第4話 追憶

 誕生日のお祝いは、毎年どちらかの家で家族揃ってお祝いしたり、ケーキを食べたりしてたけど、今年は二人っきりでしたいと誘ってみた。

 亜沙美は”二人っきりで“の意味を理解していないようで、単純に初めて行くカフェを楽しみにしていた。

 亜沙美とは気づいたらずっと一緒にいて、家族ぐるみでも仲が良い、いわゆる幼馴染。この関係は居心地がよくて楽しいけど、俺はそろそろ幼馴染を卒業して次に進みたい。

 亜沙美がそういう事に奥手で鈍感だからずっと待ってたけど、もう高校生だしなー。他の奴が亜沙美の魅力に気づくのも気に入らないし、幼馴染が長すぎると一生このまま進展せずに終わりそうで怖い。

 その為の誕生日デートだったけど、結局はいつも通りで進展なし。普通に2人でカフェを楽しんでしまった。情けないよなー。

 何度か気持ちを伝えようとも思ったけど、断られたら…目の前で楽しそうにしているこの笑顔が見られなくなるかもしれない。そう思うと怖くてできなかった。

 進むのも怖くて、進まないのも怖い。どうすればいいんだよ。

 そんなことを考えながら寝ると、その夜、不思議な夢を見た。

 …と、言うか夢の”ようなもの”を見たという感じ。すごく遠いようで、すごく鮮明な記憶が一気に戻ってきた感覚だった。

 目覚めると俺は泣いていて、そして全て思い出した。


 _____これは俺の前世の記憶。

 俺は前世では犬だった。

 もちろんこれは楽しい異世界転生などでは無くて、現実的な過去に起こった話。


 冷たいコンクリートと、土の感触。不衛生な環境で、いつから置いてあるのか分からない食事と、血の匂いがする。そんな中で僕は生まれた。

 目が開くころ、5,6匹いたハズの兄弟は既にいなかった。生まれた時には感じていた母も、いつの間にかいない。

 そこは、この頃起こったペットブームに乗じて、無理やり犬に繁殖をさせていた悪質な犬のブリーダーの倉庫だった。管理などされていない劣悪な環境で犬を閉じ込めて、生まれた子犬を取り上げては売りに行く。取引する客には自宅で子犬を見せて売っているようで、ここにはたまにしか来ない。

 周りは静かで、民家の無い人里離れた山奥だった。建物も外から見ればただの倉庫だから、山の持ち主が管理している山小屋くらいに見えていたと思う。

 犬のブリーダーは血統書付きの犬を繁殖させるわけだけど、僕は雑種だった。管理が悪いから、犬種の違う犬が交わってしまったんだ。

 売り物にならない犬は価値が無い。兄弟たちは上手くどこかに貰われていったのだろうか?

 最後に残った僕の待遇はひどいものだった。小さいうちはまだ利用価値があると思っていたようだけど、ある程度大きくなった僕には貰い手がつかない。僕を外に捨てるわけにもいかず、だけどいるだけで厄介者になった僕にはエサは与えられず、機嫌が悪い人間に蹴られるおもちゃになった。たまに食事を出してきたと思ったら、良くない匂いがした。食べてはいけないと本能的に分かった。

 あちこち体が痛み、空腹が続いたある日、僕にチャンスが訪れた。

 何日かに一回、餌係の男が売り物になる犬に餌を与えにやってくる。僕は他の犬とは別の檻に入れられていたのだけど、衰弱しきっていた僕を見て、その男は僕が死んだと思ったようだ。

 確かめようと男が僕の檻を開けた途端、僕は残っていた力を振り絞って男に飛びついた。勢いよく動いた僕に驚いて男が転んだ。僕はその横を一気に駆け抜けて、外に出ることに成功した。

 男はしばらく何かを叫んでいたけど、追いかけては来なかった。かえって厄介払いが出来て良かったとでも思ったのかもしれない。

 僕はとにかく走った。どこに向かっているのかは分からないけど、とにかく遠くに行きたかった。山を下り、広い道路に出ると賑やかな方に向かって走った。

 初めて見る外の世界は明るくて、ずっと小屋の中にいた僕には眩しい。目が光に慣れていなかったのかもしれない。それでも、何かにぶつかりながら必死に走った。

 どれくらい走ったのか、僕はどこかの家の縁の下で倒れていた。

 うっすらと目を開けると、どこからか食べ物の匂いがする。匂いの方向に顔を向けると、白い容器に食べられそうなものが入っていた。お腹が空いていた僕は、反射的に起き上がってその容器に顔を突っ込んだ。

 ずっと食べて無いから、慌てて食べたら最初は胃が受け付けずに吐いた。それでも少しづつ食べて、何とか完食することができた。食べ終わり、ふと周りを見ると、人間の女の子がこっちを見ていた。

