3.水木と沙代、龍賀の業


 個人的にはやはり何度見ても悲惨なのが、沙代と水木のすれ違いです。

 あくまで「大人の保護者」として彼女を助けようとする水木に対し、ひたすら水木に「女としての」自分を見せようとしていた沙代。

 そこには恐らく、祖父に汚され続けた自分の過去や龍賀一族、哭倉村の全てを切り捨て、全く別の自分として生きたいというあまりにも切実な願いがあった。だから「東京へ行けば全てがなかったことになる」と信じ、その為に水木に縋ろうとした。

 心のどこかで無理だと分かっていても、それでも水木という希望だけは信じたかった。


 要するに、序盤の水木は沙代を利用しのし上がろうとしていたが、沙代もまた水木を利用しようとしていた。

(恐らく純粋な恋心もあったが同時に打算もあったと思う)


 このあまりのすれ違い、何度見てもぐっと来ます。

 地下工場で追いつめられ、「私を見てくれるって、貴方ならって信じてたのに……」と水木に縋ろうとする沙代。そんな彼女から目を逸らしてしまう水木。

 ここで水木に目を逸らされたことで沙代の最後の理性が吹き飛び、彼女が使役した狂骨の暴走が始まる。

 このシーンは本当に考察のしがいがあるのですが、自分の中の結論としては


「水木にとっては、ここで目を逸らすのが正解でしかない」


 となっています。

 理由はいくつかあって


 ・そもそも水木自身、「俺に(人を愛する)そんな器はない」とゲゲ郎に吐き捨てている。

 沙代の真相を知って嘔吐した時の呟きも「だから俺なんかに」。

 つまり水木の自己評価が異常に低く、自分には沙代を愛せるわけがないと思い込んでいる

 ・龍賀としての沙代を利用してしまった罪悪感

 ・単純に、沙代を庇護すべき対象としか考えていない(女として見ていない、見られない)


 多分この3番目が、単純にして最大の理由ではないかと思っています。

 Mの秘密を探る為に彼女を利用してきた水木は、それ以上彼女に嘘をつけなかった。「どんなことをしてでも償う!」とまで言い切ったからには、もう嘘などつけるわけがない。


 そして、仮にここで水木が沙代を(彼女の願い通りに)女として見てしまったら、その瞬間に水木が時貞や時麿と同レベルのクズに堕ちるという凄まじい矛盾。

(いや勿論、お互いがしっかり愛し合っているなら30代男性と10代女性の恋愛もあって構わないんだけれども、少なくとも水木は「自分にそんな器はない」と思っている。その上時貞らが沙代にした行為を知ってしまった以上、水木は最早絶対に沙代を女として見ることは不可能だし何より水木自身が己に許さないだろう)

 そういう男ではありえないからこそ沙代は水木に惚れたわけであり、それでも沙代は水木に「女として」愛されたかった。それも、自分の過去を何もなかったことにして。


(通算11回目ぐらいで気づいたが、仮に水木が沙代と結婚して龍賀に婿入りしたら水木はもう「水木」ですらなくなってしまう。このネーミングも含めて水木と沙代の悲劇っぷりが凄い)



「東京もこの村と同じ、居場所なんてない」という彼女の悲嘆は言葉通りの意味にもとれるけど、同時に「水木に女として愛されたとしても、結局は水木が時貞や時麿と同じになるだけだと知っていた」のかも知れない?と今なお考えてしまいます。

「それでも貴方ならって……信じてたのに」という言葉も、「それでも水木ならこれまでと違う、本当の愛をくれると信じていた」のだろうか。

 実際水木は間違いなく「庇護者としての」愛情を沙代に向けていたし、それは沙代のような子供を救うには絶対に必要な愛情だった。

 彼女に本当に必要だったものがそういう、「大人が子供に向ける」愛情。

 沙代の過去も罪も全てを受け入れ、それでも大人として守ろうとする、本物の愛情。



 しかし沙代が求めていたのは、「龍賀の女として利用され続けた自分ではなく、全てをなかったことにして生まれ変わる自分&そんなまっさらな自分を愛してくれる人」。

 だから水木が沙代の過去と罪を知ってしまった時点で、彼女にとっては絶望しかない。

 知った上で水木が沙代に改めて「(沙代を利用しようとしたのは)どんなことをしてでも償う! だから東京へ行こう!!」と言っても、最早彼女には届かない。

 これ、改めて考えると最大級の愛の言葉じゃないかと思うんですけどね……恋愛的な意味での愛とは違うけど、とても大きな「博愛」であり本当に沙代に必要だったもの。

 この言葉さえ届かなかったのは、沙代が「龍賀の女として利用される」以外の愛情を知らなかったゆえなのか。母親(乙米)とさえあんな感じだしなぁ……克典とは悪くない親子関係に見えたけど、本当の父親ではないだろうし娘の真相は克典も分かってないだろうし。



