盗んだものはお嬢様の秘密だった4

 アイリーはハルヤが昨夜見た時のように、抜群のプロポーションに細身のドレスが似合っている。


「カティア。その方と少しお話がしたいのだけれど構わないかしら?」


 アイリーはメイド越しにハルヤを見ながら希望した。

 カティアと呼ばれたメイドは、主従関係上断れずハルヤとアイリーが相対できるように壁際へ退いた。

 ハルヤが手足を縛られて抵抗できないと察しているらしく、アイリーは臆せずにハルヤとの距離を詰めると俄かにしかつめらしい顔で口を開く。


「あなた、わたくしのクローゼットに入って何を盗むつもりだったの?」


 侵入者に対して至極当然の問いかけをする。

 ハルヤはこの後に及んで嘘をついても仕方ないと割り切る。


「アイリー・コルセリートご令嬢が信頼しているお付きの者しか通さない部屋があると聞いてな。その部屋に何が秘蔵されているのか確かめ、盗み出す次第だったんだ」

「それで実際に何か盗み出したのかしら?」


 アイリーは真っすぐに見つめて問いを重ねた。

 令嬢の視線に応えてハルヤの方も正直になる。


「いや、何も。金目のものを探す前に捕まったんだ」


 ハルヤの返答にアイリーは見定めるような間を置き、カティアを振り返る。


「カティア、この方は正直者ね。押し黙ることもないし、わたくしに憎らしい目も向けない。どうやら観念しているようだわ」


 アイリーの満足さえ感じているような口調に、カティアというメイドは不安の混じった視線を返す。


「しかしアイリーお嬢様。この方はコルセリート家に侵入した盗賊。危険を孕んだ者相手にそのような即断をなさってもいいのですか?」


 カティアの進言にアイリーは皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「あなたが言えた口かしら、カティア?」

