第5話 水生
「ヒンジよ、『ヒト一人の命は地球より重い』との言葉を発する者がいる。
さて、ヒンジはこのことについてどう思うか?」
護摩の最中にヒンジは突如質問を受けた。阿弥陀経を唱え初めた時だった。
質問の主は阿弥陀如来である。
ヒンジは
「弥陀聖尊に申し上げます。
ヒト一人の命が地球より重い筈はありません。
でも地球より軽いとも思いません」
「その訳は?」
「何故ならば、ヒトは地球の一部だからです。
地球の一部として生きている、すなわちヒトが正しく生きることで地球も正しく生きることが出来ると考えます」
阿弥陀如来はヒンジの言葉を黙って聞いていた。そしてヒンジはこれまでに学んできた思いを更に述べた。
本来、「地球の重さ」と言うのではなく、「地球の命の重さ」と表現するべきだと。もっと大きくとらえれば、「宇宙の命の重さ」と言ってもいい。
自分の体で例えるならば、自分の体を形作っている各細胞、それぞれはとても小さな命だが、その小さな命が集まって自分という一つの大きな命となる。その大きな命を小さな命が協働して生かしているということ。だからそこに大小による重軽の比は無きと心得ると申し述べた。
ヒンジがここまで述べた時に一言、阿弥陀如来が口を挟んだ。
「このことを『花ひらく大輪が菊』と言う」
一寸ここで説明をする。
菊は花弁だと思われている部分が実は一つの花なのである。そしてその小さな花が沢山集まってあの立派で美しい大きな菊の花となるのだ。
菊は「
九は王数であり、もっとも大きいということを表す数字なのだ。
つまり小さな命が集まって大きな命を生かす。これは喜びが最も大きい形となるのだと、阿弥陀如来はそのことを言ったのだった。
ヒンジはさらに続けた。
「何一つ無駄とする命は無い、と心得ます」
この内容はヒンジが八幡神から八幡戦士となるときに言われたものそのものだった。その時の言葉をヒンジはしっかりと自分のものとしていたのだ。
ヒンジは妻や息子のキッショウ、4人の弟子と今は僧侶の修行に行っているバンやタグ、母親や護摩に集まって来る人達の顔を思い浮かべていた。
しかしヒンジは次の事案も述べなくてはならないと思った。
「ただし大の命を生かすため、小の命を取り除くことがあってもしかるべきかと。例えば癌化した細胞はその対象と心得ます。
これが私の思いです」
「碧淳の人よ。
その全ての思い、大事と心するがよい」
阿弥陀如来はヒンジの答えを受け入れてくれたと思えた。
ただ紗々の動で振り分けられてしまう命もあることに考えが及んだことには心を痛めた。
「弥陀聖尊にお尋ねします。
2種の年における紗々の動の規模は如何様になるのでしょう?」
ヒンジは気になっている部分を尋ねた。
「それは我が担うところではない。
正大輪とはありとあらゆる全てが正法の流れの中で正しく巡回し新陳代謝すること。
つまり命の営みである。
生まれてくるもの、死んでいくもの。
そこには命の存在がある。
「ヒンジよ。命は全てが同等である。何故なら命は同じ水から生まれてくるからだ。
故に命にどちらが上でどちらが下という区分けはない。この在り様を『
そしてさらに阿弥陀如来はヒンジが言った「小の命を取り除く」という物言いに次のように教示した。
「たとえ癌細胞であってもそれはその者から生まれ、その者の細胞の一部として生きてきたのだ。したがってやむを得ず治療のために摘出手術などをするにしても、癌を恨むのではなく、滅とすることに対し詫びの心を持つことが肝要なのだ。
それは死にゆく自らの細胞への供養になり、生き残った細胞らの安寧につながると心得よ」
ヒンジは思った。生死に関わるその全てが、命という摩訶不思議な存在のご縁を司っているのは阿弥陀如来なのだと。
「紗々の動」の対象となる命に対する思いも納得することが出来た。
それにしても阿弥陀如来の「命はすべて同じ水から生まれてくる」との言葉が心に刺さった。
「結構これまで無造作に水を使っているよな。気持ちを改めないといけないな」
ヒンジは鍛冶の最後の作業、刃を強靭にするための焼き入れを思いだした。朱色に加熱した鋼を水の中に投入する作業だ。
「この作業が刃物に命を吹き込んでいるようなものなんだな」
と、そう思うのもある意味いいのではないかと思った。
改めて水の存在の有難さ、大切さを認識したのだった。
これは余談であるが、阿弥陀如来がこのような教示をするということは、阿弥陀如来は宇宙創造のビッグバンよりも以前から存在していると考えても不思議ではないだろう。
何故なら宇宙の命をも司っていることになるのだから。
何というか。これは物凄いことに気が付いたと思えてならない。
「弥陀聖尊のご教示に感謝します。
善光寺に参行する会が『大輪が菊』となるよう努めます」
ヒンジは会の大切さもしっかりと胸に刻んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます