学園パーティーですわ3
迎えた八月十日。
アイリーはハルヤの運転する送迎車からカティアの手を借りて学園の正門前に降り立った。
夏らしい水色のサマードレスに身を包み、コルセットのおかげでプロポーションも非の打ちどころがなく、その出で立ちは典雅そのものだった。
アイリーはカティアを振り向く。
「カティア、あなたの選んだドレス着心地がいいわ」
「それは嬉しいお言葉です。ありがとうございます」
平身低頭でカティアはお辞儀する。
駐車操作を終えて送迎車からハルヤが降りると、アイリーはハルヤに水を向ける。
「カナリアは先に到着しているらしいわ。ここからカナリアを探せるかしら?」
「カナリア様ですか。探してみましょう」
アイリーの要望にハルヤは正門から学園内で往来する人々へ目を凝らした。
小柄な見知ったドレス姿を探したが、パーティー参加者でごった返す学園内の中庭にカナリアの姿は見つけられない。もしかしたらすでに屋内にいるのかもしれない。
「すみませんお嬢様。ここからではカナリア様が見つけられません」
「そう。いいわ、中に入ればすぐに会えるはずよ」
詫びるハルヤに気軽に返すと、アイリーはゆったりとした足取りでパーティー会場へ歩き出した。
アイリーの使用人としてハルヤとカティアも静々と後を着いていく。
パーティー会場として人いきれの横溢する集会所としても使うホールへ入ると、すぐにアイリーに気が付いたらしいカナリアが笑顔で駆け寄ってきた。
「アイリーお姉さま、待ってました」
「カナリア、人前で走るなんてはしたないですわよ」
はしゃぐようなカナリアに、アイリーは開口一番に苦言を呈した。
カナリアはしゅんと落ち込む。
「ごめんなさいお姉さま。気を付けます」
「わかればいいのよ。今日はせっかくのパーティーですもの、以降は楽しい話題を話しましょう」
「楽しい話題?」
説教から一転して穏やかな笑顔で告げられ、カナリアは不思議そうに首を傾げる。
アイリーは柔らかく微笑む。
「そうね。たとえば、ほらお食事が出るのでしょう。カナリアはどんな料理なのか聞いてるかしら?」
アイリーによって話題はパーティーで供される料理に関することになった。
カナリアはパーティー会場の端に配された料理テーブルへ視線を向ける。
「たしか海産物とか、山の幸とか、お菓子もあったかな?」
「カナリアは何か食べたかしら?」
知らず知らず興味津々の目でアイリーが尋ねる。
アイリーの異常な関心を訝ることもなくカナリアは首を横に振った。
「ううん、何も食べてない。もうお酒飲んでる人もいたけど、わたしはお姉さまが来るの待ってたから」
「それは悪かったわね。今から早速賞味しましょう」
アイリーはそう言うと、カナリアを先導するように料理テーブルへ足を向けた。
カティアとハルヤが当然のように追随しようとすると、言い忘れたことでもあるように足を止めてカティアとハルヤを振り返る。
「カティア、ハルヤ。悪いけれどパーティーの間はカナリアと二人にさせてもらえないかしら。ここは学園ですもの、あまり従者を連れ回すのは他の方々にも迷惑ですわ」
ハルヤとカティアはきょとんとアイリーを見返してから顔を見合わせた。
互いに表情から仕組んでいないことを察してアイリーへ向き直る。
「何もお手伝いできなくなりますが、本当によろしいですかアイリー様?」
「お嬢様ご自身の意思であれば構いませんが、私たちが何か失礼をしてしまったでしょうか?」
心配して尋ねる二人に、アイリーは言葉を選ぶように視線を逸らしてから答える。
「学園ではいつもあなた達を連れていないでしょう」
「それはそうですが」
ハルヤが言い渋ると、アイリーははにかむように口元をすぼめる。
「気恥ずかしいから言いたくなかったのだけれど、わたしくは二人にも息抜きして欲しいの。これでわたくしの意図が理解できるでしょう?」
照れながらもアイリーが打ち明けた。
アイリーの心遣いにカティアとハルヤは感動して表情が解れた。
「アイリー様、ありがとうございます」