「……仰る通りです」


 痛い所を突かれたようにしゅんとしてカティアは言葉を受け入れる。

 アイリーはもう一度ハルヤに向き直り、厳しい表情を作った。


「あなた、ミカグレの団員ですの?」

「そうだが、なぜ知っている」


 アイリーの問いかけに首肯しつつも、すぐさま聞き返した。

 盗賊団など令嬢の華やかな世界とは無縁のはずだ。しかしハルヤの目の前に立つアイリーは確信ありげにハルヤの正体を言い当てた。

 ハルヤの質問にアイリーは穏やかに微笑む。


「ミカグレの規律も聞いて知ってるの。任務に失敗した者は団員の資格を失い、組織

に重大な損害を与えた場合は処刑対象になるのでしょう?」

「……そんなことまで」


 言葉とは裏腹のアイリーの落ち着いた口調に、ハルヤは驚きとともに諦念に似た感情を抱いた。

 アイリーの言葉通り任務に失敗した団員は処刑対象になり得る。

 そして今のハルヤは処刑対象に当てはまってしまう存在なのだ。

 ミカグレの判断全てはミカグレ盗賊団の統領に委ねられている。ハルヤの命は統領の判断次第だ。

 ハルヤは切に処刑対象にならないことを祈った。組織に損害は及ぼしていない、殺されはしないはずだ。

 自分の内側で葛藤するハルヤを見つめてアイリーが気の毒そうな瞳を向ける。


「わたくしはあなたがどうなるかの処遇も承知しているわ。その上でわたくしの話を聞いてくれるかしら?」

「……なんだ?」


 訳が分からず聞き返すハルヤ。

 アイリーは睨むようにハルヤを見る。


「あなた、わたくしの秘密を知ってしまったのでしょう?」

「秘密って、あの、体型を……」


 答え掛けると、アイリーがハルヤの声を遮るように手を突き出す。


「みなまで言わなくて結構。間違いないですわ、あなた見ましたわね?」


 確信を持って訊いているのだと察したハルヤは黙って頷いた。

 ハルヤの反応を見てからアイリーはカティアへ振り向く。


「秘密を知ったこの方を生きて帰すのはわたくしの名誉に関わると思うのだけれど、カティアも同じ考えかしら?」

「ええ、同じく。アイリーお嬢様の秘密を知った以上、放置するわけにはいきません」


 従者らしく濁りなく答えた。

 カティアの賛同を得て、アイリーはハルヤへ顔を戻す。


「このまま在野へ生きて帰すつもりはないわ。万一にも秘密が漏れることがあってはならないもの」

「好きにしろ」


 残酷よりも温かさを感じるアイリーの口調に疑問を抱きながらも、言葉通りにハルヤは生きて帰ることはできないのだと悟った。

 どっちにしろ任務を失敗した時点で俺は終わっていた。

 死を覚悟して目を瞑る。


「ふふっ、死を悟るには早いわ」


 アイリーが可笑しそうに言った。

 耳障りな令嬢の笑みにハルヤは閉じていた目を開く。

 目の前には仕方なさそうに口元を緩めたアイリーの姿があった。


「なんだよ?」

「あなた、死にたいのかしら?」

「……死にたいとは思わないが、生きて帰す気はないんだろう?」

「そうよ。でもあなたを殺すとは明言していないわ」

「どういうことだ?」


 尋ね返すハルヤに、アイリーは威厳を湛えた表情になって見つめる。


「あなたに命を与えます」

「……」

「わたくしの執事におなりなさい」

「……はぁあああああ?」


 聞き捨てならない下命にハルヤはポカンと口を開き、開いた口が閉じなかった。

 対してアイリーは呆れたような顔で眉を寄せる。


「はあああああ、じゃありませんわよ。執事におなりなさい、と命を下したのよ。何か答えなさい」

「いや、執事……は、なんで?」

「わたくしの命に従えないと言うのなら、縛ったまま重りを付けて池にでも落としても構いませんのよ?」


 作ったような残忍な瞳でハルヤを睨みつける。

 アイリーの予想だにしない命令にハルヤは頭が混乱していたが、一つだけ理解できた事実があった。


 俺は命拾い、しかけている。


 目の前の令嬢の慈悲なのか、はたまた計画があっての命令なのか、令嬢の心中は計り知れない。だが命が助かる道が出来たのは確かだ。


「早く答えなさい。本当に池に沈めてしまいますわよ?」

「……お嬢様」


 ハルヤは決心して、慣れない呼称を舌へ乗せた。

 顔を斜め上に傾かせて主人としての威厳を見せるアイリーに、ハルヤは縛られた状態で精一杯にこうべを垂れる。

 任務に失敗した盗賊のまま死ぬより幾分もマシだ。


「この度よりお嬢様の執事を仰せつかることになりました、ハルヤ・スタルツェでございます。以後お見知りおきを」 


 馴染まない謙譲語で名乗った。

 アイリーは黙ってこうべを垂れるハルヤを見下ろし、しばらくして嫣然と微笑んだ。


「ぎこちないけど合格よ。顔を上げなさい」

「はい、お嬢様」


 命令されているのにハルヤの胸には一切の不快感もなかった。

 盗賊としては幕を下ろしたハルヤの人生を、執事として二回目の人生を歩ませる猶予を与えてくれた。

 どんな未来が待ち構えていようと、死んでしまうよりか余程幸運じゃないか。

 今までにない不思議な感覚を味わうハルヤに、アイリーは端然と佇んだまま視線を据える。


「これからよろしく頼むわね、ハルヤ」

「光栄です、お嬢様」


 恭しく返事をしながらハルヤの胸の内に忠誠心とは違う感情が湧いてきた。

 目の前で主人としての威厳を示す美しき令嬢アイリー、昨夜目撃したちょっぴり福々しい体型のアイリー。

 二つのアイリーが脳内に浮かび、ハルヤは顔が緩んでしまいそうになる。

 プロポーション詐欺するお嬢様、可愛すぎないか。


「ハルヤ。明日から早速執事として働いてもらうから、覚悟しておきなさい」

「承知しました、お嬢様」


 ニヤニヤを隠すために再度こうべを垂れる。

 いろんな意味で健気で可愛すぎるお嬢様に仕えよう、と誓った。




 今になって思い出しても、人生の転機になったあの時の脊髄に電撃が走ったような尊さは忘れることが出来そうにない。

 頭の中でハルヤが回顧していると、アイリーを送り出して空いた後部座席に腰掛けるカティアがとろけたような顔でハルヤを見る。

「今日もアイリーお嬢様はご学友と過ごしながら、コルセットが露見しないことを心の中で祈ってらっしゃるのかしら?」

「だろうな」

「あぁー、アイリーお嬢様ったら尊い。尊死しちゃう」 

 アイリーお付きのメイドであるカティアはハルヤと同じく秘密を知っている。そしてハルヤと二人だけのお嬢様ダイエット阻止委員会の同志でもある。

 さらにはハルヤとは元同業者、つまりメイド以前はミカグレで盗賊をやっていた。ハルヤと同様にコルセリート家に侵入して捕まり、アイリーの慈悲でメイドとして仕えることになった経歴を持つ。

 ハルヤは執事として働き始めた初日にカティアから素性を聞かされ、アイリーお嬢様がミカグレの内情に詳しいことに納得できた。

「邸宅に着くまでには、その顔をもとに戻しとけよ」

 ハウ矢が顔が緩みきったカティアに釘を刺す。

 カティアは後部座席から皮肉な目でハルヤの顔を見返した。

「そういうあなただって、顔がニヤけているわ」

「……自分にも言ってるんだ」

 言い訳して運転に集中するフリで顔を引き締めようとする。しかし一度緩んだ表情を強張らせるにはもう少し時間が必要だった。

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