 人間は怖い。僕は警戒した。その女の子はしばらく僕を見ていたが、近づいて来ることは無く、空になった容器を見てそのままどこかへ行ってしまった。

 疲れと安堵のせいか、僕はまた寝てしまった。次に目が覚めると、また食べ物の匂いがした。

 さっきのとは違う白い容器が2つあり、食べ物と水がそれぞれに入っていた。

 周りを見渡すと、またあの女の子がいた。僕が警戒して食べ物を食べられずにいると、その女の子はそれに気づいてどこかへ行った。

 女の子がいなくなったのを確認して食べ始めると、辺りは暗くなっていた。この場所は雨は凌げるけど、外だからあの倉庫より寒い。体が少し楽になった僕は、近くを見て回ることにした。安全で暖かい場所を探したけど、僕が歩いていると目立ってしまうようだったので、諦めてさっきの場所に戻ることにした。

 そうすると、また新しい食べ物が置いてある。それだけではなく、僕が隠れていた縁の下には古い毛布まで置いてあった。きっとまたあの女の子だ。

 僕は大人しくこの縁の下で過ごすことにした。

 女の子とのやり取りはそのあとも続き、おかげで僕はすっかり回復した。ガリガリになって骨が見えていた体にも肉が付き、動くのも楽だ。

 その頃には僕はもう女の子に警戒はしていなかった。それどころか、女の子が現れるのをずっと待っているようになっていた。

 ある日、僕は自分から女の子に近づいてみた。女の子は少し驚いたようだけど、僕が何をするのかをじっと見ていた。女の子まで1メートル位のところまで近づくと、女の子はしゃがんで体を小さくした。そして、僕にゆっくり手を伸ばす。

「おいで。」

 初めて聞く女の子の声は、今まで聞いていた人間の声とはまるで違って、とても温かかった。

 恐る恐る僕は近づいてみる。女の子の手が届くところまで行くと、その子は俺の背中に優しく手を置いた。

「撫でてもいーい?」

 そう言って、女の子が僕の背中を撫でる。最初は少し緊張していたんだけど、女の子に撫でられたところが温かくて、心地よくて、だんだんと安心に変わっていった。その温もりに、僕は生まれて初めて、自分が生きているって感じられた。

 それから僕たちは毎日一緒に過ごした。女の子は久住瑠衣という名前の中学1年生だった。瑠衣は僕にリアンという名前を付けてくれた。

「“リアン”はフランス語で“絆”っていう意味なんだよ。リアンと私の絆がずっと続きますように。」

 瑠衣は朝になると学校へ行く。その前に僕と遊び、一緒にご飯を食べる。そしてまた学校から帰ってくると、僕を連れて遠くまで散歩に行く。一日中、一緒に過ごすこともあった。公園で瑠衣が本を読んでいる横で、昼寝をしたり、瑠衣と川沿いの土手を走り回ったり。瑠衣はよく笑い、とにかく楽しい毎日だった。

 ある日、瑠衣に見つからないように学校までついて行った。前に学校まで一緒について行こうとしたら、ダメだと言われたからこっそりと。学校に向かう瑠衣は、少し元気が無いように見えた。

 学校に入る手前で、瑠衣は女の子の集団に捕まって連れて行かれた。校舎の裏の人けが無い所だったのが僕には都合が良かった。少し離れて見ていたのだけど、瑠衣は女の子の集団から一方的に何かを言われて悲しそうな顔をしていた。

 瑠衣っ!堪らず、僕は飛び出した。すると、周りにいた生徒たちが僕を見つけて騒ぎ出す。登校中の生徒が次々と集まって来て大騒ぎになったのが功を奏し、瑠衣は解放されたようだった。それを確認して、僕は全速力で逃げた。

 瑠衣にバレて無いかな?早く帰ってこないかな?そう思った僕は、瑠衣が帰ってくる時間に合わせて、瑠衣が通る道で待っていることにした。

 帰ってきた瑠衣は、僕を見て驚いて、急いで人のいないところまで僕を連れて行った。

「リアン、今日はもしかして学校まで来た?あんまり目立つことしちゃダメだよ?」

 瑠衣はそう言って笑った。

 だけど、そういう行動は人間の世界では“忠犬”と呼ばれるらしく、僕はその近所で少し有名になった。

 犬にはそんなことは分からなかったんだけど、僕は野良犬だった。あとで分かったことだけど、瑠衣は僕を自分の家の飼い犬として迎え入れようとしてくれていた。だけど、家族の反対があって、どうしても叶わなかった。だから、瑠衣は家族に見つからないようにこっそりと自分の食事を僕に分けて、縁の下で住まわせてくれていた。

 近所の人たちは瑠衣がこっそり野良犬を隠していることを薄々感じていて、忠犬が毎日瑠衣の帰りを待っていると噂になった。

 そして、僕は捕まってしまった。突然知らない人間に連れて行かれたから、保健所というところに行くのだと思ったのだけど、違った。忠犬の噂を聞いたその家の子どもが、僕を飼いたいと言ったのだ。