「感謝しますお嬢様。お嬢様のお心遣い、ありがたく受け取らせていただきます」
主の優しさを突っぱねるほど二人は意固地ではなかった。
二人の反応にアイリーは満足して頷く。
「それでいいのよ。パーティーですもの、使用人だからといって楽しんではいけない規則などありませんわ」
ハルヤとカティアは万感の思いで言葉が継げなくなってしまった。
主従のやり取りを見ていたカナリアが憧憬で瞳を輝かせる。
「お姉さま、すごい。使用人にも優しくできるんだね」
カナリアの手放しの賛辞に、アイリーは心が痒いかのように照れ混じりの顰め面を向けた。
「カナリアまでわたくしを持ち上げるのはやめなさい。別に使用人を労うのは当たり前のことですわ」
「そうかなぁ?」
「そうなんですの。ほら、行くわよカナリア」
これ以上こそばゆい話を続ける気はないと、カナリアを促して料理テーブルの方へ歩き出した。
「待ってアイリーお姉さま」
早足にテーブルへ向かうアイリーに、カナリアが嬉しそうな笑顔で追いかけていった。
遠ざかっていくアイリーとカナリア姿をカティアは眺めながら口元を緩める。
「本当にアイリー様はお優しいですね」
隣に立つハルヤが同感の微笑を返した。
「使用人の俺たちにも気を遣えるんだからな。いつまでも傍でお仕えしたくなるよ」
「でも今日はお仕えできないわね。何しましょう?」
アイリーへの奉仕のために着いてきているカティアは、いざ自分が楽しむ段になって首を捻った。
ハルヤは自分の中にも同じ疑問があることに気が付き肩を竦める。
「パーティーの楽しみ方なんて知らないぞ。盗賊稼業からいきなりお嬢様の執事になったから、これまで楽しむ側のパーティーなんて縁がなかった」
「御伽噺みたくダンスにでも誘われるのかな?」
おどけた口調でカティアが言うと、ハルヤはわざと真顔になる。
「相手を怪我させるなよ。それとどさくさに紛れて物を盗むなよ」
釘を刺されてカティアは心外とばかりに横目で睨み返す。
「その注意、あんたにそのまま返してあげるわ」
「手厳しいな。淑女はそんなこと言わないぞ」
「わたしに淑女の振る舞いを期待するのが間違いよ。さあ、わたしは近くを一周してくるからアイリー様のことを遠くから見ててあげて」
軽口で反駁しながらも、ハルヤにアイリーの護衛を頼んでパーティー会場の巡覧しようとした。
だが歩き出す間際に、自虐を含んだ笑みでハルヤに振り返る。
「淑女じゃないから誰にも唾つけられないだろうけどね。そしたら、おめおめ戻ってきてあげるわ」
「行くならさっさと行ってこい。それで美味しい物でも持って戻ってこい」
ハルヤがふざけて言い返した。
じゃあねぇ、と空気に流すようにハルヤに手を振ってお仕着せのままカティアは会場内を彷徨し始めた。
「帰ってきたらなんて言ってやろう」
そう呟いてハルヤはカティアから視線を切った。
端のテーブルで心の底からの笑顔でカナリアと喋る微笑ましいアイリーを見守ることにした。
カナリアと二人で談笑しながらアイリーはテーブルに載った料理を片端から賞味していった。
しかしコルセットの締め付けのせいで想定の五分の一ほどしか料理は喉を通らず、絶世の美しさ故に未婚の紳士からダンスに誘われるが、その誘いも息苦しさのために全て断ってしまった。
料理に手を出さずダンスの誘いも断るアイリーに側にいたカナリアが心配そうな目をむける。
「お姉さま、具合でも悪いの?」
カナリアの声にアイリーがはっとして笑顔を見せる。だが完全に笑顔を作れず、顔が強張ってしまう。
「だ、大丈夫ですわよ。良好ですわ」
「夏は暑いから屋内でも気を付けないといけないってお父さん言ってたよ。わたしのために付き合ってくれてるなら、無理しないでお姉さま」
「無理なんかではないわ」
そう否定するもアイリーの笑顔はいつもより硬い。
コルセット着用状態で腹が膨らむ食事をすれば、当然息苦しさは増す。
アイリーは今にもコルセットを外したかった。
カティアとハルヤに頼んで帰らせてもらおうかしら?
