学園パーティーですわ4

 フロア内の暗転からしばらくして、パーティー会場の警備に当たっていた者が出入り口付近の緊急用のオイルランプを点灯させた。

 フロアの端の微かなオイルランプの光の中、カティアとハルヤは夜目を利かせて周囲を見回した。

 元盗賊で暗所に慣れている二人といえども突然の闇にはどうしようもなく、目が慣れるまでは何も見えていなかった。

 二人の視界の範囲にアイリーの姿はない。


「アイリー様、返事をしてください!」

「お嬢様、聞こえますか!」


 カティアとハルヤは忙しなく視線を巡らせながら声を張り上げた。

 だがアイリーの反応はなく、聞こえてきたのは突然の暗転に揉みあい倒れた人々の悪態だった。

 アイリーからの反応がないことにカティアとハルヤはたちまち焦る。


「アイリー様、アイリー様。返事をしてください!」

「お嬢様。どこにおられますか、すぐ向かいます!」


 二人の必死の叫びも虚しくアイリーが見つからないまま、オイルランプを携えた警備の人間の数が増えてフロアに明るさが戻ってきた。

 フロアが明るくなると、アイリーが先ほどまで座っていたベンチの近くにカナリアが立っているのが見えた。

 カティアとハルヤのアイリーを呼ぶ声に我に返ったようにカナリアが目を開けて辺りを見回す。


「あれ、お姉さま?」


 アイリーがいないことが信じられないように同じ場所をぐるりと再度見直した。


「お姉さまがいない、どこ?」


 カナリアは寂しげに瞳に涙を浮かべてアイリーの姿を探し求めた。

 彼女以外のパーティー参加者も警備の者たちが持ってきたオイルランプのおかげで、ようやく周囲の状況が飲み込めて連れ合いがいることに安堵の息を漏らし始める。


「アイリー様、アイリー様。どこですかアイリー様!」


 カティアがアイリーを呼び続ける中、少しだけ冷静さを取り戻したハルヤは暗転前との違いを知るためフロア内の人数を確かめた。

 そして事態の重大に気が付く。


「お嬢様だけがいない」


 ハルヤの声を聞いたカティアが探す目を彼へ向ける。


「アイリー様一人だけを狙った誘拐?」

「断定はできないがな。他の人や物が盗られた様子はない」


 事の深刻さを認識したカティアはすぐさま告げる。


「誘拐ならまだ犯人は近くにいるかもしれないから、わたしは外に出てアイリー様を探してくるわ。もしも三十分経っても帰ってこなかったら犯人追ってると思って」

「すまない、外は任せた」

「それと念のためにカナリア様のこと見ててあげて。それじゃ」


 付け足して言うと、カティアはメイドの淑やかさなど忘れた駆け足で、いつの間にか割れていた窓ガラスから庭へ飛び出していった。

 ハルヤはカティアに頼まれたカナリアの保護に意識を移すことにする。

 アイリーの従姉妹でコルセリート家の血を含むカナリアも誘拐されることを危惧していた。

 だがハルヤが歩み寄るよりも先にカナリアの方から近づいてきた。


「あ、あの、アイリーお姉さまの執事さんですよね?」


 縋るような瞳で話しかけて来たカナリアに、ハルヤは安心させようと微笑みかける。


「はい。アイリーお嬢様の執事を務めるハルヤ・スタルツェと申します。カナリア様お怪我はありませんか?」

「わたしは大丈夫。でも……」


 カナリアは答えてから言葉を詰まらせた。

 不安でいっぱいの泣きそうな顔でハルヤに尋ねる。


「……お姉さまは連れ去られちゃったの?」

「自分にもまだ定かなことはわかりません。今メイドが探しに行っておりますから、カナリア様は安全のために自分から離れないようにしてください」


 カナリアの問いかけからは若干ズレた回答をした。

 はあぅ、と気力を使い切ったようにカナリアが腰砕けに床にへたり込んでしまう。

 アイリーが誘拐されたカナリアのショックの大きさをハルヤは感じ取ったが、どんな言葉を掛けてあげるべきなのかの最善手は思いつかない。

 安心してください、なんて気休めだからな。執事ごときの慰めでカナリア様は心の底から安心できないだろう。

 ハルヤが戸惑い気味にカナリアの様子を眺めていた時、割れた窓ガラスから見慣れたお仕着せ姿がふらりと入ってきた。

 そちらへ目を遣ると、フロアに入ってきたのはお仕着せに跳ねた泥の跡を残したカティアだった。

 何が起きたのは状況を理解し始めたパーティー参加者の視線が集まる中、カティアは静かに沈んだ空気の会場内を無言でテーブルまで進んでくる


「カティア、お嬢様は……」


 想定よりもだいぶ早く戻ってきたカティアにハルヤは話し掛けるも、肝心のアイリーの姿がないことに違和感を抱いて喉が詰まる。

 カティアはハルヤの声には応えず、手近なテーブルに置かれた複数のワイングラスを無造作につかんだ。

 ワイングラスの中身がこぼれるのも構わずに思い切り振りかぶる。


「カティア、やめ……」


 彼女がしようとしていることに気が付いたハルヤが制止の声を上げるが、もはや間に合うわけもなかった。

 カティアによって目にも留まらぬ速度で大量のワイングラスが床に叩きつけられ、水を含んだ風船が割れる如く四方八方にガラス片を撒き散らした。

 突然のカティアの暴挙を目のあたりにした他の参加者たちがたじろぎ、潮が引くようにカティアから距離を取る。

 床にへたり込んでいたカナリアも急な破砕音に怯えて目を瞑り耳を両手で覆った。


「カティア!」


 ハルヤは慌ててカティアのもとへ駆け寄った。