 僕はその子を知っていた。僕が瑠衣の学校を見に行ったあの時、瑠衣を連れて行った集団の中にいた子だ。

 その日から僕はその子の家の飼い犬になったのだけど、全く愛情など無かった。

 首輪をつけられて外の柱に鎖で繋がれたまま、ほとんど触れ合いはなく、食べ物だけは貰えるけどそれだけだ。

 瑠衣のように一緒に遊んだり、散歩に行くことも、撫でてくれることも無い。

 その家の子どもが僕を飼いたがった理由は、ただの軽薄な自慢の為だった。噂の忠犬を自分が保護したのだと、周りに言いたかっただけだ。

 瑠衣に会いたい。ただ瑠衣と一緒にいたい。何度か鎖を嚙みちぎろうとしたけど、頑丈過ぎてダメだった。

 しばらくすると、瑠衣が来た。同じ学校だから、この家の子どもの自慢が瑠衣の所にも届いたんだろう。

 外に繋がれていたのが、逆に良かった。

「リアン、ウチで迎えてあげられなくてごめんね。一緒に遊べなくてごめん。」

 瑠衣の目にはたくさんの涙が溢れて、何度も何度もごめんと言う。それでも僕は瑠衣に会えたのが嬉しかった。

 時間の許す限り、この家の家族に見つからないように、精いっぱい瑠衣は僕を撫でてくれた。

「また会いに来るからね!」

 そう言って、何度も何度も振り返りながら瑠衣は帰って行った。

 こんな状況にはなったけど、また瑠衣に会える。それだけで僕はすごく嬉しくなった。

 …だけど、僕の運命はまた人間によって振り回される。

 その家の人間は見栄っ張りで、少し悪いことをしていたようだ。事情はよく分からないけど、誰かに追われる身になり、瑠衣が会いに来たその日の夜に一家は夜逃げした。

 俺も荷物と一緒に車に乗せられ、連れて行かれた。随分と長い間、車は走り続けて朝になり、それでもまだ車は走り続けた。かなり遠くまで来たところで、やっと車が停まった。休憩のために一家が外に出た隙に、僕も一緒に外に出た。

 僕はまた走っている。でも、今度はどこに行きたいか分かってる。

 瑠衣の所に帰りたい。

 今度こそ瑠衣の所に帰りたい。瑠衣と一緒にいたい。ただそれだけ。

 車でだいぶ遠くまで来た。犬の足でどのくらいで帰れるかな?とにかく体が動く間は走り続けていた。

 あちこちで食べ物を見つけながら、回復してはまた走る。不思議と瑠衣がいる街の方向が分かっていた。

 毎日走り続けて、何日目かに僕は戻ってきた。最初にこの街に来た時のように、また自分の体には骨が浮き上がって見えた。

 だけど心は軽く、瑠衣の家が見えると一気に走り出した。

 瑠衣はどこかな?いつもの軒下や瑠衣の部屋の周りを探してみる。

 だけど、瑠衣の姿は見えない。

 それどころか…瑠衣の匂いがしない。

 代わりに、家の中から変わった匂いがしていた。普段は閉まっていた玄関が開いていて、中を覗いてみると瑠衣の写真が見えた。

 もちろん犬の自分には何のことか分からなかったんだけど、近所の人の噂話で、瑠衣がもうこの世にいないことを知った。

 そして…。

 そのあと、僕の記憶も途絶えた。


 たぶん、俺の命もそこで尽きたんだろうな。自分の前世が犬だったとは信じがたいけど、これがただの夢じゃないという確信がある。前世と今世は別々のものじゃないんだ。前世での経験や出会いが追加された状態で、また今世で新しい経験をする。頭では覚えて無くても、自分の中の魂のようなものに経験は残っている。

 そのせいかは分からないけど、俺はあんまり走るのが好きじゃない。だから部活も水泳部なんだけど、それも前世でリアンがたくさん走ったからかもしれない。

 リアンだった自分と、今の霧矢ひなたの自分が同時に自分の中に存在しているような変な感じ。どちらも自分ではあるんだけど、リアンとひなたでは感じ方が少し違うから、一つのものを見ても同時に違う感情が生まれたりする。

 それと、大事なことがもう一つ。生まれ変わったのは俺だけじゃない。

 亜沙美は…瑠衣の生まれ変わりだ。リアンの記憶を取り戻してから、帰って来たような懐かしさを感じることができた。

 縁のある人は生まれ変わってもまた出会うことがある。俺にとって、それは亜沙美だ。やっと亜沙美の所に帰って来たんだ。

 ずっと一緒にいたいと思っていたから、同じ時代に生まれ変われたのかもしれない。

 リアンと俺が違うように、瑠衣と亜沙美は違う。

 どちらも一緒にいたい気持ちに変わりはないけど、リアンの瑠衣に対する気持ちは、友情や家族愛のような感情で、今の俺の亜沙美に対する気持ちは恋愛の感情だ。

 リアンと一緒にやっと帰ってきたんだ…今ならまだ間に合う。

 俺は今世で恋をしている。今度こそ、ずっと一緒にいるんだ!

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