邸宅の涼しく人目を気にしない自室が頭を過るが、カナリアの心配げな顔を見ると怠惰へ傾きかける欲望をかろうじて抑え込み嘘を吐くことにした。
「もうお腹いっぱいですわ」
表情のぎこちなさを満腹のせいにする。
うぅ、まだデザートを食べてないですわ。
内心ではこれから供されるらしいデザートへ未練がましく思いを馳せた。
それでも表面上は平然を装い、手近なベンチへ上品な動作で腰掛けてからカナリアへ話を振る。
「カナリア、学業の方は順調かしら?」
「順調だよお姉さま。でもこれからどんどん難しくなっていくんだよね?」
不安を覗かせるカナリアに、アイリーは安心させるように微笑む。
「カナリアなら大丈夫よ。それにもし困ったらわたくしに聞けばいいわ。教えるのは得意じゃないけれど力になれると思うわ」
ダイエットは挫折ばかりだが、学業の方では同学年でトップを争う成績のアイリーは得々と胸を張った。
カナリアは安堵して笑う。
「お姉さまに教えてもらえるなら大丈夫な気がしてきた。ありがとうお姉さま」
「別に礼を言われることではないわ。それにカナリアならわたくしの力がなくても何とかなるわよ」
謙遜しながらも励ます。
カナリアは力強く頷いた。
「アイリーお姉さまに太鼓判を押してもらえたから、今後も頑張れそう」
「それは良かったわ」
「アイリー・コルセリート様、少々お時間よろしいですか?」
ベンチでアイリーとカナリアが談笑していると、ゆったりとした足取りでタキシード姿の若い紳士が話し掛けてきた。
若い紳士は抜群のプロポーションを誇るアイリーを眺めながら人の良い笑顔を浮かべる。
「連れの者はいないでしょうか?」
「ええ。いないわ」
アイリーは若い紳士に優雅な微笑で受け答えた。
料理を賞味している間も再三にわたり男性に言い寄られている。
アイリー目当ての男性が糸目を切らず、カナリアは飽きたような気持ちで若い紳士を見つめる。
カナリアの視線など気に掛ける様子もなく若い紳士はアイリーだけに真剣な瞳を送っている。
「よければ自分と踊ってはくれませんか?」
典型文のように誘うと、ベンチに腰掛けるアイリーの前に片膝をついて片手を差し出した。
紳士らしい低姿勢だが、アイリーは微苦笑して照れたように小首を傾げる。
「お誘いは嬉しいですわ。でも今は少々気分が優れませんの。またの機会にでもお願いしますわ」
「そうですか。仕方がありませんね」
若い紳士は残念そうにアイリーの言葉を受け入れると、立ち上がって悄然とした後ろ姿で去っていった
若い紳士が人いきれに見えなくなってからカナリアが尊敬の目をアイリーに向ける。
「やっぱりアイリーお姉様すごいね。アイリーお姉さまの魅力にみんな惹き寄せられてるもん」
「わたくしはそのつもりはないのだけれど、コルセリート家の血筋かしら」
「わたしなんて男の人に声かけてもらったことないよ。少しはお姉さまと同じ血が入ってるはずなのに。魅力ないのかな」
呟いてカナリアは苦笑した。
そんなことないですわ、とアイリーは即座に否定する。
「カナリアは充分美しいですわ」
褒めながらカナリアのドレスの生地に包まれたほっそりとした胴回りに目を注ぐ。
胸やお尻は小さく女性的な体つきではないが、全体的にスレンダーでウエストに関してはコルセットを着けたアイリーよりも細いかもしれない。
どんな生活をすれば、こんな両手で掴めそうなウエストになるのかしら?
