アイリー・コルセリート誘拐される6

 ――はい注目。


 盗賊達と睨み合う中、吹き抜けの二階の奥まった位置から声が響いた。

 カティアとハルヤが声のした方を見ると、胡麻塩頭がせせら笑いを浮かべて手すり越しに立っていた。

 胡麻塩頭はハルヤとカティアを見下ろして口を動かす。


「お客様がお望みもの、連れてきましたよ」


 そう告げると、自身の前に手首を縛った状態のアイリーを立たせた。

 アイリーの背後から首に手を回して擦り寄る。


「さあ、このお嬢様をどうしてやろうかなぁ?」


 ハルヤとカティアを挑発するようにほくそ笑む。

 胡麻塩頭の野卑な笑みをハルヤとカティアは怒りの眼で睨み返した。だが二人の視界を遮るように階段を占領している盗賊達が襲い掛かってきた。

 カティアとハルヤが視界の端で見たアイリーは気丈にも無表情を決め込んでいた。

 手が届きそうなところにまで救うべき主がいながらも、盗賊達の攻勢に遭い傍まで近づくことが出来ない。


「邪魔さえなければ、すぐに駆け付けるのに」


 盗賊達を交戦しながらカティアがもどかしげにぼやく。

 ハルヤも盗賊達とタガーを交えながら何度も抜け出る隙を計るが、盗賊達の攻勢は入れ替わり立ち代わりハルヤとカティアに仕掛けてきていた。

 階下の乱戦を眺めながら胡麻塩頭がアイリーから身体を離した。


「じゃあ、こっちも始めるか」


 自身への合図のように呟くと、黒い軽装の懐に隠し持っていたらしい果物ナイフを執刀医の如く手に握った。

 ナイフを持ったまま抵抗できないアイリーのドレスの裾を掴む。

 ぎょっと身体を硬くするアイリーに構わず、ドレスの裾を捲り上げて足から腰までをむき出しにさせた。

 下半身が露になったアイリーが羞恥に身を震わせる。


「お嬢様に何をする気だ貴様、くそっ」


 胡麻塩頭の所業を見咎めたハルヤが気炎を吐くも、盗賊達の攻勢に阻害されてアイリーへ駆け寄ることは難しかった。

 カティアとハルヤが交戦に追われるのを見下ろしながら、胡麻塩頭は衆目に晒されているアイリーの素足に果物ナイフを当てる。

 ナイフの冷やかさにアイリーが身体を硬くする中、ナイフが真っすぐに下ろされて白い肌から熱く赤い液体を滲み出させた。

 言葉の脅しには屈しなかったアイリーの表情が痛みに歪む。


「白い肌に鮮血の赤が芸術的だな」


 胡麻塩頭は恍惚として喋ると、細い傷口から流れる鮮血を指先で拭き取った。


「……んっ」


 じんわりと広がるような痛みにアイリーが呻きを漏らす。

 嗜虐心が刺激されたのか胡麻塩頭がくつくつと笑った。


「さすがに痛いか。いくら我慢強くても、所詮は血とは無縁のお嬢様だな」


 貶しながら階下のハルヤとカティアに流し目を送る。

 交戦しながらも胡麻塩頭の行動を窺い見ているカティアとハルヤは、ふつふつと胸の中で怒りが強まるのを感じた。


「アイリー様、今すぐ、もうっ」

「お嬢様、くそ」


 アイリーを救出したい気持ちを阻むように、盗賊達の攻勢が止まない。

 胡麻塩頭はアイリーへの虐行を続ける。


「次はどうしようかな?」


 わざとらしく呟きながらワンピースドレスの腹部を摩る。


「見えるところばかりじゃ面白くねぇよな」


