母親の真実2
五日後、治癒の経過確認を経て完治が認められたアイリーは無事に退院することになった。
病院服からスモックのような緩いワンピースに身を包んだアイリーは、カティアと共に駐車場で待つハルヤのもとまで歩いた。
送迎車の前で待っていたハルヤは、カティアを連れて病院から出てきたアイリーに一礼した。
「お待ちしておりましたお嬢様。邸宅へお送りいたします」
慇懃な態度で出迎えたハルヤに、アイリーはすまなさそうな顔になる。
「ハルヤ。わたくしのせいで迷惑をかけて申し訳なかったわ」
「いえ。自分はお嬢様の執事として当然のことをしたまでです。なによりお嬢様が大事に至らなくて安心しました」
「そう、ありがとう。カティアも、ありがとう」
アイリーはほっとしたような感謝を従者二人に告げた。
ハルヤとカティアは胸に迫る思いを堪えながら、ハルヤは車に乗り込み、カティアはアイリーのためにドアを開ける。
アイリーが乗り込むと送迎車を発進させ、邸宅への帰路に就いた。
走り出してしばらくしてから、アイリーが口を開く。
「治療してくれた病院にお礼がしたいわ。贈り物は何がいいかしら?」
「すでにオルダン様が贈呈していますアイリー様。しいて贈るならばオルダン様とは違うものがいいかと思います」
傍に腰掛けるカティアが答える。
アイリーは運転席のハルヤにも目を向けた。
「ハルヤはどう。何を贈れば喜んでもらえるかしら?」
「自分には判断できません。お嬢様個人が贈られるのでしたら、お嬢様自身が決めた方がよろしいでしょう」
「そうね。邸宅に着いたら考えてみるわ」
暗に確答を避けたハルヤだが、アイリーは納得して話題を閉じた。
会話が途切れると落ち着きなく身動ぎする。
「コルセットが使えないとなると不安定な気分になりますわね」
「コルセットが入り用ですかお嬢様。でしたらご用意しております」
ハルヤは答え、カティアに目で合図した。
カティアがアイリーの着替えなどを入れた洋服バッグからコルセットを取り出し、アイリーへ両手で差し出す。
「アイリー様。以前使われていたコルセットと同じ型のものになります。ご査収ください」
「用意がいいわね、ハルヤ、カティア」
従者二人の気遣いに感謝してアイリーはコルセットを受け取り、生地を撫でて手触りを確かめた。
愛用していたコルセットと同一の型だとわかると、カティアへ頷いてみせる。
「これで合ってるわ。新調してくれて感謝しますわ」
「アイリー様のお気に召したようで安心しました」
カティアはアイリーに笑い掛けてから、途端に思いつめたように真剣な顔になった。
改まった表情をするカティアをアイリーが心配する。
「どうかしたのカティア。わたくしが無礼なことでもしてしまったかしら?」
「アイリー様。オルダン様からメディア様……アイリー様のお母様について教えていただきました」
「お父様から。お母様のことで何かあったのかしら?」
唐突にメルディの名前が出てアイリーは顔を強張らせて緊張する。
カティアは運転席のハルヤに秘密を明かしてもいいかと目顔で尋ねた。
ハルヤの首肯を見てアイリーに向き直る。
「アイリー様。実はオルダン様からメディア様の真相を聞かされたのです。話してもよろしいでしょうか?」
「……今になって、なにかしら?」
メルディが亡くなったのはアイリーがまだ幼い頃で、すでにもう十五年あまりの時日が経過している。
アイリーの困惑を承知でカティアは打ち明ける。
「実はメルディ様は胸パッドを幾重にも入れておりました」
「……どういうことかしら?」
アイリーは驚く前に首を傾げた。
理解の及んでいないアイリーに、カティアは胸痛む思いで詳細を話す。
「胸パッドとは、女性の胸部の形を整えて外見的な見栄えを良くする代物でございます。メルディ様はその胸パッドを幾重にも使用していらっしゃったのです」
「その胸パッドを使用するとどうなるのかしら?」
「胸を大きく見せることができます。メルディ様の場合は実際よりもだいぶかけ離れていたと思われます」
「……嘘ですわ」
呆然と口を開けたままアイリーは否定した。
カティアの言葉を受け入れられず、子供がイヤイヤするように首を横に振る。
「お母様がわたしくに嘘をつくなんてあり得ませんわ。何一つ非の打ちどころのない、わたくしのお母様ですわ」
「でしたらオルダン様が嘘をついているお思いなのですか?」
カティアの指摘にアイリーは苛立った顔つきで言い返す。
「そうですわ。お父様がハルヤとカティアをからかうために作った嘘ですわ。わたくしが感じていたお母様の胸の温もりが嘘のはずがありませんわ」
「残念ですが、私にはオルダン様が嘘をついているとは思えません。オルダン様がアイリー様を混乱させる嘘をつくでしょうか?」
「カティアはお父様の味方なのね。わたくしはお母様の胸に抱かれていましたのよ、どうして信じてくれないのかしら」
「ですがアイリー様。オルダン様にとって……」
「カティアの話なんて信じられませんわ!」
自分の愛する母を嘘つき呼ばわりされた気分になり、アイリーは断固としてカティアの言葉を拒んだ。
真相を拒絶するアイリーにカティアも手を拱いて押し黙ってしまった。
「到着いたしました。お嬢様」
ハルヤは邸宅に着いたことを告げて、運転席からアイリーに振り向く。
「アイリー様。嘘かどうかお知りになりたければ、オルダン様に直接聞き出してはいかがでしょうか。自分とカティアはオルダン様から聞いた話をお嬢様にお伝えしているだけでございますから」
「……そうですわね」
ハルヤが提言すると、アイリーは納得する返事をした。
カティア、と名指しして送迎車のドアを指差す。
「今すぐに開けなさい。お父様に会いに行くわ」
「か、かしこまりました」
いきなりの驕慢な命令にカティアは戸惑いながらドアを開けてあげた。
ドアが開くのさえもどかしい様子で、アイリーはカティアの手を借りずに送迎車から降りた。
「絶対に嘘ですわ」
自分に言い聞かせるように呟き、邸宅の中へと早足に入っていった。
走り去っていくアイリーの後ろ姿を眺めながら、カティアが脱力感に陥ったように座席に凭れかかる。
「あそこまでムキになるアイリー様は初めて見た。賢いアイリー様なら納得してもらえると思ってたけど都合よく考えすぎたかもしれないわね」
「それだけお嬢様にとってメルディ様は大事な理想像なんだろうな。愛する母親の知らない一面を聞かされたら否定したくもなる」
「今のアイリー様の様子だとオルダン様の言葉でさえも聞き入れないんじゃないかしら?」
アイリーの剣幕を目の前に見たカティアは、しみじみと疑問を投げた。
どうだろうな、とハルヤははっきりとした返答はしない。
「オルダン様にはお嬢様を説き伏せる証拠みたいなものがあるのかもな。なんといってもメルディ様の夫だからな」
「そうであることを願うわ」
もう自分たちの手に負える問題ではなくなった、とハルヤとカティアの二人は共通の思いで事の結末を待つことにした。
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