8時間ダイエットですわ4

 二日目以降もハルヤとカティアは、アイリーの八時間ダイエットの阻害を続けた。

 入浴で部屋から離れた時や、私用で外出した時や、様々な隙を狙ってアイリーの寝室の時計を遅らせて、朝には元に戻す作戦を繰り返した。

 そして迎えた七日目。

 この日アイリーはダイエットの途中経過を知るために、ハルヤとカティアを呼び出してクローゼットまで通した。


「アイリー様、今日はついに経過を確認する日ですね」


 カティアが促すと、アイリーは少し不安そうに眉を下げて頷く。


「正直あまり痩せた実感はないのだけれど最初に経過確認すると決めたものね。一応、現状は知っておいた方がいいと思うの」


 弱気なアイリーにカティアは不安を打ち消すように笑顔を返す。


「大丈夫ですよアイリー様。アイリー様は徹底した時間管理でこの一週間をお過ごしになられました。痩せているに違いないですよ」

「そうかしら、少しは期待していいのかしら?」

「もちろん。アイリー様の頑張りは傍で見ておりましたから」


 励ます言葉を掛けながらカティアの目はアイリーの全身像を眺める。

 まるで外見は痩せていると言いたげに、満足げに頷いてみせた。

 アイリーはもう一人の従者であるハルヤへ問う目を送る。


「ハルヤはどうかしら。わたくし少しは痩せたかしら?」


 ハルヤの視界の前でアイリーが腕を広げて全身を見せる。

 アイリーの全身を見回してからハルヤも優しい笑顔で頷いた。


「服越しでわかりにくいですが、自分の見る限り少し細くなられた印象がございます」


 ハルヤの感想にアイリーは破顔する。


「カティアとハルヤ二人が痩せたと言うのなら、きっと痩せてますわ。実感がないのは痩せた身体にもう馴染んだのに違いないですわ」

「そうでございます、アイリー様」

「お嬢様ご自身の感覚は信じてよろしいかと」


 心の中では思っていないことを平気で口に出すカティアとハルヤ。

 本音では、どう見ても痩せたようには見えないけど嬉しそうなお嬢様が微笑ましいと尊さに悶えている。

 アイリーは決意した前向きな面持ちでクローゼットの衣装棚まで歩み寄る。


「それでは、スカートを履いてみますわ」


 告げると、衣装棚から学園のプリーツスカートを取り出した。

 アイリーの寸胴でお腹周りに肉がついた体型で履けるとは思えないウエスト部分の細いスカート。

 普段はコルセットの上から履くスカートを生のままの自分で腰の周囲に広げる。

 カティアとハルヤは痩せていないと信じているが、いざとなると少しは痩せたのでは緊張して顔が強張ってしまう。

 アイリーはスカートのボタンの縫われた両端を肌着越しの腰に沿って回していった。

 徐々に両端の幅が近づいていく。

 拳大ぐらいの隙間を残したところで接近する速度が急激に落ちる。


「ふん……」


 最後にウエストの尺が足りないと気が付いたアイリーが力一杯に両端を引っ張ったが、拳大の隙間が埋まることはなかった。

 以前と変わらずスカートが締まらない事実に、アイリーは訴えるようにカティアとハルヤの方へ振り向く。


「ぜんっぜん変わってませんの。どういうことですの!」

「残念ながら……」


 カティアは欣喜雀躍しそうな内心とは裏腹に残念そうな硬い表情を作る。


「ダイエット失敗でしょうね」


 ハルヤも便乗して気の毒そうにアイリーを見つめる。

「お気を落とさずに、お嬢様。ダイエットには個人差がありますから」


 従者二人の気遣いの籠った瞳と相対したアイリーは、無言でスカートを外して先ほどまで着ていた緩い服装に着替えなおした。

 アイリーの顔に悔しさが滲んでいるのを見て、カティアとハルヤはニヤニヤが抑えられず顔を逸らした。

 申し訳なさで視線を逸らしたと勘違いしたアイリーは二人へ声を掛ける。


「二人には感謝してるわ。今回もわたくしのダイエットを手伝ってくれたもの」


 アイリーの言葉にカティアとハルヤは驚いて逸らしていた視線を向けた。

 従者二人へアイリーは微苦笑する。


「情けない主で申し訳ないわ」

「いえ、私が至らぬだけです。アイリー様は頑張っておられました」

「そうですよ。お嬢様が申し訳なく思う必要はありません。執事である自分の助力が足りなかっただけです」


 弱気なアイリーへ二人はすぐさま労わりを込めて慰めた。

 二人の気遣いにアイリーは安堵したように表情を緩める。


「本当に、わたくしは心の優しい人に囲まれているわ」


 感傷的な雰囲気の中での呟きに、カティアとハルヤも安易に言葉を発することができなかった。

 だが沈黙を嫌ったのか、アイリーが真顔に戻る。


「ダイエットはやめにするわ。また明日からは通常の時間に起こしてちょうだい。また用があれば呼び出すから、それまでは二人とも自由にしてていいわ。わたくしも部屋で宿題をしなければないけないですの」


