コルセットを外したいですわ1

 この国では八月を迎えると国民の勤労感謝として一部の職種を除いて一か月ほどの夏季休暇が政府から与えられるのが毎年の恒例となっている。

 リスタ学園も例外ではなく、生徒たちは直前に迫る夏季休暇の話題で持ちきりだ。

 夏季休暇となると家族で遠出する生徒も多くなり、アイリーの周りにも浮足立つ生徒がいたが、当のアイリーだけは別のことで頭を悩ませていた。

 近頃の物憂げな様子にはカティアとハルヤも気が付いていたが、あえて触れないでいると夏季休暇一週間前の夜にアイリーに部屋へ呼び出されたのだった。

 カティアとハルヤが部屋に集まりなり、アイリーがベッドに腰掛けたまま真剣な眼差しで二人へ告げる。


「わたくし、ダイエットしますわ」

「……そうですか」


 何度目かの宣言に驚き呆れるカティア。

 ハルヤもカティアの気持ちには共感できたが、億劫な本心は隠して胸に手を当てて詳しく話を聞こうと慇懃にアイリーの方へ身を傾ける。


「お嬢様、どのようなダイエットをお考えでしょうか?」


 ハルヤの問いかけにアイリーは嘆かわしそうに口をへの字にする。


「何も思いつかないんですの。学園の者に聞くわけにはいきませんし、書架にも資料がありませんもの」


 女子生徒のダイエット情報には耳ざとくアンテナを張っているアイリーだが、自らダイエットの話題を出すのは実態が露見しないように憚っていた。

 カティアとハルヤはどう対処しようかと顔を見合わせる。

 二人はアイリーへの返答に困り、カティアが返答を用意するためにアイリーへ探りを入れることにする。


「このようなことをお尋ねしていいのかわかりませんが、どうしてまたダイエットを決意されたのでしょうか?」

「少し、話すのは恥ずかしいですの」


 アイリーは珍しく言いづらそうに視線を落とした。

 カティアとしては事情を知らないと先へ進まないため、諦めずに質問を重ねる。


「お話してくれないと私たちもお手伝いできません。ダイエットの理由をお答えしていただけると幸いです」

「そうですわよね。理由を話さないといけませんわよね」


 カティアに促されるとアイリーは仕方なさそうに納得した。落としていた視線をおもむろに持ち上げる。


「コルセットが蒸れて、とても暑苦しんですの」

「そうですか。それは困りましたね」


 同情する目を返しながらも、カティアの心はとろけた。

 なにその当たり前のことに不満を持つ子供みたいな悩み。ほんとうちのアイリー様可愛すぎるんだけど。

 解決法は簡単、コルセットの着用をやめればいいんですよ。

 心の中ではそんな答えが湧いたが、カティアは従順なメイドを演じて顎に手をやって思案するポーズを取る。


「アイリー様の悩みに気が付けず申し訳ないです。コルセットが蒸れるのはどうすれば解決できるのでしょうね?」


 カティアが謝りながら聞き返すと、アイリーは卑屈っぽい笑みを浮かべた。


「コルセットをやめればいい、というのはわかっておりますのよ。でも今さら外せるわけもありませんの」

「アイリー様には必需品ですからね」

「そうなんですの。コルセリート家の令嬢が急にふくよかになっていたら皆びっくりしてしまいますし、コルセリート家として恥ずかしい姿は見せられませんわ」

「悩んだ結果、ダイエットをしようと思われたのですね?」


 アイリーは頷き、カティアとハルヤへ縋るような視線を送った。


「そういうことですの。二人には悪いけど、またわたくしの我がままに付き合ってくれるかしら?」


 主人であるアイリーの懇願を断れるわけもないカティアとハルヤは笑顔で首肯した。


「わかりましたアイリー様、今回もお付き合いします」

「お嬢様。自分たちでよければ助力いたします」


 こうして、またしても三人でのダイエット会議が始まった。

 会議の開始早々、ハルヤは疑問を呈する。


「しかしお嬢様。一概にダイエットと言っても向き不向きがございます。我々としてはお嬢様が健康を害すような無理なダイエットは推奨しかねます。ですから、まずは容易に達成できる目標を設定された方がいいかと」