 宣言のように告げてからドレス越しにアイリーの脇腹を切りつけた。

 ドレスの生地が細く裂けて血が滲み出る、かと思われたがアイリーは痛みを感じず、血は出なかった。

 余裕ぶっていた胡麻塩頭の顔に初めて予想を裏切られたような戸惑いが浮かぶ。


「なんだ、傷が浅いか?」


 おかしいと言いたげに疑問を抱き、ナイフで傷をつけたアイリーの脇腹に手を当てた。

 手を離し、不思議そうに掌を見つめた。


「血が出てない。生暖かい感触もねぇ」

「……」


 アイリー本人は出血していない理由に思い当っていたが、まさかの僥倖を自ら漏らすヘマはせずに黙していた。

 スタイル矯正のために腹部を締め付けていたコルセットのおかげで、ナイフが地肌に到達するのを免れたのだ。

 胡麻塩頭はしばらく思案するように眉間に皺を寄せていたが、途端に何かに気が付いて舌打ちした。

 恨みの籠った眼差しでアイリーを睨みつける。


「おい、中に何を着込んでる?」

「……あなたに教える筋合いはないですわ」


 奇しくも防具になったコルセットの存在を打ち明けはしない。

 胡麻塩頭は新たな狙いを定めるようにアイリーの身体をねめ回し、手元でナイフを閃かせた。

 ナイフがアイリーの目の前を通過し、胸元の谷間に突き付けられた。切っ先がドレスの生地を貫通し、紙でも切るように引き下ろされた。

 ドレスの生地がナイフに沿って裂けてアイリーの胸元がはだける。

 地肌まで伝わってきたナイフの冷たさにアイリーは身体を震わせる。

 恐怖に強張るアイリーを見て胡麻塩頭はほくそ笑んだ。


「そうだよ、その顔が見たかった」

「……うぅ」


 命の危機を感じて体の内側から恐怖が湧いてくる。それでもアイリーは涙だけは流さないように堪える。

 だがアイリーの辛抱さえも胡麻塩頭には痛快で嫌味な笑みを浮かべる。


「泣きださないのは褒めてやるけど、震えてるぜ?」


 もう嫌だ。


 自分の視界に見えるはだけた胸元に心細くなり、強がりの堰が決壊してしまったように急に恐怖を堪えるのが辛くなった。


 ハルヤ、カティア、なんとかして。


 アイリーが階下で盗賊達を交戦する二人を縋るような目で追った。

 願いが通じたように、交戦の合間に様子を窺っていたハルヤとカティアはアイリーの異変に気が付く。


「カティア!」

「なに?」


 盗賊達も疲弊してきたのか、あきらかに攻勢が弱まりつつあるのを感じながらハルヤはカティアに声を張り上げる。


「お嬢様はもう限界だ。こっちは任せていいか?」

「いちいち許可取らなくていいわよ!」


 焦れたような声にハルヤは了承の返事をした。

 短い問答を済まして盗賊達との交戦から逃れ出る隙を窺う。


 そしてその隙はすぐに訪れた。

 盗賊達は二人のしぶとさに疲れ、攻勢のスパンが回数を重ねるごとに間欠的になっていた。

 壁や手すりに凭れる者が増えて盗賊同士の位置が広がり、ハルヤは二階へと進める道筋が見えた。

 鈍くなった攻撃を避けながら、間を縫って盗賊達の囲いから抜け出す。

 盗賊達はハルヤが包囲から抜けたのに気が付き慌てて振り返るが、その時にはもうハルヤが階段に足を乗せていた。加えて正面からはタイミング悪くカティアが襲い掛かってきた。