本当にわたくしの従姉妹?
カナリアを凝視しながらアイリーの中で羨望さえ含んだ疑問が湧き出る。
アイリーの心中など知らないカナリアは人いきれの方を眺めて笑顔になった。
「アイリーお姉さま、これからどうしようね。お父さんに聞いた限りだとダンスの催し物があるらしいよ」
カナリアの言葉通り周囲の人々がペアを作り出している。
アイリーは従姉妹の細身な体型への疑問を頭から追いやって微笑を向けた。
「あら、このあとに舞踏会があるのね。お誘い全て断ってしまってお相手はいませんわ」
惜しそうにしながらも本心では舞踏会に参加するほど体力に余裕はない。
カナリアが言いづらそうに何度か唇で空を切ってから告げる。
「じゃあお姉さま、わたしに踊り教えて欲しいな」
考えたことをそのまま口にしたように言ってから、しゅんと視線を落とした。
「踊りのわからないわたしと組んでも、お姉さま楽しめないよね」
カナリアの落ち込む様子にアイリーは慰めの笑みを返す。
「そんなことはないですわよ。素性の知れない男性と手を取り合うよりも、気心知れたカナリアと過ごすよっぽど楽しめますわ。それに上手ではないけれど、一応の作法は心得ているつもりですわよ」
アイリーの言葉は嘘ではなく、そもそも男性と踊った経験などない。
コルセットの締め付けのせいで身体を動かすのが辛く、今までの誘いも全て何かと口実をつけて断ってきたのだ。そのため作法を知識として覚えているだけに過ぎない。
本音ではベンチに座っている方が身体は楽なのだが、自分を慕ってくれている従姉妹に頼まれると断りづらかった。
「一通りの作法は教えてあげますわ」
「えへへ、いいのお姉さま?」
甘える笑顔をカナリアが見せると、アイリーは釘を刺すように厳しい顔つきになる。
「あまりみっちり教えませんわよ。本当に一通り説明してあげるだけですわ。わたしくは久々に食べ過ぎて疲れましたの」
コルセットのせいで呼吸が苦しいから、という本音を打ち明けるわけにはいかず、またしても満腹を理由に付け足した。
「頑張って一回で覚えるよ、お姉さま」
アイリーに心酔気味のカナリアは、不服を一切見せずに素直に納得した。
しかし突如の事だった。
ダンスを教えるためにアイリーがカナリアに近寄った時、天井から氷が砕けたようなガラスの割れる音が響いた。
急な破砕音にフロアに居た者たちが一斉に天井を見上げた。次の瞬間、天井のシャンデリアの落下を始めた。
シャンデリアは床に直撃して破片を撒き散らし、灯りが潰えてフロア内は光源を失い瞬く間に暗闇に染まる。
「何ですの?」
暗闇のせいで目が効かずアイリーは立ち惚けた。
全くの暗闇でやがて方向感覚もなくなり、近くにいたカナリアの息遣いさえも感じ取れなくなってしまう。
「……っ!」
呆然と立ち竦むアイリーは、不意に背後から布のようなもので口元を押さえられ、咄嗟にうめき声を上げようとした。
だがアイリーの声が放たれるよりも早く、布のようなものから感じる鼻を刺激する独特の匂いに意識が遠のいてしまう。
「アイリー様!」
「お嬢様、ご無事ですか!」
意識がなくなる寸前にカティアとハルヤの呼ぶ声が聞こえたが、アイリーは口を押さえられて二人に返事ができなかった。
アイリーが遠のく意識で最後に感じ取れたのは、自分が何者かに担がれたことだった。
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