アイリー・コルセリート誘拐される1
邸宅へと帰還したカティアとハルヤは、すぐさまアイリーの父親であるオルダンの部屋へ駆け込み、オルダンへアイリーが誘拐されたことを報告し謝罪した。
オルダンは常日頃は温厚な笑みを湛える顔を緊張させると、政務の書類に当てていたペンを置いた。
「事情はわかった。心配だな」
「それだけですかオルダン様。アイリー様が誘拐されたんですよ!」
あまりにも淡泊過ぎるオルダンの反応に、カティアが嘘だとばかりに娘の使用人という立場を越えて詰め寄った。
ハルヤもカティアに同感でオルダンへ怪訝な目を送る。
「カティアとハルヤも落ち着いてくれ」
対してオルダンはあえて抑えたような声量で二人へ返答する。
「気が焦るのはわかるが、アイリーが誘拐されたと騒いだところで戻ってくるわけではないだろう。誘拐された事実を前にどう対処するのが重要じゃないかね」
「ですが、こうしている間にもアイリー様が危険に晒されているかもしれません」
「そうだろうな。ならば、それこそ今こうして焦っている場合ではないと思うがね」
カティアの抗議にもあくまでオルダンは焦りを感じさせない様子を見せた。
今までにない焦慮に駆られていることを自覚しているカティアとハルヤは、泰然としているオルダンに返す言葉がなくなり押し黙る。
黙った二人を見てオルダンは語り掛けように声を出す。
「アイリーから君たちの前歴は聞かされている。そしてアイリーが全幅の信頼を置いていることも承知している」
「……アイリー様がオルダン様に私たちのことを?」
カティアは驚いて目を大きく開いた。
ハルヤが伺うような視線をオルダンに送る。
「我々二人の前歴とは盗賊稼業のことですよね。コルセリート家の方々が畢生関わることのないような賤業ですよ。そんな生業にいた我々二人が娘の使用人であることに抵抗はないのですか?」
自身の過去を卑下してハルヤは尋ねた。
オルダンは言いづらそうに眉根を寄せて、心の中で折り合いをつけたようにゆっくりと口を動かす。
「もちろんアイリーから聞かされた時は驚いた。だが、アイリーは君たちの本質をしっかり見ていたんだよ」
「それはどういう?」
「アイリーの言葉をそのまま伝えるなら、カティアとハルヤの心は善ですわ。だって追い詰められてもわたくしを人質にしなかった臆病者ですもの、とね」
オルダンから伝え聞いたアイリーの話に、カティアとハルヤは感に堪えたように胸を詰まらせる。
「お嬢様がそんなことを」
「アイリー様にはお見通しだったのですね」
しみじみとここにはいないアイリーに敬服する。
オルダンが本題へ戻すように、あえてしかつめらしい顔つきになる。
「まずは俺が君たち二人を責めるつもりではないと分かってもらえたと思う。そこで二人に命じたい」
オルダンの決意の覗く視線にハルヤとカティアは姿勢を正した。
「アイリーをいつでも助けに行けるように準備してくれ。それとアイリーが戻ってくるまでは俺の指示で動いてもらう、わかったか?」
「かしこまりました、オルダン様」
ハルヤはすぐに忠順な姿勢を示したが、カティアは承服しかねるように押し黙ってしまった。
オルダンが黙るカティアへ咎めるような目を送る。
「一人のメイドでしかない君一人に何ができる?」
「……オルダン様の指示に従うのは構いません。でも準備など悠長にしている場合ではないと思います。今この時にもアイリー様がどんな目に遭っているか不安で仕方がありません」
矢も盾もたまらない気持ちを吐露した。
オルダンは立場を越えて陳情したカティアを真っすぐに見つめる。
「不安に囚われて行動してはいけない。本来なら見えているはずの事実にまで気が付かなくなるぞ。だからまずは頭を冷やす時間を作れ」
「でも……」
「君一人でアイリーの居場所を特定して助け出すことが出来るかね?」
「それは……」
