六夜  みつめ 2


 ぼく、溜息が零れましたよ。

 車掌さんが青くなっておりますし。後ろの方が持っておられますお弁当はしばらくお預けのようですし。ぼく、お腹空いてきていたんですけど。

 ねえ、どうしたものでしょうかしら。

 死んでおりましたのは、通路を挟んで隣の席には、別の出張で高知にいらしていて、一緒に東京まで戻ります予定となっていた方。ぼくが座るはずのお隣りにいましたのは、これは見知らぬ方でございました。どちらも性別は男性。年齢は、三十代と四十代でございます。知らない方の方が四十代くらいにみえましたね。お二人とも、極ありふれたスーツを着ておりました。

 俯いて席に座っている人達が、死んでいるのか如何かなんて随分わかりずらいものなのでしょうねえ。実際、眠っていましたら、きっと見分けはつかないのじゃないかしら。

 ともあれ、死体が二つ出ましたものですから、大層な騒ぎになったのでございます。車掌さんがこの場から誰も外へ出ないようにお客様に要請して、それから警察に連絡するとのことでございました。もう一人、交代に偶々乗っておられた車掌さんが来て、現場の入り口を見張りました。それに、慌てて次の駅に連絡しますやら、何やら。

 とても大変でございましたけど、もっと微妙な立場におりましたのは、ぼくたちでございました。現場にねえ。誰もおりませんからね、他に。

 といいましてもねえ、管轄とか、いろいろございましてね。

 あら、何のお話ですって?

 ええ、実は、ぼくたちの一行の中に、刑事さんがおりましたの。

 ぼくと一緒に東京から高知へ出張されました中にお二人と、高知から同行されますことになりましたお一人。

 この場合、刑事さんがいるのですから、現場の保存とか、せめてその場の整理とか、やらないとまずいでしょうねえ。けど、なんといいますか、出張の帰りでございますしねえ。いろいろややこしい事情もあったのでございますから、車掌さんたちに名乗り出たものか如何か、という難しい判断がございましたの。

 ともあれねえ、居合わせたのですから仕方もありません。

 同行しておりました、このときは高知からの刑事さん一人が、車掌さんに耳打ち致しました。驚いておられたようですけれど、車掌さんはその刑事さんが現場を仕切るのに何処か安心なさっていたようでございます。東京から来た刑事さんたちは、しばらく名乗らないことに致しまして、申し訳ないけど高知の方にすべて御任せすることに致しました。

 これで、ぼくその高知の方が座っておられました席に座ることが出来ましたの。死んだ方の前の席になりますけどね。

 お弁当持った方は余りましたけど、ぼくがそのお弁当もってあげることにして立っていてもらいました。といいますか、立っていてくださるというのですもの。ご好意に甘えましたの。

 高知の方が死体を調べておりました。今度ぼくの隣りになりましたのは、東京から来た方ですけど、刑事さんではありませんでした。ぼく、いつこの方がぼくたちの席に座ったの?と聞きましたけど、どうも空いた席にいま死体になっておられます方が座られたのに気がついておられないようでした。

 気がつきませんでしたの。と、ぼくが聞きましたら、青い顔をして頷いておりました。さて、後ろの席に座っていた人達は、気がつかなくてはおかしいというものですが。

 高知の刑事さんが、死体の後ろに座っている方に――この方々も、東京から出張された方でしたけど――訊ねるのが聞こえて参りました。けどねえ。

 このお二人は、刑事さん達でしたのですけどね。

 ええ、それが、ねえ。

 あきれたことに、なにも見ておりませんでしたの。

 ぼくたちが席を立ったのは見ておりました。それから、いつ戻るか扉を注意してみていたりはしたそうなのですけど。いつのまにか、少し眠ってしまっていたそうなんですよ。こんなことがありますかしら?

