8時間ダイエットですわ1
夏の暑さが日々迫る六月某日。
ハルヤはカティアとともにアイリーの部屋に呼び出された。
二人が目顔だけで用向きを尋ねると、アイリーは椅子に凭れかかったまま真剣な眼差しを返した。
「わたくし、明日からダイエットしますわ。二人とも協力してくれるかしら?」
信頼の籠った瞳でハルヤとカティアに助力を申し出る。
主人の頼みを断れるわけもなくハルヤとカティアは了承のお辞儀をした。
従者二人の意思を確認したアイリーは少しだけ表情を緩めて前向きに話を進める。
「とても耳寄りの情報を得ましたの。八時間ダイエット、というらしいのですわ」
痩せる未来を想像して上機嫌に話すアイリー。
彼女が目を付けたのは、八時間ダイエットいわゆる十六時間断食とも呼ばれるダイエット法だ。
朝食から八時間以内に一日の食事を済ませ、残りの十六時間は間食さえも取らずに消化に費やすことで脂肪燃焼を促す、という理屈だ。
アイリーから話を聞いたカティアが疑わしげな目を向ける。
「アイリー様、そのような情報はどこから仕入れて来られるのでしょうか?」
痩せて欲しくないカティアは、どこぞの誰が可愛いお嬢様に知恵を吹き込むのだと内心怒りさえ感じている。
カティアの若干に棘を含んだ口調にアイリーは誰かを庇うでもなく微苦笑した。
「別に特定の人に教えてもらったわけではないんですのよ。ただクラスでそういうお話をされてる生徒がいて、たまたま小耳に挟んだだけですわ」
「あまり世俗の与太話に感化されてはいけませんよ」
カティアが諫めるが、アイリーは確固たる態度で首を横に振る。
「カティアの心配はわかるけれど、わたくしの意思で決めたことなの。きちんと考えた上で試してみることにしたのよ」
「そうでございますかアイリー様。差し出がましい忠言、申し訳ありません」
ご意思を邪魔する発言だったと自責するカティア。
アイリーは心配を完全に払拭させるように朗らかに笑い掛ける。
「カティアの気配りには感謝しているわ。もしも見るからにわたくしの体調が悪そうだったら、すぐに止めてちょうだい。カティアとハルヤにはわたくしの無理を止める権限を与えるわ」
カティアだけでなく執事のハルヤにも制止の権利を委ねる。
ハルヤはカティアに倣い頭を下げる。
「かしこまりました。それでは我々の判断でお嬢様の行動を止めるかもしれませんがご容赦ください」
「よろしい。では早速、二人にも八時間ダイエット中の日程を練ってもらうわ」
「お任せください、アイリー様」
「お嬢様のご要望に沿えるよう精進いたします」
結局ダイエットに意欲を燃やすアイリーには逆らえず、カティアとハルヤはアイリーの意見を取り入れながらダイエット計画を煮詰めたのだった。
夜が深まり邸宅内の夜警以外が寝静まった頃。
ハルヤの執事室にまたしてもカティアが訪れ、お嬢様ダイエット阻止にむけての談合が交わされていた。
「まーた、アイリー様のダイエット宣言が出たわね」
丸テーブルで頬杖をつきながらカティアがぼやいた。
真向いに座るハルヤがテーブルに広げた八時間ダイエットの時間割表からカティアへ目を移す。
「お嬢様は物凄く真剣に考えておられたからな。半端な作戦じゃこの時間割は崩せないんじゃないか」
「アイリー様の真面目なところは従者として尊敬するけど、今回に関しては感心してばかりもいられないのよね」
「このまま時間割に従っていたらお嬢様は痩せてしまわれるからな。コルセットで無理やり締め付けて制服を着るお嬢様が見られなくなってしまう」
「本当にどうするのよ。時間割通りにしないと下手したら忠義心を疑われるわよ」
ダイエット阻止はアイリーに怪しまれないのが大前提だ。露骨に阻害する挙に出ればアイリーの信頼が揺らぐのも懸念された。
カティアの言葉を受けてハルヤは腕を組んで慎重に答える。
「お嬢様は賢いお方だからな、怪しい動きをすれば見逃さないだろう。お嬢様に絶対に気づかれない作戦を練らないといけない」
「そうはいっても前回のようにはいかないでしょ。アイリー様の食するものは調整できても時間は操作できないじゃない」
「……今回は難題だな」
ハルヤは高い壁を感じたように本心で呟いた。
二人の知恵をもってしても中々に良案は浮かばない。
それでも話しているうちに議論は進み、さまざまな作戦が二人の間に共有されていく。
時間外に甘いお菓子で誘惑するとか、食事の量をかさ増しするとか、試作品と称して食べてもらうとか、実行できそうなアイデアは出た。