「出来ないだろう。ならば指示に従ってくれ。アイリーのことが心配なのは俺だって同じなんだ」
「……かしこまりました」
反論できる理屈がなく従うしか選択肢がなかった。
オルダンは話を締めくくるように大きく息を吸ってから告げる。
「犯人側から何か連絡があるかもしれない、犯人がわかり次第おって伝える。それまでは二人ともに休暇を与えよう。存分に英気を養ってくれ」
ハルヤとカティアが首肯すると、顎を振って出入り口へ促した。
礼儀正しく二人が去っていくのを威厳ある態度で見届けた。
ハルヤとカティアが邸宅で救出の準備をして待機していた頃、誘拐されたアイリーはドレス姿のままでミカグレの革新派が隠れ家にしている寂れた屋敷の二階に軟禁されていた。
部屋の柱に手足を縛られた状態で動けないでいるアイリーに、銀髪の青年が部下らしき盗賊達に指示を与えてから近づいてきた。
アイリーの全身を卑猥な視線で舐め回して下品に笑う。
「このまま縛っておくには勿体ない身体してんな」
「……」
アイリーは会話に付き合う気はなく無言を返した。
「運ぶときは案外重かったが、まっさらな身で返すには惜しいな」
「……」
言葉を発しないアイリーに青年は飽きたように笑いを引っ込める。
「なんだよ、もう少し嫌そうな顔してもいいだろ」
「……」
「つまらねぇ」
アイリーの態度に青年は悪態を吐いた。
青年の視線に嫌悪感を抱いたがアイリーは顔には出さないように努めた。気に障るようなことを言うべきではないと聡い頭で判断していた。
アイリーを見る青年の目に獲物を前にした蛇のような獰猛な光が宿る。
「綺麗なものは傷つけたくなる性分なんだ。綺麗なまま放っておくと目が痛いからな」
「……」
「さっきの言葉は脅しじゃないぞ。覚悟しておけよ」
無言を貫くアイリーへ突きつけるように青年は引導を渡した。
アイリーは青年が何を考えているのかをおおよそ把握できて、恐怖心が臓腑から湧いてくるのを禁じ得なかった。
だが実際に手を出されるまでは怯懦を見せてはいけない、と頭で理解もできていた。
興味がないように青年から視線を逸らして沈黙を貫く。
「女の子らしく怯えたらどうよ。こっち来てから、一言も口利いてないだろ」
「……」
「俺は本気だぜ。綺麗なものは傷つけて、ついでに犯してやりてぇんだよ」
脅すように吐きながらアイリーの眼前まで歩み寄った。
抵抗しないアイリーの顎を掴み、目を合わせるように上向かせる。
「顔は最後がいいな。どこから痛めつけられたい、脚か、腕か、胸か、それかもっと見えないところか?」
「……」
嗜虐心で目を爛々とさせて青年は脅迫するが、アイリーはなおも無言を貫く。
アイリーの無反応に青年は詰まらなくなって乱暴に顎から手を離した。
「可愛げがねえな。もうちったぁ拒絶してみろよ」
「……」
「まあいいや。俺の言葉が単なる脅しじゃないことは後でわからせてやるよ」
そう吐き捨てるとアイリーの前を離れて部屋で煙草を嗜む数人の味方と身代金がどうだと話を始めた。
しばらく話し合ってからアイリーに流し目を送ってほくそ笑む。
「さあお嬢様。身代金の取引におうちは応じたらしいぜ。楽しみだなぁ?」
わざとアイリーの動揺を誘う。
状況が進展していることに少しだけ希望を抱くが、反応を示さないように努めた。
青年はアイリーの様子を観察してから、当てが外れたように味方との会話に戻る。
「相手は金持ちの名家だ。荒事のために人を雇っている可能性もあるからな、お前らも準備しておけよ」
数人の味方に告げると、青年自身も部屋の隅に置かれたズックの中身を確認する。
身代金の受け渡しに際して事を起こすようだが、生憎アイリーには彼らが何を企んでいるのか推察することはできなかった。
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