 それでも「貴方なら私を見てくれると信じていたのに」と水木に縋る沙代。

 恐らくそれは、「それでももしかしたら、水木さんなら本当に愛してくれるかも知れない」という一縷の希望だった。

 実際この時の水木であれば、沙代を受け入れ守ろうとする度量はあっただろう。彼女の過去も罪も知った上で「東京に行こう」と言った時点で、水木はこれ以上ないレベルで沙代をきちんと見ていたのだから。

 そう、沙代の願い「出来るかどうかではなく、貴方が私と共にいたいと思ってくださるかどうか」は確かに叶っていたのです! 沙代に本当に必要なことをやってくれる大人だったんです! 水木は!!



 それでもここで水木が目を逸らしたのはやはり、「俺にそんな器はない」と思い込んでいる自己評価の低さゆえか。

 それを「私を見てくれない」と思い込んでしまった沙代は……



 ここのあまりのすれ違いっぷりは本当に、いつ見ても情緒が滅茶苦茶になります。

 同時に、酒盛りでの水木の吐露やゲゲ郎の助言、沙代の言葉のひとつひとつに至るまでここへの伏線だったのかと驚く。


 ここでの水木の自己評価の異常な低さについては色々考察がありますが、恐らく


 ・戦場で何人もの戦友を助けられず、また敵兵も何人も殺し「命を踏みにじってしまった」という自覚からの罪悪感(普段の回想では「死にたくない」と言っているのに対し、寝ている時に見る悪夢では「俺を殺せ」。つまり深層心理では非常に強烈な罪悪感に苛まれている)

 ・その罪悪感から、「(多くの命を踏みつけて生きのびてしまった)自分はのし上がらねばならない」という強迫観念に近い意思が生まれる(「せっかく拾った命だ、無駄にはできん」などの台詞より)

 ・しかも帰還後、母が親戚に騙され財産を奪われていた(+戦地では上官の理不尽な暴力が日常茶飯事だった)ことから、「弱者を理不尽に踏みつける、他者を下に見る」行為に対して激しい嫌悪を抱く

 ※それゆえ、他者に踏みにじられたと感じると(たとえ相手に悪意はなくとも)激しい怒りを覚える。例・克典との葉巻のやりとり、ゲゲ郎からの「憐みをかけた」の言葉に対する反応など


 以上3点より、他者を利用しのし上がる生き方を自分に強要しているが、同時にそんな自分に対して著しい嫌悪を抱いているのが水木というキャラなのでは?と思っています。

 ゲゲ郎との酒盛りでの「だから俺は力が欲しい! それ以外のことは、俺には……!」の切羽詰まった吐露はいつ聞いても沁みる。

 やたら心がギューと締めつけられるシーンが本作にはいくつもあるのですが、この場面もそのひとつ。


 そんな感じで、劇中のごく限られた描写でキャラの内面を色々と考察できるところも凄い。

 キャラの台詞や細かな仕草をどう書くかというのは、あらゆる創作において本当に大事と今更のように感じた次第です。


 序盤のクリームソーダ云々のやりとりにしても、直前の孝三の話題を沙代が「そんなことより」と強引に切り替えて東京の話に持って行ったのが妙に印象に残りました。あれにより彼女の余裕のなさ、そして自己中心的な(そうならざるを得なかった)部分が少しずつ明確になっていったと思う。

 あの村じゃ相手の話を「そんなことより」で遮るなんて当然の如く日常的にやられてるだろうし、それが失礼なことだと教えられる人間など皆無だったのかも知れない。

 自分から提示した話題ならともかく、相手の話題(もしくは相手が興味を持ちかけている話題)をその言葉で遮るのは、状況にもよるけど基本的にはアカン……

 ラブコメやギャグ作品だと「そんなことより」という言い回しよくありますが、同じ調子で現実で使うと相当のひんしゅく買うことが多いです。

 かくいう自分も自覚できたのは社会人になってからですが(ハズカシイ)



 狂骨を暴走させ、憎悪のままに母を含めた村人や裏鬼道たちを大量殺戮した沙代。

 そして彼女はやがて水木にまで手をかける。狂骨ではなく自らの手で、水木を絞め殺そうとして。

 その腕力をもってすれば振り払えるはずなのに、水木は決して沙代の手を振り払おうとせず、彼女のなすがままになっていた。恐らく「殺されても仕方がない」極端に言えば「俺なんかは沙代さんに殺されて然るべき」という心境だったのか。