 カティアは自身を呼ぶ声にも反応せず、料理の並んだテーブルを両手で押し上げて投げ倒す。

 食器や料理が散乱して周囲の人々が獣でも出たかのようにカティアから距離を取る中、ハルヤだけが暴れるカティアを後ろから羽交い絞めにした。


「カティア、落ち着け!」

「クソッ、クソッ」

 ハルヤの声が聞こえていない様子のカティアが、怒りのままに手に届く範囲の物を投げたり倒したり乱暴を働く。


「いい加減にしろ!」


 周りの目も憚らずハルヤは怒鳴り、羽交い絞めにしたままカティアを後ろへ引き摺ってテーブルから離れさせる。

 カティアは羽交い絞めにされた状態でも駄々っ子のように手足を激しく暴れさせたが、やがて思い通りに動けないからか急に静かになって全身の力を抜いた。

 途端に大人一人分の重みを腕に感じながらハルヤは羽交い絞めのままでカティアの身体を支える。


「落ち着いたか?」

「……」

「何か言えよ?」

「……落ち着いた、ごめんなさい」


 カティアはようやく返事をすると、抜いていた全身の力を入れ直して自分の足でしっかりと立った。

 カティアの怒りが沈静したと見てハルヤは羽交い絞めから解放する。


「お嬢様の身元は、わかったのか?」


 ハルヤは嚙み砕くような口調で尋ねた。

 背中を向けた姿勢のままカティアが項垂れる。


「残念ながらわからずじまいよ。連れ去った犯人も見つけられなかった」

「そうか。ありがとう」


 静かな声で感謝を告げ、冷静さを装ってすべき措置を頭の中で並べる。


「至急邸宅に戻ってオルダン様に報告、それとカナリア様の身の安全も確保しよう」

「そうね……取り乱して悪かったわ」

「気にするな。それより俺は邸宅に戻るから、カナリア様の事お願いできるか?」


 ハルヤもアイリーが誘拐されて胸が引き裂かれるほど辛かったが、カティアの暴挙のおかげで目が覚めたように冷静さを失わずに済んでいた。

 アイリーの誘拐を受け入れて次の行動に移ろうとしている二人に、さっきまでへたり込んでいたカナリアが遠慮がちな足取りで近づいてきた。


「あの、アイリーお姉さまのメイドさんと執事さん」


 自分たちを呼ぶ声にハルヤとカティアが振り向くと、カナリアは心を落ち着かせるように胸の前で両手を組み替えながら口を動かす。


「わたしのことは大丈夫です。お姉さまを探してください」

「しかし万が一のことが……」


 ハルヤが渋るもカナリアは首を横に振る。


「お父さんが近くにいるから、その、心配しないでください」

「そうですか……カナリア様ありがとうございます」


 カナリアのアイリーを想う故に不安そうな瞳を前にして、ハルヤは執事の身ならず感謝の言葉が出た。

 同じく胸が詰まった様子で黙っているカティアに向き直る。


「カナリア様の安全は確保できた。すぐに邸宅に戻るぞ」

「ええ、それしかないわよね」


 カティアもだいぶ冷静さを取り戻して、至急の報告が第一だと理解できた。

 ハルヤとカティアは駆けるようにしてパーティー会場を後にした。



 心配げな瞳で会場を飛び出していく二人を眺めているカナリアのもとに、細身で眼鏡を掛けた聡明な印象の男性が駆け寄った。


「カナリア、大丈夫かい?」


 男性の案じる声にカナリアは振り向く。


「あ、お父さん。わたしは大丈夫、どこも怪我してないよ」


 カナリアは男性をお父さんと呼んで健在さを示すように微笑した。しかしすぐに拭えていない不安で表情を歪めてしまう。


「でもお父さん。アイリーお姉さまが……」

「あ、ああ、わかっているよ。心配だな」


 カナリアの父セルシオは娘に共感しながらも、瞳は後ろめたい複雑さで揺らいでいた。

 複雑な感情を娘に読み取られまいとセルシオは目を細めて諭すような笑顔を返す。


「心配だろうけど、カナリアは探そうなんて思っちゃダメだよ。カナリアも同じ目に遭ってしまうかもしれないからね」

「お姉さま、帰ってくるよね?」


 連れ去った犯人の素性を知らず、さらには犯罪が罷り通る裏社会の残酷さを垣間見たこともないカナリアは、どこか生死の想像力が欠如した声音で尋ねた。

 セルシオは娘の清純さを守るために笑顔に少し厳しさを加える。


「今回の事件のことは大人に任せない。カナリアが悩んだって仕方のないことなんだ、わかったね?」

「わかったよ、お父さん」


 父親の有無を言わせぬ口調に、カナリアは気掛かりだけを胸に残して首肯した。

 だがアイリーを案じる強い不安が彼女の口をすぐには噤ませなかった。


「でもお父さん。お姉さまが戻ってきたらわたしに教えてね。絶対だよ?」


 セルシオは罪悪感を押し潰して娘に笑顔を見せる。


「そりゃもちろん。無事がわかったらカナリアにもすぐに教えてあげるさ」

「ありがとうお父さん」

「当然のことだよ」


 答えてから照れ隠しに苦笑いを浮かべる。


「パーティーどころじゃなくなっちゃったから、お父さん皆が混乱しないように収拾つけてくるよ。カナリアはここで待ってるんだよ」

「うん、待ってる」

「いい子だカナリア。それじゃあ行ってくるよ」


 去り際にカナリアの頭を撫でたセルシオは、パーティー会場の混乱を収めるために他の企画者と共に衆人の中に向かっていった。

 アイリーを誘拐に加担している罪はカナリアの笑顔で忘れることにした。


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