第8話 悪霊 その1

「もう10時だ。休憩にしよう!」

 タスクとテグスにそう声を掛けたヒンジは、3人分のお茶を入れ始めた。作業場内は結構暑いのだがまだ庭の梅が咲いたばかりの時期、しかも昨日から冷たい雨が降り続いていて、外気は冷えていた。ヒンジは熱いお茶が飲みたかったのだ。

「あっ!それ自分がやります」

 駆け寄ったタスクが慌てて急須に手を伸ばした。

「先生、実は相談があるんですけど・・」

 お茶をさしながらやや神妙な顔つきのタスクが言った。

「何だい?」

 タスクは内容からして相談をしてもいいものか迷っていた。

「あの・・ 昨日の夜、親からこんな話があったんです。親の知り合いのこと、なんですけど・・」

 タスクは一寸口ごもりながらも話し始めた。その話の大筋は次のようなものだった。

 一年ほど前のこと、その知り合いが破格の値段で売りだされた土地を偶然見つけた。南側が開けていて日当たりもよく好条件だ。丁度新築を考えていたので即それを買って間もなく建築が始まった。普通ならこんなに条件のいいところが何故そんなに安価なのかを調べたりするものだが、この知り合いは全くそのことを考えなかったという。不動産屋も特にこのことについて何も触れなかったらしい。

 やがて家が建ちそこでの快適な生活が始まった。しかし何日も経たないうちにその家のご主人が事故に遭って亡くなってしまった。

 災難は更に続き、それから一月もしないうちに今度はそこの奥さんが心臓発作でぽっくり逝ってしまった。

 残された家族は勤めを始めたばかりの娘と中学校に通う弟の二人きり。不安になった娘が以前から家族づきあいをしていたタスクの親の所に相談に来たのだという。そしてその相談をした翌日、今度は弟が農業用の溜池ためいけに落ちて溺れ死んでしまった。

 娘は怖くなって会社も辞め家から一歩も外に出られなくなってしまった。今も家に閉じ籠ったきりで、それこそ骨と皮だけの痩せこけた状態になってしまったという。

 そこでヒンジの力で何とかできないものかと言われたのだという。

「別に直接自分が頼まれた訳でもないし、こんな話を持ち掛けてしまってすいません。これは先生が携わるものとは違いますよね」

 タスクは深く頭を下げて詫びを言った。

「いや、そんなことはないよ」

 ヒンジはかしこまっているタスクをなだめるように返事を返した。

 そもそも2種の年となった元日に八幡神から羅動と化した淀みを清浄に転化する分野は「八幡戦士の役割」と言われている。だからむしろこの役割にはしっかりと丁寧に対応することが大事なのだと考えた。

「これは現場に行って直接見た方がいいかな。ただ残留私念が相当長い期間に渡って淀んでいるんじゃないかとは思える。ただこれまでの経緯なんかを探ってからでないと、どう治めたらいいのか、何とも言えないな」

 その言葉にタスクは驚いた。

「では先生は行かれるんですか? そこへ!」

 ヒンジは頷き更にこう付け加えた。

「タスク、これは八幡戦士としての大事な役割だと思うよ」


 翌日、ヒンジはタスクとテグスを伴ってその現場に向かった。

 そこに建っている家はまだ新しく奇麗だが、敷地内は全く手入れがされておらず荒れ放題の状態だった。

「これは酷いな」

 テグスが呟いた。


「タスク、西の方向を見てみろ!」

 ヒンジが指差して言った。

「えっ! 西ですか?」

 突然の指示に意味を理解できないでいたタスクが急な動きで体の向きを変えた。

「あっ!」

 タスクは2日続いた雨でぬかるんだ足元に気が付かず思いっきり滑って尻もちをついてしまった。

「イテテ!」

 尻に着いた汚れを手で払いながら立ち上がろうとしたタスクに今度は鳥の糞が襲った。

「うわ~っ 汚ったね~!!」

 肩にベッタリと張り付いた。正に踏んだり蹴ったり。

「隙を見せんなよ。またやられるぞ!」

 ヒンジは西の方向を凝視したままタスクに注意を促した。

「黒っぽいもやもやしたものが渦を巻いているようにも見えるのですが・・・」

 ヒンジに倣って西方向を見ていたテグスが言った。

「見えたか! そう、あれが正体だよ。こっちの様子を窺がっている」

 そうは言ったもののヒンジは何も処置をしようとしなかった。

「先生、こんな時はどうしたらいいんでしょうか?」

 タスクがやや焦り気味に尋ねた。

「どうして欲しいんだ?」

 ヒンジが聞き返した。

「どうして欲しいと言われても・・・」

 即答は出来なかった。そしてじっと考えてみた。

「あの渦巻いているものを今ここで治められないのでしょうか?」

 親からの話でもあるし、早く何とかしてやりたいとの思いに駆られたようだった。

「タスクの気持ちは分からないではないけど、今ここでの対応はできないな。何故ああなっているかの経緯が分からないし、そもそもまだ依頼されている訳ではないしね」

 ヒンジはそう言って来た道を引き返し始めた。

「そうですか・・・」

 タスクは落胆したようにヒンジの後ろに付き従った。

「昨日先生が言ってたけど、やはりこうなった経緯を調べてからの方がキチンと治まるんじゃないかな」

 テグスがタスクに向かって言った。

「テグスの言うとおりだよ。事の背景が分からないと間違った治めをしてしまうこともある。力で抑え込むことはしたくない」

「やはりそうですよね」

 ヒンジの言葉にタスクは納得したようだった。

「タスク、あの敷地が売りに出された経緯を不動産屋に聞いてくれるよう親御さんに頼んでみてくれないかな?」

 ヒンジはこれまでの成り行きについて概ねの見当はついたのだったが、確認を取りたいと思ったのだ。そして籠ってしまった娘からの依頼という形で話を持ってこれないかと付け加えた。

「親に言ってみます」

 タスクは肩にたかった鳥の糞を手ぬぐいで拭きながら力なく答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る