 強気を装ってそう告げると、カティアとハルヤへ手振りでクローゼットから出るよう促した。

 カティアとハルヤは一礼してから、クローゼットさらにはアイリーの部屋からも退出した。

 従者二人が去りクローゼットに一人で残ったアイリーは、ラックに掛けた学園のスカートを敵視するような目で見つめた。


「いつかはコルセット無しで履いてみせますわ。わたくしはメルディ・コルセリートの娘ですもの」


 今は亡きアイリーの母親の名を出して誓った。

 アイリーの母親は容姿内面ともに絶世の美しさで万人の名声を得ていた。しかしアイリーが小さい頃に感染症に罹り、もとの病弱さも相まって夭逝してしまった。

美しき令嬢である母親こそアイリーが目指す理想の姿なのだ。

 アイリーは雪辱を果たすと心に決めながらスカートから視線を切り、クローゼットを後にした。



 アイリーが寝入った深更の時分、カティアとハルヤは執事室で落ち合い祝いの杯を交わしていた。


「アイリー様が今日も可愛かったですね」


 ワイングラスの中で揺れる紫色を眺めながら恍惚とした声音でカティアが呟いた。

 ハルヤは鼻を鳴らす共感の笑みを返す。


「お嬢様には悪いが、やっぱりお嬢様にはあのままでいてもらいたい。コルセットを着けなくなったら本当に非の打ちどころがないご令嬢になってしまわれる」


 上品な言葉遣い、柔らかな物腰、気品に満ちた所作、慈悲深い御心、そして魅惑的なプロポーションを演出するためのコルセット。

 コルセットが取れてしまえば、アイリーはただの美しい令嬢になる。カティアとハルヤにとって最も避けるべき事態だ。

 アイリーの絶妙な可愛さについて共通認識を持つ間柄で、カティアは蕩けそうな頬を手で押さえるようにしながら語る。


「それとまたアイリー様の生真面目さが堪らないのよね。生真面目なのに甘い物には目が無くて、痩せられないことに悩む姿も見ていて愛でたくなるわ」

「お嬢様のダイエットが今回も失敗したからな。これからしばらくはコルセットの効力に憑りつかれて手放せなくなるから安心だな」


 妄想を逞しくしてハルヤが気の抜けた微笑を浮かべた。

 アイリーはダイエットを断念すると当分はコルセットに頼り、痩せる気が一切なくなってしまう。

 季節の変わり目ごとに何かに気付いたようにダイエットを宣言しては失敗を繰り返しているので、カティアとハルヤ二人とも次のダイエットまでは猶予があると確信している。

 カティアがグラスに入っているワインを飲み干し、テーブル中央に置いた木皿の落花生を摘まんで口の前まで運ぶ。


「もしも、また次アイリー様が宣言を出したらどうやって対処しましょうね」

「気が早いな。もう次の話か」

「私たちはあの手この手でアイリー様のダイエットを阻止してきたけど、さすがに毎回名案が思いつくは考えられないわよ」


 後ろ向きとも思える発言をするカティアを、ハルヤは意外そうに見つめる。


「なんだ、次からは諦めるのか?」


 自尊心を煽ってきたハルヤをカティアが睨み返す。


「諦めるわけないじゃない。もしもの話をしてるだけで、アイリー様をみすみす痩せさせるわけにはいかないわよ」

「ははっ、それでこそカティアだ。相変わらず強気だな」


 期待通りだと言わんばかりにハルヤは笑い返した。

 カティアは見透かされたような気分になり、落花生を口に入れてかみ砕くと顔を逸らして不貞腐れる。


「自分だって同じ考えのくせに私にだけ言わせて。ちょっとムカつくんだけど」

「普段はお嬢様を相手にしてるからな。遠慮なく構えるのはお前だけなんだよ」


 ハルヤは心の底から楽しんでいる声で言い訳した。

 彼の底意のない笑みを見てカティアも仕方なく溜息をついた。


「そう言われると弱いわね。私もくだけた態度で話せる相手は近頃あんたぐらいしかいないもの」


 カティアも似た思いを抱いていたことを知り、ハルヤは笑い掛ける。


「お嬢様の目がある限り俺たちは執事とメイドだからな。お嬢様を貶めるような言動はできない」

「わかってるわよ。だからこんな態度取るのも今だけよ」


 そう言ってカティアはおかしそうに口を開けて笑った。

 しかしすぐにメイドらしい上品な笑顔になる。


「普段は礼節弁えたアイリー様専属のメイドですもの」

「俺も常は礼儀を熟知した執事だからな。冗談を言うのは今だけだ」


 互いに立場を確認して慇懃な表情を向け合った。

 だがすぐに馬鹿馬鹿しくなって共々表情を崩す。


「二人して何してるんだろうな?」

「ほんとよ。アイリー様のことを話してたらはずなのに、だいぶ逸れちゃったわね。あっ、もう一杯もらうわ」

「どうぞどうぞ」


 カティアが蓮っ葉な所作でワインボトルを掴んで、自身のグラスへ手酌をした。

 ハルヤの方も椅子の背もたれに身体を預け、片手で落花生を摘まんで口へ投げ入れる。

 元盗賊の二人には、場末の酒場のような今の雰囲気の方が身の丈に合っていた。

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