コルセットを外したいですわ5
アイリーは気の抜けない緊張感の中、教室でもお腹を凹ませ続けた。
だがその状態が長い時間維持できるわけもなく、一限が終わるころにはアイリーの腹筋は悲鳴を上げていた。
緩んでは慌てて凹ませてを繰り返し一限を乗り切ると、すぐに席から立ち上がる。
「具合が悪いですわ」
授業が終わって近くのクラスメイトに聞こえるよう告げると、鞄でお腹を押さえながら教室から抜け出した。
急ぎ足で外部と連絡の取れる学園の事務室まで向かい、事務室の一番手近にいた女教師に話しかける。
「体調が優れませんの。すっ、早退しますわ」
「あら、コルセリートさんが珍しいですね。お腹痛いの?」
少しでも凹ませる助けになればと腹部へ手を当てていたので、教師は勝手に解釈して外部連絡用の電話のアイリーに渡した。
日頃の模範的な生活態度のおかげで仮病を疑われなかったことに感謝しながら、アイリーは邸宅へ電話を繋げる。
この期に及んでもお腹を凹ませて息苦しいのだが、傍から見れば腹痛のせいに見えて、アイリーは疑われなかった。
焦れるような間を置いて邸宅に繋がると、アイリーはすぐさまハルヤを呼び出した。
電話口にハルヤが出るなり告げる。
「今すぐに迎えに来てちょうだい。すぅ、ん、門のところで待ってる、わ」
通話するアイリーの苦しそうな様子に、女教師は心配の目を向ける。
「コルセリートさん。無理そうなら迎えの人に医務室まで来てもらえるけど、本当に大丈夫なの?」
教師に気遣われたアイリーは、模範生らしくこれ以上心配させてはならないと良心を発揮して無理に笑顔を浮かべる、
「大丈夫ですわ。朝に食べたものが身体に合わなかったようですの。すぅ、ん、心配、ないのですわよ」
「それにしては呼吸が苦しそうだけど」
生徒であるアイリーの体調を案じているが、アイリーとしては早く事務室から抜け出して一人になりかたった。
一人になれば少しだけお腹を緩められる。
「それでは」
焦りのあまりお邪魔しました、という言葉さえ忘れてアイリーは教師たちのいる職員室を後にした。
鞄で腹部を隠しながら門に向かい廊下を進んでいく。
しかし、こういった非常時に限って知り合いに会うものである。
「あっ、アイリーお姉さま」
たまたまクラスメイトと教室を移動中だった一学年下の従姉妹であるカナリアが、進む先の廊下からアイリーを見つけて表情を綻ばせた。
突然の従姉妹含めて数人の視線に、アイリーは慌ててお腹の力を入れ直す。
カナリアのクラスメイト数人はカナリアの反応でアイリーに気が付いたらしく、学園の先輩で名家の令嬢であるアイリーを前に足を止めて背筋を正した。
アイリーは廊下を模範生として早足に歩くわけにもいかず、お腹の筋肉に意識を傾けながら悠然さを装ってカナリア達の前を通り過ぎようとする。
皆の前で醜態を晒すわけにはいきませんもの。
腹筋の痛みを我慢しつつ令嬢らしい品性を纏わせて廊下を進むアイリー。
普段と変わらぬ美しさに見えたが、従姉妹で交流の多いカナリアだけはアイリーの姿に小首を傾げた。
「今日のお姉さま、顔が硬い」
こんな時に鋭くなくていいんですのよ、カナリア。
カナリアの一言にアイリーは心臓を鷲掴みにされる思いがしたが、反応する余裕はなく聞こえないフリをしてカナリア達の前を通過した。
廊下の角を曲がりカナリア達の視線が感じなくなると、アイリーは鞄をすぐさま持ち直してお腹を隠した。
もうお腹が限界ですわ。
声には出さないがアイリーは弱音を吐いた。
その実、制服スカートの上でアイリーのお腹は痙攣しており、ちょっと気が緩めば抑え込んでいた贅肉が飛び出してしまいそうだった。
歩くのも辛いですわ。
廊下を抜けて学園の前庭まで来て正門が見えてきたが、今すぐにもその場に座り込みたかった。
だが門まではもう少し歩かないといけない。
ひとまず屈んで腹部を隠し、僅かな間だけお腹を緩ませた。
なんとか送迎者が出入りできる門の前で辿り着かなければ。
「お嬢様、どうかなされましたか?」
過酷なサバイバル環境にでも置かれているような心境のアイリーの耳に、聞き慣れた男性の声が入ってきた。
縋るような気持ちでアイリーは声のした方へ振り向く。
視界の中に伺うような目をしたハルヤの姿が見えて、アイリーは地獄から解放されたような安堵で顔を崩した。
「ハルヤぁ」
「お嬢様、お迎えにあがりました。門のところからお嬢様の姿は見えたのでここまで参りましたが、よろしかったでしょうか?」
「お腹が痛いですわ」
アイリーは簡単に早退理由を告げた。
長い時間凹ませ続けて、という意味だとハルヤは判断して、心の中ではニヤニヤが止まらなかった。
それでも満悦さは表に出さず不安そうな顔をする。
「それはいけません。今すぐに邸宅までお送りします」
そう告げてアイリーの前でしゃがんで背中を向ける。
アイリーは意図を理解して、ハルヤの背中に縋り背負われるままに背負われた。
見た目に反したずっしりとした重みをハルヤは背中に感じながら、送迎車まで歩き始める。
ハルヤはどさくさに紛れてアイリーのスカートからはみ出た横腹の肉を摘まみたい衝動を抑えながら、執事としての職務を全うしたのだった。
結局、この日の失態を機にアイリーは余計にコルセットを手放せなくなった。
翌日から渋々とコルセットを着用するアイリーの姿に、ハルヤとカティアが内心で歓喜したのは言うまでもない。
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