第7話 虫けら その2
「ごめんくださ~い!」
ヒンジの家に着いた。バンもタグも胸の高まりを覚えた。久しぶりにヒンジに会えるのだ。
「は~い!」
奥の方からコウの声が聞こえ、足早の畳の擦れる音が聞こえる。
「あら~! これはこれは、お久しぶりです。よくいらっしゃいました」
コウがびっくりしたような、と共に凄く嬉しそうな笑顔でバンとタグを見つめた。
「ご無沙汰しています。奥様はお元気そうで何よりです」
バンとタグは深く頭を下げた。
「それ、お坊さんの法衣でしょ。素敵だわ。とってもお似合いよ!」
二人は照れ笑いをした。
「さぁ、どうぞお上がりください。主人や皆も喜ぶと思います。で、こちらの方は?」
「父親です」
コウはまたびっくりして、満面の笑顔で挨拶をした。
コウの歓迎ぶりに三人は嬉しい思いになった。コウの一寸興奮気味な声を聞きつけたヒンジが何事かと出てきた。
「先生、ご無沙汰しています。私達つい先日下山して参りました」
その挨拶にヒンジも満面の笑顔になった。
「随分と頑張ったね。
ヒンジは二人をめっぽう褒めた。
「おい! 俺たち、かっこいいってさ。やったな」
バンがタグを軽く
そして連れが父親だと聞くとすぐさまヒンジは
「先だっては立派な朱の袈裟を頂戴しました。ありがとうございました。お陰様で善光寺での祭儀を滞りなくしっかりと果たして参ることが出来ました」
ヒンジは合掌して深くお辞儀をした。そして続けて二人をまた褒めた。
「その時のこの二人は、それは立派に役を果たしたんですよ。しっかりした良いご子息です」
父親はヒンジの物言いなどにヒンジという人物をそれなりに感じ取ったようであった。
ヒンジは三人を客間に通した。まだ時間が早かったので護摩の支度はしていなかったが、床の間には御幣が祀ってある。
「この部屋で月に二回、旧暦の一日と十五日に護摩を焚いているんです」
ヒンジが父親に向けて説明した。父親は二人からその様子を聞いていたようで、そのことに関して話を返すことはなかった。
「つまらないものですが」
父親がそう言ってお土産の和菓子を差し出した。するとバンが和菓子店での出来事をヒンジに話し始めた。直ぐに父親は迷惑だろうと止めに入ったが、バンは話を止めなかった。話し終えたバンはヒンジに尋ねた。
「先生はこのことをどのように思われますか?」
ヒンジの答えをどうしても聞きたかった。
「ヒンジさんはお忙しいのでしょうし、このようなみっともない話をお聞かせしてしまって申し訳ない」
父親は恐縮した。
ヒンジは妻が出したお茶を一口すすってから話し出した。
「仕事上の叱責か、それともいじめか、職場で何があったのか分かりませんよね。情報が少ないので。
でもいじめならお父さんの所に何らかの苦情が来てるんじゃないですか。でもそれは無かった。
であるならはやはり
建て方も何もできていない。感謝もない。厚意も感じ取っていない。
本尊はこの倅の在り様をどのように思うのでしょう。
私はそれを考えます。
まぁ、バンとタグはこの倅に腹を立てて当然と思いますが・・・」
ヒンジは数少ない状況から分析を試みたのだった。バンとタグはヒンジのその言葉を聞いて大きく頷いた。しかし亭主についての言及がないことに気が付いた。
ヒンジは次のように話を続けた。
和菓子屋の亭主は優柔不断で倅に遠慮しているようにも見える。何か理由があるのだろう。そして大事なお得意様も失いたくないという正に板挟み状態だ。責めるにはやや哀れとも思える、とそう言った。
それを聞いた二人はやや納得のいかない表情をしたが、よくよく考えてみればあの亭主はやはり哀れなんだとも思えたのだった。
それにしても父親は
更にこれは言葉にはしなかったが、僅かの時間をおいてもう一つ菓子折りを買いに行かせたのは、もしかしてその後の和菓子屋内の反応を収集できるかもしれないとの思いがあったのではないかとも思った。もしそうであるなら、この父親はとんでもなく思慮深いというか、用心を心掛けているというか、情報収集の達人だと感じたのだった。
