六夜 みつめ 3
え、何を困るのですって?だって、そうでなくてはおかしいからいいますのに、そんなことはおかしいといわれるのですもの。でなくて、辻褄があいませんのにねえ。
ええ、死者が歩いたのでなくて、如何してこの席に死体があるのです?
誰か担いで来たわけでもありませんでしょう?
そんな目立つことをしましたら、幾らなんでも目撃者があるでしょうにねえ。ですから、此処は死者にあるいていただきませんと。ですからそういいましたのに。
高知の方は、ぼくの意見に耳を貸しませんの。隣りに座る東京から来られた方も困った顔をしておられます。
いやですねえ、ぼく、真面目に申しておりますのに。あ、真面目にいっているから困るのかしら。
でもねえ。そうでなくては辻褄が合いません以上、どれほどおかしく思えましても、それが事実でございますよ。
さて、事情聴取は、取り敢えずこの車両に居合わせました方々に、まずは行うこととなりました。車掌さんたちの協力を得まして、乗客の方全員のお名前ご住所を聞きながら、何か不審なものですとか、みませんでしたかを聞いて参ります。
それでわかりましたことは、全員が、いつその席に亡くなられた方が座ったのか、見てはいないという事実でございました。本当にねえ、通路の出入りというのは結構あるものですし、ひとは注意していなければ、殆どのものを見てはいないものなのですねえ。
ええ、赤い服を着ました女性のことも、見た方はいなかったのでございますよ。
いついなくなりましたのか、入ってきたときに注目していた方は、これは結構ありましたのに、席にいないことにつきましては、質問されてはじめて気付くという有様でしたのです。
ひとというのは見ているようで見ていないものなのですねえ。
本当に、目をあけておりましても、見てはいないものなのです。
わたしにしましても、席に戻りますときに、座席に赤い服の女性がいたか如何か、記憶にありませんでしたもの。注意を向けておりますもの以外は、殆ど見ておりませんのが人間なのでございますねえ。
それにしても、赤い服に帽子なんて、それこそ注意を向けずにはいられない格好ですのにねえ。それこそ、車両に姿を現しましたときには、殆どの方が見ておりましたのに。
誰も、いなくなる処は見ておりませんでしたの。
不思議でございましょう?
誰も、二人が死ぬ処を目撃していない。
それにしてもねえ、こういうときに限って駅が遠いものでございます。次の駅はまだかしら、とおもっておりました。ぼく、お腹が空いておりましてね。抱えたお弁当、食べてはいけないかしら、とおもっておりましたよ。
おみやげを見て、すこしうれしくなって、それからふとおもいました。
犯人が見付からなければ、もしかしてずっとお昼おあずけかしら、と。ぼく、すこしかなしい気分になりまして、額を前の座席につけました。お弁当とおみやげを膝とのあいだにおいて、ぼく額を前の座席につけたまま、おなかのすいたかなしい気持を抱えておりました。もう駄目かも、と思いましたよ。そういえば、このとき朝ごはんを食べましたのは、高知空港でございましたねえ。大阪まで飛行機で、それから新幹線に乗ったのですけど。新幹線に乗ってすぐにも、食べておけばよかったと後悔がつのりました。
真面目に乗客の方々に車掌さんは説明などしておりますしねえ。
ごはん、食べたい……。
ぼく、真剣にそう思っておりました。もっときちんと食べておくのでした。頭がずれて、額におみやげがあたります。新幹線のおもちゃに額をつけて、ぼくためいきを吐いておりました。
お腹がすきました、……。
力が無くなって瞳を閉じて、しんみりと抜けた力にかなしくなっておりましたの。
へたり、と平になってしまいそうな力の抜けますのをおぼえながら、ぼく。
ああ、と目をひらいておりました。
目の先には、おみやげのおもちゃがございます。こどもが三人ですから、ひとりにひとつづつ。ひとりひとりに違うものが入っております。
ええ、ひとりひとりに違うものを買いますの。同じものではつまらないでしょう?それに、一人ひとりが違いますもの。
それはともかく、ぼくはいつのまにか起き上がりまして、おもちゃを見つめておりました。両手にお弁当を抱えまして、おみやげをみつめておりました。
隣の方が心配そうでしたねえ。
東京から一緒に動いていた方ですけどね。随分ぼくを心配そうにと申しますか、何と申しますか。みておりましたよ。ちょっと脅えているようでしたねえ。一体如何したのでしょうかしら。
さて、ぼくは隣の方に顔を向けました。腰が引けるのがよくわかりましたよ。ぼくが何をしたっていうのかしら。
ともかく、ぼくは隣の方に話し掛けていたのです。
あまりにお腹が空いておりましてねえ。
ぼく、いわずにはいられませんでしたの。
犯人がわかりました、ってね。
隣の方は目を剥いておりました。
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