第2話 憧れ

 2-Cの教室に着くと、羽菜がもう来ていた。

 橘羽菜は中学校からの友達。前向きで明るくて行動力のあるタイプで、思ったことはどんどん言っちゃうから時々ハラハラするけど、それが潔くて気持ちいい。

 顔立ちは中性的なくっきりとしたキレイ系で、ショートカットの髪はその日のアレンジや服装によって、可愛くもカッコよくも見える。陸上部で鍛えた身体はすごく引き締まっていて、脚が外国の人形のように真っすぐで、足首は細い。

 中学1年の終わり頃、上級生の集団に絡まれている私を羽菜が助けてくれた。

 それは、私のスカートが短すぎるのが生意気だ…っていう話だったんだけど、私よりも短い子もいるけどなんで?と、私は不思議だった。ちなみに、私のスカートが短いのはわざとではなくて、入学当初145㎝だった身長が、1年で158㎝になったからだった。その13cm分、スカートが短くなっただけ。

 きっとそれを説明しても、絡まれた本当の理由はスカートの丈じゃないのだろうから、どうしよう?そう思っているところに羽菜が現れた。

 羽菜のスカートはおしりが見えそうなくらい短くて、そこから長い脚がスッと伸びていた。中学の頃から羽菜は陸上部で、その時から脚の筋肉にはきれいな線が入っていたから、スカートが短くても全然いやらしさが無くて、かえってカッコいい。

「先輩?スカートなら私の方が短いですけど、私にも言いたいことはありますか?」

 堂々とした羽菜の態度に、上級生たちが圧倒される。そんな上級生たちを、羽菜は更に好戦的に畳み込む。

「無いようでしたら私からご忠告申しあげます。先輩方も、もう少しスカート丈を長くして、そのふくよかな御御足を忍ばせるのがよろしいかと。」

 不敵に笑いながら、静かな口調で羽菜は言った。私はハラハラしたのだけど、羽菜の圧倒的な美脚を前にしたら誰も言い返せず、そのまま上級生たちは顔を真っ赤にして行ってしまった。得意げに笑う羽菜を見て、私も笑った。

 羽菜は中学生の時から人と群れる事はしなくて、私も同じクラスだったけどそれまではあまり話したことは無かった。だけど、普段の羽菜はこんなにスカートが短くなかったことだけは分かる。どこかでスカートの丈を短くしてから助けに来てくれたんだなって思ったら嬉しかった。それから少しずつ羽菜と話すようになって、仲良くなっていった。

 こんな好戦的な羽菜だけど、サバサバしているようで女性的な気遣いも忘れない。

「亜沙美―?リップ塗らなかったの?」

 先週、羽菜からリップクリームを貰った時に月曜日から使うと言ったから、早速突っ込まれてしまった。

「あー…つけてきたんだけど、さっき学校に来る途中でひなたに拭き取られちゃった。」

 私がそう言うと、羽菜はちょっとニヤニヤする。

「ひなた?…やっぱりひなたと付き合ってるの?」

 なっ!?

「ち、違うよっ!ひなたはただの幼馴染で、今までこういうのしたこと無かったからビックリしたっていうか…。」

 なんだか、また言い訳みたいになっちゃってる。なんでなんだろ?

「ふーん。だたの幼馴染ならそんなの気にしなくて良いんじゃない?私もつけたところ見てみたい!私が塗ってあげるー。」

 羽菜はそう言うと、私からリップクリームを受け取り、私の唇に塗ってくれた。

「おおー!可愛い!絶対にこの色が似あうと思ったんだよねー。亜沙美は色白で、黒髪のストレートロングだから淡いピンクが良く似合うよ!」

 羽菜が自分の鏡を見せながら喜んでいる。鏡に映る自分は、いつもと違っていてやっぱり嬉しい。プルプルとしたツヤと、発色の良い淡いピンクが唇を彩り、顔全体が明るく見える。このくらい…良いよね?

「ありがと。お化粧って、やっぱり気分が上がるものなんだね。」

 羽菜も同じリップクリームを持っているけど、色はオレンジ系。それが中性的な羽菜にとても似合ってる。

 それに、こういう友達とお揃いっていうのも、なんだか良いな。

「でしょ、でしょー?またいろいろ試してみようよ!高校生だしさ、もっと楽しもう!」

 だよね。朝のひなたはちょっとびっくりしただけだよね?きっと大丈夫!