 今まで仕掛ける側だった盗賊達はカティアの反撃に肝を潰し、全員がカティアの対処に意識を向けざるを得なくなる。

 カティアの助力もあり、ハルヤは一目散にアイリーを虐げる胡麻塩頭のところまで駆け上がった。

 ハルヤの接近を察知した胡麻塩頭が、アイリーを咄嗟に抱き寄せて首筋へナイフを近づける。


「近づくと、どうなるかわかるよな?」


 アイリーを人質にした脅しにハルヤの足は止まる。

 胡麻塩頭の腕の中からアイリーの縋るような瞳がハルヤを見つめていた。

 ハルヤの頭の中でめまぐるしくアイリーを救出する手立てが模索される。

 カティアは他の盗賊を抑えるのに手一杯で、下手にお嬢様が動けば凶刃のもとに血が流れることになる。加えてこちら側には頼りに出来る味方はいない。

 身代金の到着を待つという手立ても思い浮かんだが、強硬手段に出た以上相手側が猶予をくれるとも思えなかった。

 動けないハルヤを見て胡麻塩頭は強がるようにほくそ笑んだ。


「ははっ、お嬢様の命には代えられないよな。大人しく身代金を用意していれば良かったんだ」

「……お嬢様、申し訳ありません」


 ハルヤは胡麻塩頭の哄笑には取り合わず、アイリーの目を見返して慙愧に堪えない謝罪を口にした。

 アイリーは危機的な状況にも関わらず立場を崩さず泰然と首を横に振る。

 アイコンタクトでの意思疎通が気に入らず胡麻塩頭はアイリーの首筋へさらにナイフを近づけた。


「何を企んでる?」

「……」

「チッ、まただんまりかよ」


 胡麻塩頭は苛立ち、ナイフをアイリーの太腿へ移動させた。

 ナイフの切っ先が太腿を通り、白い素肌から鮮血が滲み出る。アイリーが痛みを堪えるように口元を歪めた。

 胡麻塩頭が愉悦を感じたように口角を上げて、ナイフを首筋の前へ戻す。


「無理に我慢することないぜ。痛いなら痛いって泣き出していいんだ」

「……」

「ほんっとにお嬢様のくせして気が強いな」

「……」

「まだ痛めつけが足りないか?」


 沈黙を貫くアイリーに胡麻塩頭は嗜虐心と苛立ちが煽られ、他の箇所を切りつけるためにアイリーの首筋からナイフを離した。

 その瞬間だった。

 胡麻塩頭に二の腕を掴まれる寸前にアイリーは血が流れるのも厭わず床を蹴り、ハルヤの方へ大きく一歩を踏み出した。


「こいつっ!」


 胡麻塩頭は慌ててアイリーの腕を掴まえ、背中へナイフを振り下ろした。

 駆け出した勢いでつんのめるアイリーの背中のドレスがナイフによって割ける。

 だがコルセットのおかげで地肌には到達せず、鮮血が飛ぶことはなかった。


「お嬢様!」


 ハルヤは胡麻塩頭の手から逃れ出たアイリーに走り寄り、倒れる寸前に抱きすくめた。

 執事の腕に抱かれたアイリーはボロボロと涙を流す。


「ハルヤ、血が出て痛いですわ」

「お嬢様、気をたしかに」


 アイリーを励ましたハルヤの目は胡麻塩頭に向く。

 胡麻塩頭は人質のアイリーに逃げられ、悔しそうに歯を食いしばっていた。

 目的はお嬢様の救出、とハルヤは自分に言い聞かせ、怒りを抑えてアイリーを背負った。


「すぐ病院へ行きますので、しばしご辛抱を」


 奪還は難しいと判断したのか胡麻塩頭は追ってこず、ハルヤは恨めしなげな視線を背中に感じながら階段に足を掛ける。


「カティア、帰るぞ」


 交戦中のカティアに叫ぶと、カティアは小さく頷いてひとっ飛びでドアまで後退した。

 ハルヤはカティアの身体能力に驚く盗賊達を眼下に、背負っているアイリーを両腕をお姫様抱っこで抱え直した。


「カティア、頼んだ」


 一声叫んでアイリーを空中へ放り投げた。

 ぎゃあああ、というお嬢様らしくない悲鳴を上げるアイリーが屋敷の天井すれすれを通過し、放物線を描いてドアの前に立つカティアへ落ちていく。

 アイリーが失神して悲鳴すら聞こえなくなった時、カティアの腕にアイリーの身体が受け止められた。


「アイリー様、重い」


 メイドとしては大変失礼な言葉をぼやきつつも、カティアはアイリーを抱きかかえて踵を返して屋敷から脱出した。

 お嬢様を物のように扱う光景に呆気に取られていた盗賊達はようやく我に返り、ハルヤの方へ振り向いた。

 だが時すでに遅く、ハルヤも階段の手すりに足を掛け飛んでいた。

 盗賊達の頭上を飛び越え、ドアの前に両足で降り立つ。


「もういい。逃げるぞ」


 ハルヤに追いすがろうとする盗賊達に胡麻塩頭が大声で告げた。

 リーダー格の胡麻塩頭の指示に盗賊達は固まり、隣同士で顔を見合わせる。


「ずらかるって言ってんだろ!」


 苛立った声で胡麻塩頭が叫ぶと、盗賊達は弾かれた弦のように素早くハルヤから離れて階段を駆け上がり、連なる部屋へ入っていった。


「クソッ。どうしてこうなった!」


 最後に残った胡麻塩頭が悪態を吐きながら、ナイフを壁に向かって投擲した。

 ダーツのように切っ先が壁に刺さり、微振動して止まった。

 屋敷を抜け出すハルヤの目の端に、顔を蒼ざめさせて部屋へ戻っていく胡麻塩頭の敗残した姿が微かにだけ見えた。



 この後ハルヤとカティアはアイリーを近くの病院へ運び込み、診療時間外だと渋る医者を説き伏せてアイリーの手当てをしてもらった。

 数か所から出血はしていたが致命傷はなく、数日間安静にしていれば治癒するだろうとのことだった。

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