アイリー・コルセリート誘拐される3

 身代金を携えた遣いの者より先に邸宅を出立したカティアとハルヤは、送迎車で受け渡し場所の屋敷がある農村に到着した。

 人気の少ない寂びた農村の周縁は鬱蒼とした山林に覆われており、屋敷からは少し離れた林道のかろうじて拓けた平地に送迎車を停めた。

 念のために積んでいたランタンを手にハルヤとカティアが車から降りる。

 二人は送迎車のヘッドライトが山林の闇では目立ち過ぎたことを気にしていた。


「相手側からすれば、こちらの車が来たことは確認しているだろうな。車のヘッドライトは相手に来たことを知らせてるようなもんだ」

「何か仕掛けてくるかしら?」

「あり得るな。警戒だけは怠るなよ」

「そっちこそ。とんましないでよ」


 囁くように声を掛け合いながら緊張感を伴って二人は林道を屋敷の方角へ進む。

 受け渡し場所である屋敷らしい光が木々の向こうに見えてきたところで、ハルヤとカティアの進路に大小二つの人影が立ち塞がった。

 警戒して足を止めたカティアとハルヤの前へ人影がゆっくりと姿を現す。

 人影はどちらも闇に溶け込む黒い軽装で腰にはタガーを一本所持しており、ハルヤとカティアには見慣れたミカグレ盗賊団の格好をしていた。

 大小二つの人影の高身長の方がハルヤとカティアに告げる。


「お前たちがコルセリート家の遣いの者だな。受け渡しの前に身代金の金額を確認させてもらう」


 身代金を持たないカティアとハルヤは黙った。

 小柄の方が疑わしげに眉根を寄せてカティアとハルヤを見る。


「身代金はどこにあるんだ。答えろ!」


 カティアが手持ちがないことを示すように両手を半端に上げる。


「見てわからない。私たちは身代金を持っていないの」

「それじゃお前たちは何のために来たんだ?」


 当然の問いかけをする小柄に、カティアは別段悪びれもせずに答える。


「私たちの後から身代金を持った遣いの者が向かっているけど、万が一があるかもしれないから二人で先に様子を伺いに来たの」

「メイド風情が何を馬鹿なことを。身代金を持たない奴を通すわけがないだろ」


 小柄がカティアの服装を眺めながら鼻で笑った。


「そう……」


 カティアは相槌代わりに声を出し、演技の笑顔のまま表情が固まってしまった。

 盗賊二人はせせら笑っているが、隣に立つハルヤだけはカティアの瞳が段々と血の気も凍る冷たさを帯びていくことに気が付いていた。 


「冷やかしなら帰れ」


 背の高い方が引き返すように顎を振って命じた。

 だがカティアとハルヤは背を向ける気配すら見せず、カティアは凄惨に、ハルヤは冷静な目で盗賊二人を見返した。


「まずはアイリー様のご無事を確認しないと。通してくださいますか?」

「お嬢様のご健在をこの目で見ない限り、要求通り身代金を渡すことはできない。それがコルセリート家の意向だ」


 それぞれにアイリーの状況を確かめたい旨を伝えた。

 たが大小二人の盗賊は無下にもハルヤとカティアの背後を指差す。


「身代金がないなら帰れ。これ以上の警告はしないぞ」

「お前たちの頼みを呑むメリットはこっちにはないんだよ。自分たちが要求を受け入れる側だってことを理解しろよ」


 盗賊二人の対応にハルヤは諦めて溜息を吐いた。

 お嬢様の身の安全を保証できないのなら、強硬手段もやむを得ない。


「仕方ないわよね?」


 指示を待つ処刑人のような冷たい瞳をしたカティアがハルヤに問う。

 ハルヤは小さく頷き、執事服の懐に手を入れた。

 カティアもエプロンのポケットから光るものを取り出した。

 メイドと執事が木製の持ち手に刻印の掘られたタガーを握ったのを見て、盗賊二人は驚愕に目を開く。


「お前ら、そのタガー」

「なんで持っている?」


 二人の問いかけにカティアは底冷えする目で睨み返した。


「私たちが何を持っていようと関係ないでしょ」

「だが、そのタガーを持っているということは?」


 小柄が曰く言いたげにカティアの手元を見ているが、カティアは意に介さずタガーの狙いを定めるように揺らした。


「どいて」


 呟くと同時にカティアの身体は小柄の眼前まで飛んでいた。


「あっ?」


 小柄がカティアの接近に慌てた後、すでに彼の意識は朦朧とした。

 タガーの柄で首裏を殴打されたのだと彼が知った時には、地面に倒れ伏していた。


「……ううむ」


 カティアの旋風のごとき立ち回りに高身長は唖然としていたが、タガーを強く握り腰を落として臨戦態勢を取った。

 だがカティアと目が合ったと思った瞬間には、高身長の意識も眩んだ。

 高身長が立ち眩みながら背後を振り返ると、いつの間に居たのかハルヤがタガーを殴打に使ったように逆手に持って睥睨していた。

 ハルヤの落ち着いた瞳に覗かれながら高身長も意識を失って地面に倒れた。

 一瞬の静けさの後、ハルヤが疲れたような嘆息を漏らす。