「目標ね。どうしましょう?」


 アイリーは考えるような間を置いてから、色彩豊かな思い出を懐かしむように微笑んだ。


「わたくし、お母様のように美しくなりたいんですの」


 アイリーの言葉に、ハルヤはピンとくる人物がいた。

 すぐさま頭に浮かんだ人物についてアイリーに確認する。


「お母様とは、先代のメルディ・コルセリートご令嬢でしょうか?」


 ハルヤの歴史の偉人でもあるかもような呼び方にアイリーは頷いて微苦笑した。


「そういえば、ハルヤとカティアにはお母様のことを話していなかったわね。わたくしの思い出話になるけれど、二人はお母様のことを聞きたいかしら?」


 元盗賊でコルセリート家に仕えて一年にも満たないカティアとハルヤは、コルセリート家の令嬢はアイリー一人だけだ。

 先代のメルディ・コルセリートに関しては、一般民と同じく名前ぐらいしか知識がなかった。


「ぜひとも聞かせていただきたいです」

「メルディ様はどのような人物だったのでしょうか?」


 アイリーのダイエット動機に繋がるかもしれない先代の話題に、カティアとハルヤは興味を示した。

 アイリーは二人の返答を受けて嬉しそうに笑った。


「本当にわたくしの思い出話になるけど、許してね」


 そう前置きしてから遠くを見るような目をして話し出す。


「お母様は才色兼備で心が広くて、皆がお母様のことを国一番の美しさと賞賛していたわ。子供だったわたくしから見ても、お母様の美しさは飛びぬけていらしたわ」


 夢見がちに記憶の中の先代を話すアイリー。

 アイリーが語る先代の大袈裟なほどの名声に疑問を感じたカティアが挙手する。

 語る口を止めてアイリーはカティアに目を向ける。


「何か知りたいことがあるかしらカティア?」

「わたしからすればアイリーお嬢様も負けず劣らず美しいと思いますが、それほどまでに先代のメルディ様はお美しかったのでしょうか?」


 万人が美しいと称した先代の娘であるアイリーなら少なからず先代の華麗さを引き継いでいるはずだ。

 カティアの考えに納得できたアイリーは厳粛に首を横に振る。


「わたくしを持ち上げてくれるのは嬉しいけれど、お母様に見劣りしているのはわたくし自身が一番感じていますの。わたくしなんかお母様と比べるのもおこがましいですわ」


 そこまで卑下しなくても、とカティアは思ったがアイリーの真剣さを帯びた顔つきを見て言葉は喉元に留まった。

 代わりに軽はずみな発言をした自分を恥じる。


「申し訳ありません。思慮に欠けていました」

「実際にお母様と会ったことが無いのなら仕方がないわ。それにたとえお母様と違って偽りの美しさでも、外面的に美しいと思われているのならコルセリート家の名誉は守られているわ。悪いことではないはずよ」


 慰めを含んだアイリーの寛大さに、カティアは恐縮して傾聴のポーズを取った。


「お嬢様。お話の続きをお願いします。先代のことを詳しく我々にお教えください」

「そうね。話を戻そうかしら」


 ハルヤに促されたアイリーはまたも遠い目をして先代との記憶を回顧する。

「お母様はわたしが幼い頃に亡くなってしまったけれど、今でも美しさと優しさは忘れていないわ」


 アイリーの寂しげだがそれ以上に幸福そうな語り口に、カティアとハルヤは口を挟む余地もなく耳を傾ける。


「わたくしとは違ってスレンダーで、それでいて周りを魅了するプロポーションだったわ。子供ながらにあんな完璧な姿を見ていたら、ああなりたいと夢想するのも無理はないですわ」


 脳内で生きる母の姿が眩しそうに目を細めながらも、話の先にある思い出にアイリーの笑顔が段々と解れていく。


「理想の令嬢としてはもちろん、親としてもわたくしはお母様を愛していますわ。お母様がまだご健在だった頃は食事までわたくしに付きっきりでしたの。

 今でもお母様の勧めで食べたケーキの味とわたくしの食べる姿に笑顔をくれたお母様との一時は忘れられませんわ」


 幸せそうに語るアイリーに、カティアは話の接ぎ穂を足すように口を開く。


「もしかしてアイリー様の食事の好みは、メルディ様に影響されているのでしょうか?」


 カティアの問いかけにアイリーは同意して微笑み返す。


「ええ、そのはずよ。お母様はよくお菓子を食べさせてくれたもの。甘いお菓子を食べると今でもお母様と過ごした時間のように幸せな気分になりますもの」

「メルディ様もお菓子がお好きだったのでしょうね。私は直接お会いしたことはございませんが、なんとなく想像できます」


 愉快気に話すカティアにアイリーも口元を緩めた。

 これまで言葉を挟まなかったハルヤまでも笑みを浮かべる。


「自分にも想像できます。きっとメルディ様もお嬢様と一緒に食べる時間が至福だったのでしょう」

「二人の言う通りだといいわね」


 従者二人の肯定的な言葉に、話したアイリーさえも母親が自分と同じ思いでいたことを強く願った。

 だがしかし、カティアとハルヤは先代と幼きアイリーが食事をする光景を頭に描きながら一つの可能性に気が付いていた。

 アイリーお嬢様が豊かで健康的な体つきになられたのは先代が遠因なのでは、と。

 日常的な食生活が先代からの影響ならば、間接的にアイリーを福々しくしたのは先代かもしれない。

 アイリーは思い出に、カティアとハルヤは推理にしばらく耽っていたが、アイリー一人だけが大事な用事でも出来たように途端に抜け目ない顔つきになった。


「話が脱線しすぎましたわ。たしかコルセットを外すためのダイエットを考えてる最中でしたの」

「そういえば、そうでしたねアイリー様」

「申し訳ありません。我々の希望に応えてもらったばかりに、お嬢様のお時間を使わせてしまいました」


 先ほどまで先代との食事こそ可愛いアイリーの下地なのでは頭を巡らせていた二人は、慌てて表情を引き締めた。

 アイリーは真面目な顔つきで本題に戻る。


「わたくしはコルセットが暑苦しくて我慢なりませんの。やれることなら取り組むから二人とも策を講じてちょうだい」


 アイリーなりの信頼の表れでもあるのだろうが、カティアとハルヤに丸投げした。

 カティアとハルヤは解決案を考えるフリをしながら、アイリーが痩せない方策に思考を巡らせた。

 しばし時間を要してからカティアが閃いてアイリーに笑い掛ける。


「アイリー様、綺麗なプロポーションを維持しつつコルセットを外すことが出来ればいいのですよね?」


 アイリーは躊躇なく頷いた。

 カティアの頭には名案が浮かんでおり笑顔で告げる。


「私に考えがあります」


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