一夜  嵐玉 3


 ああいけない、脈絡のない。

つまりね、ぼくが引き返そうかとおもっていたときに、銃声が響いてきたんです。

銃声というのは、銃を発射するときの音ですけど、銃というのは御存じですかしら?

おわかりになるのでしたら話がはやいですね。けど、貴女のような方が銃をごぞんじなんて、それもこまった世の中だという気がいたしますねえ。いやですよ、殺伐とした世の中ですこと。

ああそれはいいんですけど、銃声がしましたんですよ、ですから。

空気を引き裂くような音がいたしました。ひきつる喉笛の音のような、―――ああ、よくごぞんじですね。それは、そう確かに銃声ではありません。引き攣る喉笛のような音は、本当に喉笛の鳴るおとでございましたよ。銃声はかわいた、そう、ぽんというほども空気を震わせるものではございません。間近でお聞きになれば、また違うでしょうけど、距離をおいたらそんなものですよ。

あ、さて、喉笛のひきつるおとというのは、悲鳴でした。

まあ悲鳴というか、最後の断末魔というのかしら。

撃たれましてねえ、喉笛から最後に漏れた空気の音ですね。

弾が丁度喉笛に当りましてね。ひきつるようなおとがしたのも道理ですね。血飛沫がすごかったですから、あたり一面。

このようなお話は大丈夫ですか?ああ、ええ、きれいな赤でございましたよ。ちょうどその鼻緒の色のようでしたかしら。赤が一面に壁を染めていましたね。壁が白くて、ですから大変に目立ちましたよ。血の赤が一面染めて、立ち尽くしている死体が、――――即死でしたでしょうね。

死の衝撃で筋肉が収縮してどうのとか、理屈はきいたんですけどわすれちゃいました。けどね、驚いたことは確かですよ。

明かりを点けましたら、喉笛を撃ち抜かれて喉を真っ赤に染めた方が、仁王立ちしているのですものねえ。おどろきもいたしますよ。

おまけに、壁に血は飛散ってますし、そのご当人はといったら、すごいかおをして立っているでしょう?

何かとにかく、後で先生とかに聞きましたら、ないことではないっていうか、理屈をなんとか教えてもらいましたけどね。実際目でみましたら、そんなこと考えてる暇もありませんよ。

撃った方はねえ、もういませんでした。逃げたんでしょうねえ。ぼくが明かりをつけましたけど、丁度その方の、あ、これは死体になられた方のほうですね、―――真正面に落ちていましたから。銃が、オートマチックといいましてね、四角い銃で、えっと、その。四角いといいますのはね、比較のお話で。まるい胴がついてるのがあるでしょう?シリンダーとかいうのですけど、それがついている銃ではなくて、四角いといいますか、丸いものがついてない銃です。ぼく、銃は得意じゃないんですよねえ。ああいうのはどうも苦手で。

ともかく落ちていましたから、ぼくひろうことにしました。置いておいても物騒ですしねえ。あとで交番に届けようとおもって懐にしまいました。

そうそう、このときぼくはスーツを着てましてね。ベストは違いのを着てたんです。いまは揃いばかり着てますけれどね。当時は独身でしたし、まだいろいろ試していたんですよ。それで銃を仕舞って、ぼくは辺りを見回しました。そう随分大きな洋館の中でしたよ。ぼくは、悲鳴を聞いて、見も知らぬ屋敷に飛び込んでいたのです。

あ、随分らしくないことをって?

ええ、それはそうだと思いますけれどね。ぼくとしても、当時はいくらか無謀な処を持ち合わせていたといいますか、でなければねえ、いくら何でも、銃声だの悲鳴だのしたところに勝手もわからないのに踏み込むなんてことはしないでしょうよ。本当に、いま思えばなんでそんなところに掛り合いに自分から進んで飛び込んだのだか。考えるとおかしいというものですよ。それとも、予感というものがあったのかもしれません。

嵐の叩き付けるその晩に、その屋敷に飛び込んでも、もう動くものはぼく以外にはいないんだっていう予感がね。

ああ、また、ぼく話を飛ばしてしまいましたか。

すこし戻しましょうね。ぼくは、死体を見つけました。弁慶の立ち往生みたいに立ち尽くした死体でしたけど。そうして、屋敷のその明かりを点けてあたりを見まわすと、高い天井とぼくから見てそのとき左手に窓が並ぶ、そこは廊下だということがよくわかりました。廊下といっても、そうですね、アパートなんかの部屋でしたら、いくつも入りそうな広さがありましたけど。壁際に小さな卓なんかが置かれていて、壁には絵画が掛かっていて、天井からはシャンデリアが、煌々と光を降ろしてました。ぼくはそのとき窓の外を見て、何か予感のようなものがあったのでしょうかね、無音の空に、暗く雲が垂れ込めるその空に、一筋の稲光が落ちたのを見たのでした。

空を裂くようにといいますけど、本当に空が白く裂けたかとおもいましたよ。

轟音というより、一瞬あたりに音がなくなって、ぼくは辺りがまた真っ暗になったのをしりました。暗闇が訪れたんです。落雷で停電が起こったのでしょうか。

ぼくは突然、見知らぬ屋敷に、たったひとりで取り残されてしまいました。傍らにあるのは死体で、しかも犯人は行方が知れないときています。

ぼくは自分が生きるつもりがなくなったのかとあきれましたよ。何のつもりで無謀にもこんなことをしてるのかしら、とね。知人の家でごはんをご馳走になってきていたからいいですけれど、ぼくとしてはこんな処でお腹が空いてないだけでもありがたいかもしれないと思ってから、自分の無謀さにあきれました。

だってねえ、一応、それは武器は落ちていましたとはいえ、それだけが犯人の持っている武器とは限らないでしょう?それになにより、別に銃をつかわなくたって、いくらでもひとは殺せますものねえ。間取りもわからない屋敷に飛び込んで、しかもそこが暗闇に鎖されているなんて。

闇の中に取り残されて、ぼくはどうしようかとおもいました。本当に困りましたねえ、あのときは。

交番に知らせたいと思ったのですけれど、この屋敷の何処に電話があるのかもわかりません。第一、もし電話を探して歩いていたとして、犯人に出くわさないとも限らないのですもの。本当にねえ、物騒な話です。

闇がひたひたと包んでいました。ぼくの周囲には音もしなくて、なんにも動かなかった。何も動いていないから、一体どうしたらいいのだろうかと思ったくらいでしたよ。



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