第6話 虫けら その1
「こんなに早く
お二人は大変熱心に修行されました。ご立派です。
ところでバンさんとタグさんは僧籍の取得を目指されている訳ではないと承知しております。これで下山されますか?」
この考査に合格すると僧籍を取得できる最後の修行を受けることが叶うという。その時には
僧侶としての在り様を身に着けるのはここまでで十分、とのことらしい。
「はい。そうさせていただきます。師のご指導に感謝します」
バンが答え二人は丁寧にお辞儀をした。
二人はそれこそ熱心に修行した。最短で考査に合格できるのは極めて少数しかいない。それを二人はやってのけた。歯を食いしばることも多々あったようだが、二人はヒンジ達のことを思い出しながら気を奮い立たせたのだった。
「
バンとタグは実家に帰った。
「二人ともよく頑張ったな。随分と大変なこともあっただろうに。何となくお前たちが大きくなったように見えるよ。嬉しいね。
今日は皆で下山祝いでもしようか」
父親は満面の笑顔で二人を迎えた。
夕刻になった。
「これはこの日のためにとっておいた大吟醸だ。飲むか!」
父親は
「お疲れさん!」
父親がグラスを掲げて音頭を取った。
「
タグが嬉しそうに冷えたグラスを傾けながら言った。
久しぶりの酒、流石の大吟醸だ。とにかく美味かった。
母親が沢山料理を運んできた。
「山では食べられなかったものばかりでしょ! 沢山食べてね」
二人が大好きな鶏のから揚げやニンニクの効いた豚肉の生姜焼き、鯛や鮪の刺身などが盛りだくさんだった。母親も二人が返ってきたことが嬉しくてたまらないといった表情だった。
「ところでヒンジさんの所は近いうちに挨拶に行くんだろ?」
父親が尋ねた。
「はい。なるべく早く行きたいと思っています」
その返答に父親は言った。
「私も一緒に行こうかな。ヒンジさんにはお礼を言いたいし・・」
どうしてもヒンジに会ってみたくて仕方なかったのだ。
幾日も経たないうちにバンとタグは父親を連れ添ってヒンジ宅に向かった。
「先生、多分居るよな。今日は護摩の日だし。でもこんな格好で突然行ったらきっと驚くだろうな」
二人は修行していた時の法衣を
「皆さんがどんな反応するか楽しみですね」
運転をしながらタグがいたずらっぽい目つきでバンに言った。
「アハハ! 二人ともすっかりヒンジさんの
父親は大きな声で笑いながらちょっと
「タグ、あそこの店でお土産を買っていこう」
父親が常用している老舗の和菓子屋を指差した。タグが店の前で車を止めた。
「あっ! 毎度有難うございます。また先生にはいろいろお世話になりまして」
店の亭主が父親に向けて丁寧な挨拶をした。
「この菓子折りを頂こうか」
注文を受けた亭主は手際よく菓子箱を包装した。
「ところで
父親は会計をしながら亭主に尋ねた。
「はい。先生にお口添えしていただき、お陰様でどうにか就職できたのですが・・・
実は
亭主はうつむきながら申し訳なさそうに状況の説明をした。
「そうですか。それは残念でした。またどこか探しましょう」
「すいません。先生の顔を潰してしまって。でも次回は少し時間をおいてからの方が良いのではないかと思っているのですが・・・」
亭主は大きく溜め息をついた。
「私が育て方を間違えたのでしょうか。親戚筋からもあいつを甘やかせ過ぎたとよく言われるんです」
すると店の奥から大きな声が聞こえた。
「あんな会社を紹介する奴が
多分会話を聞いた倅が顔も見せずに奥の方から怒鳴ったのだろう。
「お前、なんてこと言うんだ。こっちに来て謝れ!」
今度は亭主が怒鳴った。
「やなこった!」
倅は捨て台詞を言った。
「申し訳ございません。何時もあんな調子なんです。もうどうしていいか分からないんです」
亭主は平謝りだった。
「何かあったら、またご相談ください」
父親がそう言い残して三人は店を出た。
タグが車を走らせ始めた時、
「バン、さっきの店で同じものをもう一つ買ってきてくれ。違うところに持っていくのを忘れてた」
父親が慌てた風にバンに言った。
バンが店に入ると奥からさっきの亭主の話声が聞こえてくる。
「本当はさ、お前の言うとおりだよ。父さんもあんな会社だ!と思ってる。紹介された手前仕方がなかったんだ。あの人はお得意さんだからね。
もう紹介してくれなんて頼まないから、大丈夫だよ」
バンはその話を聞いて唖然とした。菓子折りを買うかためらった。でもそれは割り切るべきと考えた。
「すいません!」
バンは店の奥に向かって声をかけた。
「は~い!」
そう返事をして亭主が奥から出て来た。バンを見るなり亭主の顔が真っ赤になった。
「な、何か、ご、御用でしょうか?」
亭主は明らかに取り乱したような対応をした。
「先程と同じものをもう一つ頂きたいのですが・・」
バンは何もなかったように注文した。
「か、かしこまりました。少々お待ちください」
菓子箱を包装する手が震えているのが分かる。さっきのような手際のよさがない。
「お待たせしました。
変なことをお聞きしますが、こ、ここで何か聞かれました?」
亭主がおどおどした様子で尋ねた。
「何のことでしょう。今来たばかりで私は何も聞いてはおりませんが・・・」
バンは亭主の顔を見ながら淡々と対応した。
「そ、そうですか。それならいいのですが・・・
ありがとうございました」
そう言って亭主は包装した菓子箱をバンに手渡した。
車に戻ったバンは店でのことを父親に話そうか迷った。でもやはり情報として伝えておくべきだろうと判断した。
「そうか。あのご亭主も間に入っていろいろ大変なんだな」
父親は和菓子屋の亭主に理解を示した。そしてバンの対応を褒めた。
「でもお前はよく腹も立てずに冷静に対応したね。なかなか大したもんだ。坊さんの修行が役に立ったかな」
父親は笑顔を見せた。しかしバンとタグは腹の中で父親の厚意を見失っているあの親子に腹立たしい思いを持った。
「今回のこと、親父殿は腹が立たないのですか?」
バンが聞いた。
「そうだな。一般にヒトとはこんなもんだと割り切るのが一番、かな・・・」
二人は父親の度量の大きさを改めて感じた。
「もっと
でもな、私にもレッドゾーンはあるんだよ。そんな時はそんな奴に思い知らせてやることだってあるんだ。勿論一般の人に対してではないけど、殆どが政治家やその絡みの連中に対しての話だけどね・・・」
目には目を、やられたらやり返す、それも二倍三倍にして。それが政界における
「先生がこの話を聞いたらどう思うのか、聞いてみたいな」
バンが独り言を言った。
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