 そして……



 まさかの長田に刺され、沙代はそのまま力尽きる。

 水木の名を呼び悲痛な絶叫をあげながら彼女は高温の炎で焼かれ、骨すら残らず散ってしまった。

 このあたり、中の人のコメントなどによると「水木の記憶に心の傷となって残る為、沙代は最期こう振舞った」という意図があったらしい。

 水木が村の記憶を全て失ってしまうあの結末を思うと因果応報がすぎる……


 いかに乙米の仇とはいえ、その娘であるはずの沙代に投げつけた長田の最期の言葉「化け物め」もあまりにも惨い。彼女を化け物にしたのは誰だと思ってる!自分だけ仇とったつもりで綺麗に死ぬな!!という意見も見ましたがそういう感想もかなり分かる。

 それでも沙代の元へ駆け寄り、彼女に謝り続けながらその亡骸を探ろうとする水木。

 ここの水木の号泣も、なりふり構わず感情さらけだしてる感があって非常に痛々しい。序盤の「他人を踏みつけてでものし上がる」為、沙代や時弥のような子供たちさえ利用していた男と同一人物とは思えない号泣。


 その後のゲゲ郎への「すまん、遅くなった」のかすれ声も非常に良い。

 立ち直りが早すぎる!と初見では一瞬思いましたが、それまでの描写で「死者を振り返る余裕などない戦場にいたなら、この異常な立ち直りの早さも仕方がない」と自然に分かってしまう構成も良い。

 一人一人の生き死にに拘っている余裕などない、まさしくイデオン発動編の如くの戦場から生き残ってきたがゆえの水木の行動がまた悲しい。沙代はそれこそ10年でも20年でも、一生でも引きずっていてほしかっただろうに。



 それにしても、沙代は敗戦の被害の大きさをどの程度知っていたのか。

 徹底的に踏みにじられ続けた水木の過去(=戦中戦後の悲惨さ)、そして彼が戦後あらゆるものを利用せざるを得なかった人生を彼女が知ることが出来れば、ある程度二人が本当に理解しあうことも出来たのでは?と考え始めるとキリがない。そして「沙代は戦争をどこまで知っていたのか?」の疑問が生じる。

 終戦時は恐らくまだ5歳程度だっただろうし、日本が戦争に負けたとは聞かされていても、それがどれだけ悲惨だったかはほぼ教えられていない可能性も高いのでは……

 教えられていたとしても「あの屈辱の敗戦から日本を復活させる為、龍賀の女としてお前はきっちり務めを果たせ」という極端なマイナス方向でしかないような。

 というか、沙代どころか乙米たちですら敗戦時の被害をほぼ知らない可能性さえあるのがあの村の怖いところ。村人は多分誰一人戦場に行ってないだろうし。

 川上の2000本安打やクリームソーダ、佐田啓二などの華やかな情報は(恐らく大半は克典経由で)入れていても、それ以外の(特に村にとって不利益な)情報は遮断されているだろうし。


 このあたりの考察は一旦始めると止まらない。

 沙代は本当に恋心ではなく、水木を利用しようとしただけなのか……とかも。これは多分本人に聞いても自分で自分が分からないレベルで分からないだろうなw

 しかし個人的には、沙代は打算もあったけど純粋な恋心もあったはずと思いたい。水木が打算もあったが沙代のことは(大人として)大切に守るべき存在と思っていたように。

 何故って


 ・大人はろくでもないクズしかいないあの村しか世界を知らず

 ・祖父から当たり前に凌辱され続け、周囲は誰も助けてくれず、親からさえ道具のように扱われてきた少女が

 ・東京から来た立派なスーツのイケメンと出会い

 ・鼻緒が切れて困っていたところを颯爽と助けてくれて

 ・遠慮なく自分の膝に足を乗せていい、肩に手を置いていいとまで言ってくれて

 ・躊躇なく自分のハンカチを破いて慣れた手つきで直してくれて

 ・しかも時ちゃんのような子供にも優しく東京の話題も豊富


 キュンと来ないわけないでしょうコレ!

 人の心は0か100かでは語れないんですよ!!



 そしてあのトンネルのシーンから二人でゲゲ郎救出に向かうまでは確かに、水木と沙代の間には心のつながりがあったと思いたい。

 あの瞬間は確かに水木は沙代の罪も過去も受け入れようとしていたし、沙代も水木が危地に向かうと分かっていても躊躇わず共に行くと誓い、ある程度合理的な作戦を二人で練っていたのだから。

 それがどんなにわずかな間だったとしても!




