運動しますわ3

 ダイエット計画立案から一夜明けたこの日、邸宅敷地内の庭でハルヤとカティアは諸々の支度を進めていた。

 二人のもとへ学園指定の新品の体操着に身を包んだアイリーが楚々と歩み寄ってくる。


「ハルヤ、カティア、きちんと着替えてまいりましたわ」


 準備万端のアイリーに、ハルヤとカティアは支度の手を止めて笑い掛ける。


「お待ちしてましたお嬢様。もしも体調が優れない場合は自分たちへ遠慮せずに申告してください。対応いたしますので」

「アイリーお嬢様、こちらの準備は整っております。今すぐに始められますか?」

「ええ、すぐに始めるつもりよ。やろうと思った時に行動しないと踏ん切りがつかなくなりますもの。それで最初は準備運動だったかしら?」


 運動メニューの表を頭の中で思い出したアイリーに、カティアは優しい笑みで応じる。


「仰る通りです。急に身体を動かすと筋や関節を痛めやすいですから、しっかりと事前に身体を伸ばしておきましょう」

「やり方がわからないわ。カティア、一緒にやってちょうだい」

「もちろん。それではお手伝いさせていただきます」


 学園にも体力向上のために運動の機会はあるのだが、アイリーのような名門貴族の者となると自主性を重んじられて参加は本人次第になる。

 コルセットのせいで他の人より息苦しいアイリーが運動に参加することはなく、体操着は今回初めて着用した。

 なのでアイリーが健康のために身体を動かすのは、だいぶ久しぶりとなる。

 カティアに手伝ってもらいながら柔軟などの軽い運動を終えると、早くもアイリーの額には汗が浮き出してきた。


「身体が暖かくなってきたわ。運動というのは思ったよりも大変なのね」

「そのうち慣れてまいりますよ、アイリーお嬢様。適度に汗をかいたらお飲み物もきちんと用意しておりますので、喉が渇いた際はお声がけください」

「よく気が回るわねカティア。助かるわ」


 ハルヤとカティアの思惑など知らぬアイリーはメイドの気遣いを褒めた。

 カティアは一人で準備運動を終えたハルヤとこっそり目配せして、水分補給の口実作りに成功したことを互いに合点する。

 ひと呼吸挟んで汗が引いてきたアイリーが、コルセットを着けていない腹部を覗いて身体の輪郭を隠すように張り付いた体操着を緩めてからメイドへ視線を戻す。


「それでカティア、次はなんだったかしら?」

「ジョギングでございます。私たちも後ろから着いていきますので、安心して庭園内を周回ください」

「二人が同伴してくれるのなら心配はいらないわね。それじゃジョギングを始めるわ」


 初日でまだまだ意欲に満ち溢れているアイリーが、先頭を切って庭の周縁を巡る道を駆け出していった。

 アイリーが走り出してから、ハルヤとカティアは事前に用意しておいた甘い飲料水の入った鉄製の水筒を首から提げる。

 二人は並走しながらアイリーへ追いついていく。 

 カティアは走りながら水筒を手に取りハルヤへ尋ねる。


「この水筒の中って水じゃないんでしょ。よく探してきたわね」

「まあな。作戦を考えた後にこの飲み物の存在を思い出したんだよ」


 ハルヤは自慢するでもなく答えた。

 彼がダイエット阻止のために用意した甘い飲み物の正体は、オレンジの名産地でしか作られないとされているジュースだった。

 原産地ではオレンジの果汁を絞っただけの渋みの残る味わいだが、カティアとハルヤの手によって砂糖を加えて煮詰めなおし、お嬢様が好みそうな甘い味へと作り変えられた。

 もちろん液体中の糖質が過剰に増えているわけで、とてもダイエットしている人間が飲む代物ではない。

 運動後の水分補給でこんな砂糖たっぷりのドリンクを飲めば、結果は目に見えている。

 同伴してくれるはずの従者二人の足が思ったよりも遅いからか、アイリーが足を止めて二人の方へ振り返った。


「カティア、ハルヤ何してるんですの。着いてきてくれると言ったはずですわよ」


 アイリーの不満そうな声に、カティアとハルヤは慌てて足を速める。


「ごめんなさいアイリーお嬢様。今すぐ追いつきますので」

「ただいま参ります、お嬢様」


 カティアとハルヤは話を打ち切り、急いでアイリーのもとへ駆け寄った。

 この後アイリーは息切れしながらも当初のメニュー通りに運動をこなし、無事にダイエット一日目は過ぎたのだった。


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