「できるなら穏便に済ませたかった」

「なにを今さら。アイリー様のためだもの仕方ないわよ」


 カティアが開き直った顔で言った。

 その言葉にハルヤは苦笑する。


「相手も相手だしな」

「そうよ。譲歩なんてしてたらアイリー様の身が危ないわ。ほら、早く行きましょ」


 アイリーが心配でならないカティアはハルヤに決意を促すと、先に引き渡し場所への道を進み出した。

 カティアの気持ちは十二分に共感できたが、ハルヤはあえて釘を刺すことにする。


「お互い冷静さだけは失わないようにしよう」

「私、短気だからよろしくね」


 謙遜含めてカティアは軽口を返した。

 林道を進むカティアに追いついてハルヤは笑い返した。

 ハルヤとカティアは警戒を保ちながら屋敷へと向かった。



 アイリーの使用人二人が屋敷へと赴いている頃、コルセリート家の邸宅に一人の訪問客があった。

 出迎えたメイドは訪問者を敬いながら、訪問者の希望に沿ってオルダンの部屋まで案内した。

 オルダンは訪問者を部屋に通し、執務机越しに対面する。


「珍しいなセルシオ。どうした?」

「久しぶりだね、オルダン兄さん」


 訪問者のセルシオは兄であるオルダンに笑顔で挨拶を送った。

 そして、すぐに真面目な顔つきで告げる。


「兄さんに謝らないといけないことがあって、少しの時間二人になれるかな?」

「いいだろう。メイドには出ていかせる」


 オルダンは承知して、セルシオを案内してきたメイドを部屋の外へ退出させた。

 二人きりになり改めて弟と相対する。


「それで謝りたいこととはなんだ?」


 セルシオは言いづらそうに顔を下げてから、ひと呼吸整えてから口を開く。


「アイリー様が誘拐されただろう。あれはわたしのせいだ」

「……そうか」


 弟の予期しない告白に、オルダンは意味を飲み込むのに時間を要してから声を返した。

 苦悩するように目を閉じたオルダンに、セルシオは表情を歪めて告白を続ける。


「わたしは昔から娘のカナリアにコルセリート家の令嬢になって欲しいと願っていた。親馬鹿の救いがたい我がままなのはわかっているが、カナリアが成長するごとにわたしの我がままは抑えられなくなってしまった」

「……」


 セルシオの赤裸々な告白にも、オルダンは静かに耳を傾けるだけだ。

 兄の落ち着いた様子に対してセルシオの方も一方的に話を続ける。


「いつからかアイリー様がいなくなれば、とさえ思うようになった。アイリー様がいなくなればカナリアにコルセリート家の令嬢の地位が下ると愚かにも考えてしまった。そんなわたしの弱い心が今回の事件を招いたんだ」

「……そうか」


 静かに相槌だけを打ってオルダンは目を開いた。

 これから続く話の内容を受け止める覚悟でオルダンの目は弟を正視した。


「ミカグレ盗賊団と名乗る連中がわたしにアイリー様の誘拐案を持ち掛けてきた。無論最初は断った、だがミカグレの連中は応じられないなら代わりにカナリアを殺す、と私を脅して、カナリアのために連中に協力することにしたんだ」


 セルシオは経緯は話してから、苦々しく唇を噛む。


「カナリアを条件に脅されたのは言い訳に過ぎないことはわかっている。わたしがもっと強気に対処できていれば、少しでもアイリー様がいなくなればと願わなければ、こんな事態にはならなかったんだ」

「そうか。大変だったな」


 弟の独白にオルダンは沈着に頷いて慰めた。

 だが次の瞬間には厳格な顔つきで弟と対する。


「気の毒だとは思うが擁護はできない。セルシオが言った通り対処の仕方は幾らでもあったはずだ」

「後悔してるよ。本当にごめん、兄さん」


 許しを得ようとなどとは考えていないセルシオは、ただ深々と頭を下げて謝罪した。

 オルダンは悲しげに眉を寄せる。


「俺がセルシオの責任を負うことはできない。悪いが、自分の身は自分で処してくれ」

「わかったよ。兄さん……だけど」


 頭を伏したまま返事をしたが、気掛かりが残った様子でオルダンへ頭を上げた。


「最後に一つ頼みごとをしてもいいかな?」

「なんだ?」


 最後というセルシオの声に胸が重くなるのを感じながらも、オルダンは泰然と弟に聞き返した。

 セルシオは重荷を下ろしたように微笑する。


「カナリアのことをお願いしたい」

「……わかった。心配はいらん、あとは任せろ」


 オルダンが請け合うと、セルシオは微笑んだまま踵を返した。


「それじゃ兄さん。よろしく頼むよ」


 何もかも吹っ切れたような笑顔を見せて執務室から辞していった。

 扉が閉まると、オルダンは黙禱するように瞑目する。


「こちらこそ、すまないな」


 裁きを下す立場として口にできなかった言葉を、兄として紡いだ。

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