 それで実は、この騒ぎで目が覚めたくらいなのだそうです。

 あきれてものがいえませんでしたねえ。

 勿論、怪しい人物も全然見てはおりませんでした。

 役に立ちませんよねえ。

 ぼく、お弁当いつ食べられるかしら、とおもいながらようすを見ておりました。乗客の方達はざわめきながらもおとなしくしております。

 ぼく、妙なことに気がつきました。いえ、妙といいますかねえ。たまたま、そうなったのかもしれませんけれど。

 赤い帽子がありませんでしたの。ぼく、隣の方に囁いて、それから高知から来られた刑事さんにお願いいたしました。驚いて、高知の方はそちらを見ておりましたよ。

 ええ、赤い帽子の女の方。その方の姿が消えていたのでございます。ぼく、前方に目をやりましたときに、赤い服の女性が消えているのに気がつきましたのですよ。

 女の方も、その隣りに座っておられたはずの男の方もおられませんでした。

 車掌さんが、協力してくださいまして、どの車両にも、もちろん御不浄にも、赤い服に赤い帽子を被った女の方がいないことを、確認してくださったのです。

 これまでに、停車する駅もございませんでしたのにね。

 死体が現れたことを置きましても、これはまたひとつの不思議なことでございました。

 消えた赤い服の女性と、現れた二つの死体。

 一人は身元不明、もうひとりはぼくたちと一緒に東京へ帰る途中でした。

 さて、こうした場合困ることというのがございます。

 なんといいますか、現場が列車の中というのが一番困るのでございますね。犯行が列車の中で行われたのがもし確実でございますと、犯人は列車の中にいるということになってしまいますの。ねえ、困りますでしょう?

 あら、何が困るのですって?

 よく考えてくださいましな。犯人は確かに列車の中にいるでしょうけれど、それは、列車に乗り合わせております総ての人が犯人かもしれないということになるのですよ。

 大変な数でございますよ。しかも、処は列車の中でございましょう?

 皆さん、急いでおられますのに、捜査に協力していただかなくてはなりません。けど、全員に犯人がわかりますまで留まっていただくわけにも参りませんし、第一列車を止めておくにしましても、一体何処で、どのようにというお話になって参ります。しかも、列車にはダイヤというものがございますから、簡単に決断できるものではありません。

 列車のダイヤ、つまり決まった時間を決まったように列車は走っておりますから、ここでこの一本を止めますと大変な損害になりますの。それに、乗っておりますお客様も、総てが犯人ではないでしょう?犯人でもない方を、不当に拘束しまして、それでねえ。

 ええ、あなたも、御自分が犯人ではありませんのに、同じ列車におりましたというだけで拘束されて、それでお約束の時間に間に合わない、なんていうことになりましたらいやでございましょう?

 ですから、一般のお客様達を拘束するといっても限度がございます。

 また同時に、犯人は必ずこの中にいるのですから、逃がすわけにはいかないのです。

 もし、お客様を追及せずに帰して、その中に犯人がいましたら、大変なことです。でも、大半の方は犯人とは関わりが無いんですの。

 困りますでしょう?

 如何したものか、考えなくてはいけませんの。

 次の駅で担当になる刑事さんたちが来られるでしょうけど、ね。それにしましても、引き渡すのですから、この場で出来るだけのことをしておきませんとねえ。

 方針というものを決めておきませんと、ねえ。

 ともあれこのままですと、一番考え易いのは、列車を止めさせていただいて、乗客の方全員に、ご住所ですとかをお聞きしまして、それで一旦はお帰りいただくという路線でしょうかしら。けれど、それだけと申しましてもねえ。全員のご住所を聞きますだけでも如何なりますことやら。考えただけで頭が痛くなりそうでございます。

 時間が大層掛かることでしょうねえ。大変なことでございますよ。

 さて、死因でございますが、見てわかることがございました。どちらも、外傷が見当たらないということでございます。つまり、傷とかがございませんでしたの。

 外観に特徴が現れてはおりませんでしたから、ナイフに刺されましたとか、首を絞められて殺されたといいます可能性は考えなくていいようでございました。

 ですからねえ、あとは、おそらく毒物でございます。

 簡単に決めてはいけませんけどね。

 お二人とも、争ったようすもなく、尋常でございました。少なくとも、あまり苦しんだようには見えません。けれどまあ、苦しんでいても、くるしんでみえる毒物ばかりでもありませんけど。それでもこの場合、毒物は急激にその命を奪ったとみてよろしいようでした。そしておそらくは、――――とぼくは仮定していたのですけれど。

 お二人のうちひとり、見知らぬ方は、もうこの席に座る前に亡くなっていたのではないかしらと。

 あら、如何いうことなのですって?

ええ、この席に就く前に亡くなっていたというのは正確ではありませんね。

 正確にいいましたら。

 この席に就く前に、歩いているときには既に死んでいたのではないかということになりますの。つまり、死者があるいたのですねえ。

 え?それでは意味が通じませんって?

 あら、おかしいですこと。

 いえね、あなた、ぼくに同じこといいましたもの。

 ぼくねえ、同じ事をいいましたの。当時、高知の刑事さんにねえ。そうしましたら、同じような反応がございましたもの。

 ぼくが、この席に座って死んでいる方は、この席に就く前に、既に死んでいたのですねえ、といいましたら。

 そんなことはあるわけがない、というのです。そんなことはおかしい、あるわけはないと。

 困りましたねえ。



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