しく、戦場の血と汚れに無残な姿と変じている。
体格は六尺豊か、蓬髪をひとつ括りとしてはいるが、いまはそれも乱れて無残な姿である。ましらのように走り遁れるさまは敏捷ではあるが人というより山の怪といった方が至当と思える。
体格たくましくはあるが、いまだ弁別物事行くべき方角すらわからぬままの若者として、雑兵、落武者などというほどもない、敗れ戦に敗走する一介のわらっぱとして走りに走り、遁れに遁れてある。
さて、こうして山中を右も左も行く先も知らずに遁れる雑兵、名を幼いときに弁之助。天正十二年に生まれたとも、十年に生まれたともいまに伝わっている。十二年説に従えばいまは十七。播磨の国に生まれたとも、美作に生まれたとも伝わり、後世までも名の伝わる剣豪となる。
―――後の宮本武蔵玄信である。
後に五輪書を著し、後世に剣聖とまで呼ばれることとなるのだが。後年の面影はさらになく、ひたすら疾り駆け続ける風のようにして、山塊の只中を駆け走り。
いまはともあれ、遁げている。
とにかく、遁げている。いっそ風にでも成ったかと思える速さで山塊を掻き分け、とうに道を外れ、蔓と蔓、樹間をましらが如き疾さで駆け抜けている。
さきにも述べたが、武蔵に最早方角は無い。ひたすらに遁れきたばかり、押し寄せる敵兵の勢いから敗れ遁れて兵のいない方角へとばかり直走って来たのであるから、いま此処が何処であるか、武蔵は疾うに理解してはいないのである。
唯膂力の余るばかり、六尺の体躯に漲る力の尽きんばかりにと、ひたすらに遁れているばかり。
この頃には、遁れ走ることばかりが念頭にあり、いや既に何も物を考えてあったとはおもわれず、走れば走るままに前に向く、一個の獣として駆けに駆け続けているのである。いま武蔵がひた疾るのは、既に理屈でもなく遁れゆこうとする思いでもなく、肉体を唯駆けるうちにおとずれる、不思議な高揚のものであったかもしれない。
唯々、前に駆けている。
駆ける内に身を前に向け、踵を土に落して蹴上がり、土を蹴る反動と勢いで身が前に向き、また踵を落とし土を蹴る。最早何思うところではなく、唯ひたすらな反動と反動を繋ぐ運動の力のみが、武蔵の肉体を前に進めている。
ましらの如くとはよくいったもの。
疾風の身に成り代わったかと思われる姿の武蔵。
ところでこの武蔵がいま遁れてある負け戦。これは無論のこと、慶長五年九月十五日、後に天下分け目の大戦と呼ばれた関が原の合戦である。
天下の行く末を、西軍石田光成、東軍徳川家康が争った戦国の世最後の大戦。このとき武蔵がいずれの家中より戦に参戦し、雑兵として槍をあげることとなったかは、後世の記録にあきらかでない。
唯格別の戦功も無く、破れた西軍より出陣した、のは確からしい。いずれにしても関が原に参戦し、敗れて落ちたことだけは伝わっている。
戦功はあった、とも伝わるが格別に功を賞された痕跡もなく、唯いのちだけたすかって遁げ延びたことだけははっきりとしている。
もっとも、武蔵程度の身分であれば、それは当然のこと。はっきりとした記録が残り、ひとの筆になる観察が後世に伝わるほどに、このとき武蔵の身分も名も高らかなものでない。いずれ一村に住まう武者の倅が、唯槍一本を担いで戦働き槍稼ぎをしようと合戦の場に立った。それだけのことに過ぎない。まして、このとき武蔵に疾うに親は無く、援ける後ろ盾というものを欠いていた。
武蔵は一個の戦世の中に措かれた孤児に過ぎず、戦場に立ってみたところで、戦に名を成すにも微かな砂粒の如きものに過ぎなかった。
また、時代が槍一本の働きで成り上がるには、既に戦の世は終り始めていた、のであることも武蔵の槍働きに関わらず、ひとり宮本武蔵という光芒がこの戦場に耀きを放たなかった理由のひとつでもあったろう。これが戦国の世、切り取り勝手の時期であれば、いずれ武蔵はその働きにより国ひとつ城ひとつ切り取って名をあげていくこととなったかもしれないが。