 あと未だに分からないのが、水木がわざわざ沙代と乙米たちの前で沙代の所業を暴露した理由だな……

「お前(沙代)はこの里でしか生きられないのですよ」と嘲笑する乙米に怒りを爆発させ「そうさせたのはお前たちだろ!」までは分かる。しかしその直後「そのせいで、何人もの人を……!」と水木が言ってしまった、言わざるを得なかった理由は何だろうと未だに考える。

 あのタイミングで明かさないと犯人判明の機会がないというメタ的な理由が多分大きいと思うけど、水木にしてみれば「散々傷つけられた挙句に身内を手にかけた子供をそのまま放っておくことなどできない」という心情だろうし、自分一人で抱え込むには荷が重すぎると感じたのかも知れない……水木自身も戦場でのPTSD抱えている上、3人の亡霊+狂骨はどんな聖人でも無理がある。

 あの場にはゲゲ郎もいたし、半分くらいはゲゲ郎に聞いてほしいという思いもあったんだろうか。

「そうさせたのは~」の叫びから分かるとおり、乙米たちへの激昂が非常に大きかったのかも知れない。



 仮にあそこで水木が沙代の罪を明かさずとも、結果はそこまで変わらなかった可能性が高いと考えると何とも哀しい。沙代にとっては水木が自分の過去を知ってしまい、目を逸らされただけで十分絶望にはなるのだから。


 それを思うと殺された3人が何とも不憫な……

 自業自得な面はあるけど(特に時麿)、3人とも龍賀の被害者でもあり、そうならざるを得なかった理由があるからなぁ。

 時麿は「私におじいさまと同じことをしようとした」⇒修行で長年抑圧され続けてきた結果

 丙江は「おじいさまとのことを水木さんにバラそうとした」⇒過去駆け落ちに失敗した結果(恐らく同じようにバラされた経験があるのかも知れない)


 庚子については殺害の理由が明確にされていないものの、時麿日記(=水木と自分を繋ぐ糸)の捜索を邪魔された上、龍賀当主としての権利を真っ向から主張され脅されたからと思われる。


 庚子についても色々考えることが多い。

 彼女自身も時貞に過去被害を受けて(恐らく)時弥を妊娠し、その結果長田との望まぬ結婚をさせられたんだろうに……そして長田は基本的に乙米しか見ていないから、庚子は時弥をひたすら溺愛するしかなかったんだろうか。

 庚子も龍賀の中で日常的にひたすら脅されながら生きるしかなかったんだろうなというのが、劇中の描写からも分かる。「今度は自分が脅す側になれる」と分かった時の変化がかなりリアルだなと……普段脅しとか全くやり慣れてない人の脅し方にしか見えなくて痛々しかった。


 何より最愛の我が子たる時弥があんな状態なのに、(乙米ですら無理な)禁域での儀式を散々強要させられた上、「さっさと沙代と娶せろ」とか言われたら母親としてまともな精神状態でいられると思えん。そりゃ当主の権利を主張ししっかり時弥を守らなければ……となっても致し方ないかと。


 沙代以上の被害者と言っても過言ではないその庚子さえもが、沙代に対して龍賀の主導権を主張してきたことが我慢ならなかったんだろうか。だから「庚子おばさままで……」という台詞だったのか。


 乙米や長田、時麿に丙江に庚子。

 劇中では殊更に詳しく説明されることはないものの、非常に限られた描写で地獄の過去が推察できてしまうのも、この映画の怖いところであり良いところでもあります。


 長田と庚子の結婚式ってどれほど剣呑な空気だったのやら……

(昭和のド田舎だし(一応)名家だし、結婚式は大々的にやらないと許されなかっただろう。それがたとえどんな理由の結婚だったとしても)


 ・全くの無感情に徹しながら、克典の隣にいる乙米しか見てない長田

 ・そんな姉と長田を冷めた目で見ながらひたすらお腹の時弥を撫でる庚子

 ・多分ジジイから襲われ始めていた頃の沙代

 ・そんな沙代を全く守ろうとしない乙米

 ・もしかしたら駆け落ちを考え始めている丙江

 ・もしかしたらゲゲ郎奥さんと会ってるか会う直前かも知れない孝三

 ・何よりイヤなのがジジイ健在


 地獄のような考察が捗るわけですw

 しかし最初の時麿殺しさえなければ、もしかしたら丙江や庚子とは冷静に話し合うことが出来た可能性はわずかながらあったかも?とも思えてしまうのも逆に救いがない。時麿のあの行為はほぼ不可避に近いから……



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