6

【side: 満月】

 それから一ヶ月間、私は朔と連絡を取らなかった。いや、取れなかった。私の胸のうちで確かに膨らんだ疑念が、彼に連絡する指を止めさせていた。そして朔の方からも、連絡が来ることはなかった。本当にそれだけだ。それだけで、遠距離恋愛の相手は生活の埒外へと弾き出される。もう二ヶ月ほど、私達は互いの声さえも聞いていなかった。季節は冬へと進んでいく。気温はどんどん冷めていった。


 今年のクリスマスは雪が降っていた。イブの夜に降り続いたそれは街を全て潔癖な白色の中に閉じ込めていた。私は地下鉄桜本町の駅を降りて、桜の街に出た。名古屋に戻るのは久しぶりだった。今日、私は三ヶ月ぶりに朔と会うことになっていた。


私達は古い喫茶店に入った。そこには、クリスマスなのにもかかわらず客がほとんどいなかった。私達は窓際の席に向かい合って座って、しばらく窓に映る雪景を眺めていた。それはまるで窓枠という額縁に収められた写真のようで、その光景全てが、どこか現実味がないように感じられた。手元のカプチーノから出る湯気だけがリアルだった。

「最近は、どう?」

沈黙を破ったのは朔の声だった。わざと感情を感じさせないような声音にも聞こえた。

「あのコンペね、最終選考に残ったよ。賞も狙えるんじゃないかって」

 そっか、おめでとう。彼はそう笑った。寂しげな笑みだった。

「朔のほうは、どう?」

「うん。僕はね、この前告白されたんだ。バイト先の後輩に」

 そっか、とだけ私は返した。おめでとうとはさすがに言えなかった。

 また沈黙が続いた。それは息苦しい静けさだった。まるで死刑宣告を受けるのを待つような時間だった。

「ねえ」そして彼が口を開く。

「別れようか、僕達」


【side: 朔】

「別れようか、僕達」

 僕はその言葉を絞り出した。こんな言葉、言いたくはなかった。でも、僕はそれを言わざるをえなかった。そうでもしないと、沈黙の水圧に溺れてしまいそうだった。


「別れたい?」とはあえて聞かなかった。そう聞いてしまっては、優しい彼女は僕の気持ちを慮って「別れたくない」と言うだろう。でもそれじゃだめなんだ。僕は彼女の意志を尊重したい。彼女が本当は僕と別れたいのならば、その意志をきちんと表明できるようにしたい。

 僕は、彼女に夢を追い続けてほしい。それが僕の最大の願いで、それが叶うのならば、僕がその隣にいる必要はない。もちろん、本当は隣でそれを見届けたいんだ。一番近い場所で、彼女にエールを送りたい。でも、たぶんそれは叶わないのだろう。夢を追う彼女の側に、夢を諦めた人間がいてはいけないのだろう。「壁」に屈した人間が隣にいれば、彼女は否が応でも「壁」の存在を意識してしまう。今はそうじゃなくても、いずれは。僕自身が、彼女にとっての「壁」になってしまうかもしれない。それは一番避けたい事態だった。僕のせいで彼女の夢が絶たれるのは、悲劇だ。僕が中学生に感じたのは比べものにならないくらい、凄惨な。だから、満月にとって最良の選択は、僕が彼女から離れることだった。

満月は口を開く。

「うん。別れよう」


【side: 満月】

「うん。別れよう」

 こんな言葉、言いたくなかった。彼と離れるなんて、嫌だ。でも、もし私がわがままに「別れたくない」だなんて言えば、優しい彼は自分の気持ちを抑えて、恋人を続けてくれるだろう。それはだめだ。私は彼の意志を尊重したい。

 私は、朔に幸せになってほしい。本当に、シンプルで純粋な気持ちとして、好きな人には幸せになってほしい。一人の男の子として、夢を諦めたこともいつか忘れて。それが実現するのなら、彼を幸せにするのは私じゃなくてもいい。もちろん、本当は私が幸せにしたいんだ。でも、たぶんそれは無理なのだろう。私にとって彼は神さまなのだから。一人の男の子である以前に。そして私は彼に憧れて、彼の夢を追っている。こんなやつ、彼を本当に幸せにできる訳ないじゃないか。彼はいつまでも私に、そして夢に縛られ続けることになる。だから朔にとって最善の未来は、私が彼の元からいなくなることだった。

「いままでありがとう」

 彼はそう言って俯いた。私もそれに倣った。手元のカプチーノは冷め切っていた。

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