母親の真実1

 腕や足などに創傷を作りつつもコルセットが防具代わりになり命に別状はなかったアイリーだったが、傷を癒すために数日間入院することになった。

 アイリーの入院を知り父親のオルダンが見舞いに訪れた。

 オルダンを病院の待合室で出迎えたハルヤは一拶を交えると、すぐさま謝罪のために頭を下げた。


「改めて謝らせていただきます。お嬢様を無事に帰すことが出来ず申し訳ありません」

「相手を考えれば最善だった。頭を上げてくれ、アイリーの容態を詳しく見たい」


 オルダンにはハルヤとカティアを責める気は一切なく、謝罪を受け入れ気掛かりそうな顔で話頭を転じた。

 かしこまりました、とハルヤは了解すると、途中で手当てをした医師も連れてアイリーの病室まで案内した。

 病室まで来るとアイリーが眠るベッド傍の椅子に座っていたカティアが立ち上がり、殊勝な顔つきでオルダンのもとまで歩み寄ってくる。


「オルダン様。アイリー様の御身に傷をつけてしまい申し訳ありません」

「ハルヤにも言ったが謝ることではない。むしろ最善だったとさえ思っている」

「ご寛容な処置。ありがとうございます」


 コルセリート家のメイドとして下手な態度でオルダンの許容に感謝を示す。

 容態を見たい旨をオルダンが告げると、カティアは口の前に人差し指を当てる。


「アイリー様は眠っておられます。お静かにご見舞いください」

「そうか。なら、ここから顔だけでも見させてもらおう」


 オルダンはカティア越しに病院のベッドに眠る愛娘の姿に視線を移す。

 苦鳴を漏らさずに熟睡する娘を目に入れると、ほっとしたように口角を緩める。


「姿が見られれば充分だ、安心した。先生もアイリーの手当てをしてくれてありがとう。後ほど感謝の品を送らせてもらう」

「あ、いえ」


 アイリーの手当てを担当した医師は高貴な身分からの礼の言葉と対応に恐縮する。

 会話がひと段落したのを見計らい、ハルヤがオルダンに近づき小声で告げる。


「オルダン様、アイリー様のことでご相談したいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」

「構わないよ。重大な要件なのだろう?」

「はい」


 執事の慎重な口ぶりからか後回しには出来ない話題だと察した。

 ハルヤはカティアへ目配せでアイリーの事を任せると、オルダンを促して病院の駐車場まで出た。

 駐車場を囲う並木の木陰に寄り、ハルヤはオルダンに話し出す。


「お嬢様について一つ、オルダン様に打ち明けなければならない秘密がございます」

「なんだね。遠慮なく言ってくれ」

「くれぐれもお嬢様に自分から聞いたとお教えしないでください。お嬢様に嫌われてしまうかもしれないので」

「何やら、父親の俺でも知らないことを聞かされるようだな」

「お嬢様は自分とカティアにしか秘密を打ち明けておられないので。ですが、今回の件もありオルダン様に伝える必要がある判断しました」

「わかった。教えてくれ」


 オルダンの納得が得られると、ハルヤはいよいよ本題に入る。

 燕尾服の前ボタンを外し、懐から白いコルセットを取り出した。


「それは?」

「体型を矯正するコルセットです。お嬢様が愛用しておられました」

「アイリーがね。俺に見せるということは、それに何かあるんだね?」

「はい」


 ハルヤは頷き、次の言葉が本命だとするように語調に力を入れる。


「実はこのコルセットがお嬢様の命を救ったのです」


 そう告げてオルダンの目の前でコルセットを広げる。

 誘拐事件の惨状を表すように、脇腹の生地は破れ背中の紐は千切れている。


「盗賊のナイフにより生地の所々が痛んでいますが、おかげでお嬢様の地肌に刃物は到達せず、致命傷となるほどの出血は免れました」

「そうか。少し俺にも見せてくれないか?」


 オルダンはハルヤの話を聞き受け、コルセットを貸してくれるよう手のひらを差し出した。

 コルセットを受け取ると、矯めつ眇めつしてコルセットを眺めた。