時は既に槍一本の働きで城持ちにも成れた時代ではなくなってきている。
この関が原に於いて、既に勝利は事前の折衝に終っていたといわれているように、戦場での勝敗は既に戦の前に決していた。
徳川家康率いる東軍は、布陣だけをみるなら西軍に勝つはずはなかったといわれている戦である。西軍率いる軍勢総てが東軍にかかれば、東軍が勝つことはなかった……。
事前の調略で西軍の主となるはずの毛利の軍勢は東軍に味方して動かず。あるいは小早川は寝返り西軍を背後から攻めていった。これらはすでに戦の前に調略が済み、闘いの前の政治がすべてを既に決していたといわれている戦である。
戦場の闘い猛将の働き戦の力押し、その巧拙ばかりが運命を決めるときは終わり、戦の戦雲を野戦の原にひろげたときには、既に何もかもの決着が着いていた。
関が原とは、そうした戦場であった。
既に世は太平に傾き、長い戦の影から脱しようとしている。
戦場の槍働きで出世の叶った世は終わりを告げ、別のものが次第にかわりはじめてきた、そのはっきりと戦国の世の終わりを告げる戦が、この関が原の戦でもあったろうか。
尤も、武蔵にそのようなことがわかるわけもない。
唯ひたすらに遁れるだけである。
武蔵の身にしてみれば、世が太平に傾くことなど無論しらず、さらにこの戦が東軍徳川家康の世を磐石なものとする始めであり、長い戦の世の終わり、つまりは終わりであり始まりである歴史の流れの中にあることなど、さらに知らぬ。
唯負け戦であり、遁れるだけ。
わかるのは、戦に負けたら遁れねばならぬということのみだ。
時代は、戦に負けたものに対して容赦無い。捕虜などというものはない。戦に負ければ、唯大将などは打ち首、どのような仕様になれど名は残ろうが、名も無い雑兵は唯討たれるか遁れるしか道は無い。
とにかく遁れねばならぬ。でなくては、戦塵の血と汗にいきりたつ中では、破れたものは皺首だろうと若兵であろうと、首鼻切り落とされて勝兵の手柄とされてしまうという現実ばかりは確かに武蔵が背にして来た戦場に顕かである。
敗兵といえど雑兵であれば戦場の興奮も落ち着き、敵味方の詮議が一方済めば、いくらも遁れる術はあろうというものであるが。いまはまだ熱い戦に皆が煽られてある最中。ひたすらに遁れねば道は無い。
武蔵は、刻もわからずに唯ひたすらに駆けている。山奥の深さは昼になお闇を濃くし、まして天下分け目の大戦のはじまりは未明から霧にみまわれ、さらに小雨の降り続いては止み、また降るという一日であった。
雨に曇る空が一層山奥の昼を暗くしてある。
武蔵は、駆けている。
ある意味、見事な肉体の運動といえたろう。どれだけ走り続けているのか、武蔵当人にもとうにそれはわからないことだが。まるで一本の槍が駆け抜けていくように駆け続け走り続けていく武蔵である。
ざくりと、断ち切る音がした。
目を剥いて、武蔵はとっさに、身を滑り落した。
樹の根が窪み落ちている挟間に嵌り込む。
一瞬間に武蔵は息をとめ目を剥いて樹幹に潜んだ。
樹の根が複雑に絡み合う下に濡れ土が黒く滑り、雨粒に黒く光っている。身を潜めた武蔵の足先に、黒土がぽろりと落ちた。
息を発することひとつできず、武蔵は宙に滑り落ちそうな足底の先がみえない暗闇に目を凝らせている。
足下に、空隙の気配がみえた。
草鞋を履いたあしの先に伝わる冷えびえとした空気は、武蔵にその先が空であることを示している。頼りなく踏むものが先に無い。そのことが感覚として武蔵にそくと迫ってくる。黒土は湿り気を含みさきからの雨で滑りやすく、土から顕わになっている木の根もまた表面艶々と黒く水に濡れ、踏まえる足を滑らそうとする。
必死で堪えた。
