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【side: 満月】
「……もしもし」
『もしもし』
「二週間ぶりかな?」
『たぶん。僕がそっちに行ったのは九月末だから』
もう二週間か。繰り返しの日常が過ぎるのはどうも早い。
「そっちも大学始まったよね。調子はどう?」
『まあそこそこだね。強いて言うなら二外が難しい』
「フランス語だっけ? 私は外国語なんてできる気しないや」
『高校のときの英語は、そんな成績悪くなかったでしょう。僕と大して変わらなかった』
「でも英語が限界だよ。それ以上は無理。大学でも勉強を続けられるひとって、シンプルにすごいなって思う」
『それを言うなら、大学でも芸術を続けられる人の方が、僕は尊敬する』
そう言った彼の声音は変わらないように聞こえた。でも、どこか温度が低いような、そんな違和感もわずかに覚えた。私の感情が彼の声に映っているだけだろうか。そう信じたい。
『そういえば、制作の方はどう?』
私は思考を中断する。
「こっちもぼちぼちかな。まだ手探りの段階」
『そっか。でもこれだけ早く手をつけ始めてる人も少ないんじゃない?』
「まあそうだね。制作室もあんまり人いないし。あ、でも、この前メイは来てたよ」
『メイって、ああ、友達の人か。中国の人だっけ』
「あくまで両親が、だけどね」
『そっか。その人も制作頑張ってるの?』
「いいや、愚痴を言いに来ただけ」
『愚痴?』
「そう。聞いてよ、メイのやつさ――」
そこまで言って、私はふと言い澱んだ。スマホの向こうにはこちらの声を待つ静寂が鳴っている。
「――あれ、なんの愚痴か忘れちゃった」
誤魔化してしまった。そんな、隠すような内容でもないのに。でも、朔に対して恋愛が終わる話をすることには、酷いつっかかりを覚えた。朔に対して、私達の破局を連想してほしくはなかった。そんな可能性、ほとんどないに等しいことは知っているのに。これが彼のための感情なのか、それともただの利己心なのかは分からない。いちいち知りたくもない。
『そっか。また思い出したら教えてよ』
朔は特に気にしていないようだった。波のような後ろめたさが残った。
【side: 朔】
『――あれ、なんの愚痴か忘れちゃった』
満月がそう言ったとき、その言葉の背後に一瞬の躊躇いが混じっていたように感じた。僕の思考が彼女の声音に映っているだけだろうか。そうならいいと思う。
「そっか。また思い出したら教えてよ」
僕はいつも通りの声でそう返した。きちんといつも通りを装えているかは分からなかったけれど。満月は、「うん」と短く返した。たぶん大丈夫。
『朔の方だって、バイトも結構大変なんじゃない?』
「そうかな。あんまり大変だとは感じてないけど」
『でも週3くらいで入ってるんでしょ?』
「数だけだよ。中身はそんなきつくない」
『そうなんだ』
「うん。そもそも、ちょっと前まではマスターひとりで切り盛りしてた店だし。ただマスターの足が悪くなって、フロアとキッチンに手伝いをおいてるだけ」
『ひとりで足りるところを常時ふたりおいてるなんて、結構すごいね』
「それは確かにね。そんなに繁盛してるわけでもないのに。でもなぜだか僕達を雇うお金は持ってる。あの人は謎だ」
マスター自身も、珈琲豆や機材には拘りがすごい。そう安くはないだろうに。そのからくりを聞いてみたいけど、彼にはなかなか踏み込めないような凄みがある。
『バイトは全員で何人くらいいるの?』
「僕含め六人だね。でもシフトが被る人は大抵決まってる」
『そうなんだ。どんなひと?』
「一個下の女の子だよ。確かどこかの私大の子。今年入ってきた」
『……ふうん。たまたまなの?』
たぶん、たまたまじゃない。僕の方は彼女に合わせているつもりはないけれど、彼女の方は分からない。それでもほとんど毎回彼女とシフトが被るということは、何かしらの作為が働いているのだろう。
「たまたまだよ、もちろん」
思わず嘯いた。わざわざ嘘を吐くようなことでもないのに。でも、僕に好意を向けているであろう女の子のことを、満月に言うには抵抗があった。もしそうしたときに彼女のうちに生まれる感情を、僕はイメージしたくなかった。ぜんぶ僕の自意識過剰で片付けてしまいたい。
『そっか』
満月は特に気にしていないようだった。砂のような寂しさが残った。
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