四夜  赤鬼――後夜ノ一 2

 ええ、そうして、謎はなぞのままおわりました。

 何もわかりませんまま、雪の庭に咲きました赤い花の謎だけを残して。

 死体はみつかりませんでした。謎の正体もわかりませんでした。

 ぼくは、二度とあの木蓮のおうちに連れていかれることはございませんでした。それから、雪のお庭に赤い花が咲くこともなく、幾つもの季節を巡り、ぼくも大人になったのでございます。

 ええ、大人になりましたよ。

 そうしてねえ、思い掛けない、あの赤い花の謎を解く機会が訪れたのでございます。

 不思議なものでございますねえ。ねえ、そうでございましょう?

 もう半世紀も経ちますというのに。

 ねえ、この邦の刑法を御存知です?難しいことは省きますけれど、刑法というのは、わるいことをしたひとを罰する為の規則なのですよ。その規則ですけれどねえ。この邦では、人を殺しましても、時効と申しまして、何と時間が経ちましたら罪にならなくなってしまいますの。不思議なお話でしょう?一度犯した罪が罪でなくなってしまいますなんて。

 その時効というものでしたらねえ、半世紀なんてとっくに何度も過ぎてしまうくらいの時間なのでございますよ。罪が罰を受けなくなります時間が、充分にもう経っておりました。

 ええ、このことを憶えておいてくださいましな。

 罪が罪でなくなる時間が充分に流れていたのでございますよ。ひとがひとを裁きます決まり事のなかで、おかした罪が罪でなくなる時間が、罰を受けなくなる時間が過ぎていたのでございます。

 充分な時間がねえ。

 すぎておりましたよ。

 ええ、ながい時間が過ぎておりました。ですから、なにもかもがあきらかになったのでしょうかねえ。ええ、そうでございましょう。

 でなくては、けしてあきらかになることはなかったでしょうねえ。

 あれは、きっかけはほんの先日のことでございますよ。

 ええ、そのことがなければ、こうしてお話することもできませんでしたでしょう。それをおもいますと、不思議なものでございますねえ。

さて先日、ぼくは仕事で用がありまして昔住んでおりました家の傍まで行く機会がありましたのですよ。行くといいましても、ある事件に関わりまして、ぼくはある場所を訪問した帰りでございました。ええ、帰り道でございます。運転手も帰しましたので、徒歩で戻ることとなりましたのですよ。たまにはそういうこともございます。

 少し歩く気になりましてねえ。

 その辺りは、昔住んでいた家の近くになるのでした。尤も、それも特に道を歩くあいだはそう意識したものではございませんでしたけれど。

 ええ、お話いたしましたとおり、ぼく小さいころは幾つものおうちに住みましたものねえ。幾つもありましたもの、いちいち、ああ、ここは小さい頃に住んでいた辺りですねえ、などと思い出したりはいたしませんよ。けど、このときは別でございました。特別印象深いことがありましたおうちでしたのも理由のひとつかもしれません。あるいは、単に道をこのとき歩いておりましたのが、思い出させる良い刺激になりましたのかもしれません。

 はい、何故か道程を行きますうちに、鮮明に思い返されてきたのですよ。

 ええ、昔のあの光景がねえ。

 木蓮のお庭に、白い雪。あかくあかくさく、―――花、赤い花。

 あかいおはながさいたゆきのおにわ。


 いつのまにでしょうか。


 ぼくは、木蓮の庭を前に立っておりました。


 茫然としておりましたねえ。子供の頃みました庭とおなじ庭が、目の前にあるのでございます。後から調べてみましたらねえ、それも道理でございました。あの庭のある家の所有権はずっと我が家にありましてねえ。そのままを保って、ずうっと管理されていたのだそうですよ。ですから、当時とおなじ家がありますのは、当り前のことでしたのです。けれど、そのときには知りませんでしたから、随分と驚きました。

 驚きましたねえ。竹の垣根、枝折り戸の細工。硝子の嵌め込まれた戸の腰板。それになにより、ねえ。

 庭にあります木蓮。

 ええ、ぼくうれしくなってしまって、木蓮の樹に近付いていきました。幻ではないのだというのが不思議で、こどもの頃に返りましたようなおもいで近付いておりました。

 傍まで参りますと、本当にあの木蓮でございましたよ。

 ぼくがどれほどうれしかったことか。

 ええ、本当にうれしゅうございました。 

垣根越しに樹を眺めまして、あれから随分と経ちますのに、立派に立っております樹をとてもうれしく見あげておりました。

自然と微笑んでいたかとおもいます。

半世紀以上は経ちます。人もそうでございますが、ねえ。樹は人よりも随分と寿命が長いものと申しましても、かわりに動くことが出来ません。代償として命を落すことも多いことでございましょう。それが、こうして立っておりますものねえ。環境の変化に負けずに、と思いますと、感慨深いものがございました。

木蓮をぼく、随分と眺めておりましたよ。

それから、なにもかもわかったのでございます。

ええ、大人になるというのは、こうしたことなのでございましょうねえ。

こどもでありましたおりには、けして見えないものがみえて参りますというのは。

ええ、みえて参りました。

ですから、そのときぼくは総て得心したのでございます。

何故、どのようにしましてあの花が、赤い花が咲きましたのかということを。

え、どうして咲いたのですって?

そうせかさないでくださいましな。

あらあら、せっかちですこと。

そのまえにねえ、ぼくがどうして得心したのかをお話しますときには、其処を如何してぼくが歩いておりましたのかを頭の片隅に置いていてくださいましね?

ええ、ではおはなしいたしましょう。


あのとき、ぼくはすべてを知ったのでございます。




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