落ち込んだ武蔵の身体は谷への転落を滑る根一つ捕えてようやく留まっている。気がつけば、身を落した先、爪先から空を掻けば、共に落ちた土塊が音もさせずに遥か下方に吸い込まれていく。複雑に編まれた樹の根と滑り落ちる黒土に囲まれて浮く身を支えながら、しかし武蔵は空向くことも出来なかった。
音はない。
唯、わかっている。
咽喉もとまで、息の擦り迫るような動悸に見舞われながら、息を吐くことも吸うことも武蔵は出来ずに動きを留めていた。
樹上、ある。
武蔵からは視線をあげることも出来ぬ以上、視ることもあたわないが。
そこに、ある。黒々とした、――最早深閑と山肌は暮色に包まれかけていたが―――塊が、武蔵を樹上よりみつめている。
小雨が、なおも降り続いて頭上をぬらしている。
樹上にある影にも雨は降ろうが、まさに樹に溶け込み、雨に姿を顕すこともなく。森閑とした樹木のみが雨にひた濡れるのみであるとしかおもえない。
だが武蔵にはみえていた。
樹上、影がある。振り仰ぐことも出来ないが、地の窪みに目を向けたままで、武蔵は樹上の人影を感じ取っていた。
まるで、降る雨とおなじほど静かに空に溶け込んでいる。
これほどしずかであれば、獣野鳥の類でさえ、あることに気づかずその枝と間違えて鳥が止まるかにおもわれる。
けれど、そのしずけさと裏腹に身動ぎすることすらかなわぬものが武蔵を縛っていた。
動けばやられる。
無言も息を詰めるのも無意識で武蔵は行っている。
身をさけた咄嗟の仕様にみた剣の虚空に描かれた鈍色の軌跡が、武蔵の脳裏に焼付いている。
断ち切るおとは、武蔵の生命を断ち切るべく、投げられた刃の樹に突き立つ音であった。
目を剥きうごくことができぬ。
断ち切る音は、獲物の代わりに樹木の罪無い幹を斬り飛ばした音であった。
刃は、落ちねば武蔵の頭を切り割っていたであろう。
だが、目を剥き凝然としながら武蔵はその光線の軌跡を追ってもいた。
命の挟間にありながら、鈍色にちかりと白く煌きを生んだ軌跡が脳裏にある。
白刃の反射はあくまで僅か。総て闇のうちに滑らかに、切り命を絶つ為に色さえ鈍くさせている刃だった。
鍛えに鍛え純粋の目的に備えた刃。
鈍色に重い焼き色に僅かに青く闇に弧をえがいて消えた軌跡を、いま武蔵は脳裏に追っている。
呼吸をわすれるほどに惧れと、―――歓喜が武蔵の身を襲っていた。
身を動かすことも出来ないのは惧れである。
樹上遥かにある影の技量は、いまの武蔵を遥かに超えていよう。
それが、頭上にある影の放った刃が生んだ陰、刃の軌跡がまた、武蔵に歓喜を運んできている。
槍働きを求めて戦陣を駆け巡っても得られぬ興奮であった。
武蔵の目が爛々と輝いている。
生気に溢れるというのは、このような目をいうのであろうか。
輝きはつよくいや増している。
うれしいのだ、武蔵は。
いや、うれしく思える己に気づくこともなく、このとき武蔵は高揚している。
戦場を駆け巡っても、命の遣り取りをする為に駆け巡っても得られぬ興奮であった。
命の危機といえるこの状況で、武蔵は惧れよりもむしろこのよろこびを覚えている。いや、よろこびを覚えていることすらいまの武蔵はしらないに違いない。
無のように殆ど思考などせず、ひたすらな歓喜に武蔵は奮えていた。
かおが、いつのまにか笑みになったことにも気づかぬ。木の根を命綱代わりに掴みながら、歓喜に笑みが浮かび目に輝きがある。
根を握る手によろこびの震えがつたわるようであった。
もっとも、実際に武蔵の身には微かな動きも無い。身動ぎせず、影に潜みながら、歓喜の気配だけは大きさを増している。透徹としたよろこびの気を放ってしまっていることを、このとき武蔵は意識していない。
無のなかにただひたすら高揚の気を膨れ上がる歓喜をみつめていた。
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