「俺が買い与えたものではないな。アイリーの命を護るためにハルヤの判断で着けさせていたのか?」

「いえ、お嬢様自身の意思です。そもそもコルセットは防具ではございません」

「知っている。だがどうしてアイリーはコルセットを着けていたんだ。今時は細ければ良しという時代でもないだろう」

「それは、お嬢様の見栄といいますか……」


 コルセットを着用していた理由を訊かれた途端、ハルヤは歯切れが悪くなった。

 だがオルダンの真摯な疑問の前にして下手な嘘はつけないと諦める。

「お嬢様は体型を気にしておりまして、自身の理想よりも肉付きがよろしいことを隠すためにコルセットで細身に矯正していたのです」

「ほう、なるほど」


 ハルヤの言葉を選んだ返答にオルダンは感心したような相槌を打ち、優しい表情で柔らかく笑った。


「似ているな」

「はい?」


 予想とは違うオルダンの反応にハルヤは聞き返す。

 オルダンはダークブルー地のスーツの内側から懐中時計を出し、ハルヤへ見えるように蓋を開く。


「ハルヤは俺の亡き妻のメルディとは面識がなかったな」

「はい。ご面識はございません」

「メルディも体型を矯正していたんだよ」

「え、あ、ええ?」


 思わぬ打ち明けにハルヤは仰天して開いた口が塞がらなかった。

 ハルヤの驚く姿を楽しむようにオルダンは笑って続ける。


「絶世の美女だの、絵にかいたような容姿だの、と持て囃されていたが実際はただ虚弱気味で細いだけだったんだよ」

「は、はあ」

「アイリーは幼かったから知らなかっただろうが、メルディは女性らしい豊胸に憧れて俺の前でさえも常に何重にも胸パッドを入れていたよ」

「その話、自分が聞いてよろしいのでしょうか?」


 あまりにも衝撃的な暴露にハルヤは話の先を知るのを臆した。

 聞くだけ聞いてくれ、とオルダンは告げて続ける。


「メルディは自分の虚弱体質と板のような貧乳が娘に受け継がれるのを恐れていてね、アイリーを丈夫で女性らしい身体に育てるために、食事に対して口うるさかったよ」

「お嬢様から以前お聞きしたのですが、お母様であるメルディ様と一緒にお菓子を食べるのが楽しかった、と」


 ハルヤが話すと共感するかのようにオルダンはしきりに頷いた。


「それこそメルディの狙い通りだ。幼少期から甘味を食べさせてアイリーが甘味に目がないように育て、胸を大きくするための栄養を欠乏しないようにしたんだ」

「それでは、今のお嬢様があるのはメルディが遠因なのですか?」

「努力の賜物だろうね。メルディはアイリーと甘味を食べた後、アイリーの見えないところで食べ過ぎて吐いてたらしいから。もともと少食のメルディには大変だったろうね」

「何もそこまでして……」


 健康的に育って欲しいとはいえやり過ぎでは、とハルヤは感じて思わず口にしたが、オルダンは否定するように首を横に振った。


「しかし実際にアイリーは病気もほとんどしないし、メルディの望んだ女性的な身体になっただろう」

「確かにアイリー様が体調不良を訴えられた日はほとんどありません」

「比べてメルディは普通の人なら薬で治る風でも長引いてね。挙句に感染症が治らずに亡くなってしまった」


 当時を思い出してしまったようにオルダンは物悲しげに瞳を下ろした。

 哀愁の雰囲気にハルヤが言葉を継げないでいると、オルダンの方からハルヤに笑い掛けた。


「メルディの秘密をアイリーに教えるかどうかはハルヤとカティア二人で決めてくれ。アイリーの理想像を壊してしまう恐れもあるからな」

「……かしこまりました」


 重任を引き受けたハルヤはいつもより返答に遅れた。

 執務があるから、と言ってオルダンは後のことをハルヤに任せて車へと戻り病院から去っていった。

 木枯らしが吹くとハルヤの頭上で並木の梢が揺れ、前を開いたままの燕尾服がたなびいた。

 俺一人じゃ背負いきれない秘密だな。

 ハルヤは苦笑してもう一人の従者も道連れにする決意で病院へと引き返した。

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