だがダイエット阻止の段階まで検討すると、目標達成が困難であることにも気づかされてしまった。
アイリーが甘い誘惑に弱いことは二人とも承知しているが、微々たる量ではダイエット効果に抗しきれない。
膝を叩くような良案が出ないまま時間だけが過ぎていき、途中で開けたワインボトルも空になってしまった。
明日の起床時間が気になり始めたカティアが部屋の中で時計を探す。
「そろそろ寝ないと明日の奉公に支障をきたすわよ。時計どこ、今何時?」
「時計か。そこに……うん?」
暖炉上に置いてある時計を指差したハルヤは一目で時計に違和感を覚えた。
短針の位置を見つけて違和感の正体を知る。暖炉上の置時計は故障のせいか完全に止まっていた。
「時計動いてないな。また修理しとかないと」
執事という職務上、朝は決められた時刻にアイリーを起こしたり、食事の支度をしたり、学園の授業終了に合わせて迎えに上がったり、いろいろな場面で正確な時刻の把握が不可欠だ。
そのため時計の点検や修理も専門にしているほどではないが多少の知識を持っている。
「よかったわね、この時間に気が付いて。昼間だったらアイリー様のお迎えに遅れて、ハルヤどうして遅れたのって問い詰められて大変だったわよ」
同情を含んで笑い話にするカティア。
ハルヤはカティアに笑ってから修理のために椅子から立ち上がった。念のために執事服の内側に持ち歩いている懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認する。
「零時十四分か。たしかに就寝しないと明日の奉公に影響が出そうだな」
カティアに共感しながら暖炉上の置時計の修理を始めた。
無言で置時計内部の竜頭を回す。
何の気なしにカティアはハルヤの修理する姿を眺め、ひとまず話し合いを終えるために水を向ける。
「さすがに私も部屋に戻って寝ないといけないわ。実行はできないにしても有力な作戦を絞っておかない?」
「作戦の最終決定はまた明日か。仕方がない、カティアがとりあえずの答えを出してくれ」
時計の修理に意識を向けているハルヤは、カティアに一時決定を任せた。
しばしカティアはいくつかの作戦案を頭に浮かべて考えた後、比較的に成功の確率が高い作戦を答えようとした。
だが急にハルヤが世紀の発見したように目を見開き、カティアは訝しげな視線を送る。
「どうしたの、時計直らないの?」
「時計は正常に動かせる。そういうことなんだよ」
「は?」
一人で合点するハルヤに、カティアは疑問符を浮かべた顔で聞き返した
ハルヤは笑い出したいような表情でカティアを向き直り、驚きの理由を打ち明ける。
「時間は操作できなくても、時計は操作できるんだよ。わかるか、この意味が?」
「ええと、時間は概念的なものだけど、時計は物理的なものよね。それは当然でしょ……ああっ!」
カティアはハルヤの着想に思い至って驚愕の声を上げた。
興奮気味に共感の笑顔を見せる。
「あなたの考えてることが分かったわ。時間割の通りにアイリー様が行動するなら、時間の確認に使う時計そのものを狂わせてしまえばいいんでしょ?」
ハルヤはほくそ笑む。
「そういうこと。お嬢様にバレないように、っていう条件付きだけどな」
「たとえ条件付きだとしても、これまでに思いついたどの作戦よりもだいぶ成功率も危険性も低いわ」
「それならば時計を遅らせる作戦でいこう」
二人の脳内でのシミュレーションが一致し、互いに手でも取り合いそうに声を弾ませる。
生き生きとした瞳で見つめ合い、作戦が決まった安堵で次第に二人の顔は緩んでいった。
「詳細については明日お嬢様を起こす前に考えるとしよう。それでいいか?」
「ええ、了解。じゃあ今日のところは寝ましょうか」
安心して眠りに就けると確信したカティアはハルヤを促してから、テーブルを離れて執事室の出入り口へと足を向けた。
執事室を出る間際、ひらひらと手を振る。
「明日は健闘を祈るわ。おやすみ」
「ああ、そちらも健闘を祈る」
ハルヤが返事ついでに掌を向ける。カティアは執事室を後にした。
カティアが部屋から出て行くのを見届けてから、ハルヤはダイエットに失敗するアイリーを想像して頬を弛緩させる。
「お嬢様の可愛い姿が末永く見られんことを」
思惑を知らない人からしたら忠義の篤さを感じるだけの祈りを唱えてから、ハルヤは心置きなく寝付いた。
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