 羽菜と話したらすごく気が楽になったのだけど、放課後にまたこのリップクリームが原因でビックリすることが起こった。

 

 授業が終わり、吹奏楽部の部室に行く途中で3年生の都築拓海先輩に会った。都築先輩はこの学校の生徒会長。圧倒的な知性で成績は常に学年トップでありながら、温厚な性格で接しやすく、全校生徒の憧れの存在。

 愁いを含んだ涼しげな目と、スッと通った鼻筋、少し薄い唇はいつも口角を上げて穏やかな印象を与えている。困っている生徒がいれば自分から声を掛けて、一緒に解決してくれる優しい先輩だ。

 実際、私も吹奏楽部に入部した当初、上手く部活に馴染めずに悩んでいた時に声を掛けてもらった。好きなアーティストがクラリネットを演奏していたのを見て、思い切って吹奏楽部に入ったものの、吹奏楽部に入ってくるのはそもそも楽器の演奏が出来る人が多く、まるっきりの初心者は私だけ。練習にもついていけず悩んでいた。楽譜を読むのもやっとで、運指も上手くいかない私に、都築先輩は昼休みや部活の無い日に練習に付き合ってくれた。

「あ、篠宮さん。久しぶりだね。これから部活かな?」

 穏やかな都築先輩の雰囲気は、いつもすごく安心して癒される。キレイな口元には今日も微笑みが絶えない。

「はい。夏の地区大会に向けて、今日から本格始動です!」

 課題曲とパートが決まり、これから本格的に練習が始まる。今年こそ全校大会までいって、都築先輩にも聞いてほしい。都築先輩は…私にとっても憧れだから。

「そうか、楽しみだね。」

 都築先輩の穏やかな笑顔を、廊下を行き来する他の生徒たちも目で追いながら通り過ぎていく。やっぱり、人気あるなー。

「…あれ?」

 不意に、都築先輩の微笑みが疑問に変わり、都築先輩はゆっくりと私に近づいて来ると私の顔を覗き込んだ。

 このシチュエーションは…今日2回目!だけど、ひなたの時より圧倒的に緊張してしまう!

「篠宮さんのこれは…色付きリップかな?可愛いけど、クラリネットに付いちゃうから落としておこうか?」

 そういえば、そうだ。あと、これは校則違反なのかな?とりあえず、部活の時は落としておかないと!

「あっ、すいません。校則違反?ですかね?」

 慌てて私が言うと、目の前の都築先輩が笑う。

「ははっ、このくらいじゃ校則違反じゃないよ。…ただ、俺は個人的に嫌だけど。」

 えっ?…どういうこと?

 あ!都築先輩はキチンとしてるから、服装とか身だしなみに厳しいのかも。…嫌われちゃったかな?

 上手く真意を理解できない私の心を読むように、都築先輩が続ける。

「ごめんね。クラリネットは口実で、ただの俺のわがままだよ。」

 そう言って、都築先輩は一度言葉を区切ると、下を向いてふっと息をついた。都築先輩の髪がサラサラと揺れて、窓から差し込む西日が都築先輩の表情を隠している。

 わがまま…?ますます分からない。

 廊下を行き来する人通りが途切れると、都築先輩が思い切ったように顔を上げて、今度は真っすぐに私の目を見る。

「…この際だから言っておくけど、俺は篠宮さんが好きなんだ。だから、篠宮さんが可愛いと心配だなって思って。でも、彼氏でもないのに変なこと言ってごめんね。」

 都築先輩の言葉で、私はさらに混乱してしまった。

 都築先輩が、私を好き…?

「あ、あのっ…。」

 ビックリして口を開いたものの、何を言うつもりなのか?

 焦る私に、都築先輩が微笑んで言う。

「ああ、答え辛い言い方だったよね。じゃあ、ちゃんと言うよ。篠宮さんが好きなんだ。だから、俺と付き合ってください。」

 初めて見る都築先輩の表情。真剣で、少し緊張しているのが分かって、ちゃんと向き合ってくれているのが伝わってくる。

 憧れの都築先輩からの告白に、心が舞い上がって、心臓が忙しく動き出す。

 でも、このまま返事をして良いのかな?頭真っ白でちゃんと考えられないのに?

 真剣な告白に、簡単に答えを出して良いのかな?そもそも付き合うって何するの??

 予備知識も、心の準備も全くない!

 なかなか答えられずにいると、今度は都築先輩が少し寂しそうに笑う。

「いきなりで驚かせてごめん。ちょっと余裕が無い所を見せちゃったね。でも、俺はもう自分の気持ちを隠さないし、篠宮さんに好きになってもらえるように努力する。だからちょっと考えてみてくれる?」

 返事に困って、都築先輩を傷つけたかもしれない。なのに、やっぱり都築先輩は優しい。

「はい。ありがとうございます。ちゃんと考えます!」

 私は、そんな都築先輩に深くお辞儀をする。

 しっかりと自分の気持ちを整理して、ちゃんと答えを出したい!

 そう心に決めて、顔を上げると、都築先輩はまた穏やかに笑っていた。


 

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