「それぞれの立ち位置によって感じ取る思い、風の受け方は様々だと思います」
ヒンジの結論としては全体的に無難な物言いをした。ヒンジは真詞の「六風」のことを思い出していた。
しかしこの物言いに対して千手観音がヒンジにこう伝えた。
「礼の建て方が出来ていないもの。
感謝を知らないもの。
報告の出来ないもの。
厚意を解さないもの。
自立心がなく他力だけで動いているもの。
本能だけで動くもの。
これらを虫けらという」
ヒンジが倅に対して言った言葉がそれなりに並んでいた。
「虫けら」
ヒンジはこの言葉に衝撃を受けた。和菓子店の倅のことを虫けらに等しいと言ってしまったと思った。
紗々の動の教示を受けた時の千手観音が言った言葉「虫けら」が頭をよぎった。本尊は虫けらを滅するに躊躇はしないだろうと考えた。許せることの叶う所業と叶わない所業。激しい風は本尊が吹かす。
二種の対象。
そして紗々の動。
もしかしたら和菓子屋の倅でその現象を目の当たりにするかもしれない。そう考えたヒンジは黙り込んでしまった。
「先生。どうかされましたか?」
バンが、気遣った。
タクトが護摩のためにやって来た。
「あれ! 久しぶり。二人とも元気そうだね。
法衣、様になってるじゃないか。見違えたね。剃髪(ていはつ)はしなかったんだ?」
二人を見つけるなり嬉しそうに大きな声で話しかけた。父親を紹介されるとやはりすぐさま袈裟のお礼を言って深く頭を下げた。
いくらも時が経たないうちにタスクとテグス、センショウもやって来て、タクトと同じようなことを言った。
「ヒンジさんの所にお集まりの皆さんは、本当に二人のことを大事にしてくださっているんですね。誠にありがたいことです。改めて感謝申し上げます」
父親が丁寧に頭を下げた。
三人は折角だからとこの日の護摩に参列することとした。護摩に集まって来た人たちの中にはバンとタグに気が付いた人もいて挨拶をかわしたりした。その様子に父親は満足そうに頷いていた。
「善光寺に年参する会の会則のようなものを考えてみました。これからそれを読み上げますのでお聞きください」
ヒンジがそう言ってタスクに振った。タスクはこの前の集まりの時に皆で話し合った内容をまとめていてそれを読み上げた。集まった人たちの反応は概ね好評だった。例の老婦人がヒンジの所に来て深々と頭を下げて言った。
「ヒンジさん、よろしくお願いしますね。あと何回行けるか分からんけど、楽しみが出来ました。ありがとうございます」
周囲にいた人たちからも同じような声が聞こえた。
「来年も再来年も皆さんとご一緒に善光寺にお参りいたしましょう」
ヒンジの言葉に拍手が沸き起こった。
「私もこの会に入れますかね?」
バンとタグの父親がヒンジに尋ねた。
「勿論大丈夫です。喜んでお迎えします」
突然の申し出とヒンジの受け答えにバンとタグは喜んだ。
「こんなに大事な集まりに私を連れて来てくれたバンとタグに感謝しなくちゃな!」
父親は袈裟を贈るきっかけとなったときの夢、阿弥陀如来が夢枕に立たれたことを思い出していた。あの時の興奮は今も忘れていない。是非ヒンジと一緒に善光寺へ行きたいとの強い思いが込み上げたのだった。
護摩が終わり皆は帰路についた。帰りの車の中でバンが父親に問いかけた。
「もう一つの菓子折りは何処へ持って行くわけだったの?こんな時間になってしまったらもう行けないですよね。もったいなかったですね」
「いや、いいんだ。二人で食べなさい。」
父親はニヤッと笑った。口にはしなかったヒンジの勘が当たっていたようだ。
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