第15話 隠されていること
お互いが落ち着くのを待ってから、ユレンはこれまでのことをレイトリーンたちに打ち明けた。なぜか妖精も同席している――というより、一行の周囲を飛び回っている。
すべてを聞き終えた王女と護衛は、しばらく沈黙していた。だが、エイヴァが耐えかねたとばかりに拳で膝を叩く。
「あの男っ……! 陛下やリーン様を侮辱したばかりか、神聖な森でそのような蛮行を……!」
怒りに震える声は、そこで途切れた。歯を食いしばったエイヴァはしかし、ユレンたちの視線に気づくと深呼吸する。
その隣では、レイトリーンがうつむいて、絡めた両手を見つめていた。
「ターレス……どうして……」
草葉の音色にかき消されそうな声だ。そしてレイトリーン本人も、今にも消えてしまいそうに見えた。
「ごめんなさい。リーンさんたちのところに連れてきたかったんだけど、逃げられちゃった」
ユレンがぽつりと言うと、二人は一斉にそちらへ視線を向けた。王女がわずかに身を乗り出す。
「謝らないでください。むしろ……お詫びしなければならないのは、わたくしの方です」
レイトリーンはその場で深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、ユレン様。わたくしの護衛が、とんだご無礼をいたしました」
ユレンはぎょっとのけぞった。もちろん、レイトリーンは彼の反応を知らぬままに続ける。
「わたくしが罪を償います。〈翡翠竜〉様に突き出すなり、この場で処分なさるなり、ユレン様の望むようになさってください」
「ちょちょ、ちょっと待って! 落ち着いてよ!」
ユレンは顔の前で激しく両手を振る。慌てて放った言葉は思いのほか森に響き、旋回していた妖精が飛び上がった。レイトリーンも、そこでようやく頭を上げる。
「なんでそういう話になるんだよ! リーンさんがやったわけじゃないでしょう!」
「いいえ。護衛の失態はわたくしの失態。王族たるわたくしの責任です」
レイトリーンは激しくかぶりを振った。言葉はほとんどささやきだったというのに、血を吐くような凄みがある。ひるみ、困り果てたユレンは、視線でエイヴァに助けを求めた。しかし、彼女も目を閉じて押し黙ってしまっている。
さんざんうろたえた末、ユレンは懸命に言葉を絞り出した。
「あのね。おれは二人に、無事〈
王女と護衛が目を見開く。
ちゃんと伝わっているだろうか。ユレンはふにゃりと笑って頬をかいた。
「責任を取りたいというのなら、一緒に〈神樹〉まで行こう。〈翡翠竜〉に会って、しっかりお話しして。それが今回のリーンさんの仕事なんでしょう?」
「……よろしいのですか?」
「いいに決まってるじゃないか。リーンさんは試練を乗り越えたんだから」
試練、という言葉に反応したのか、妖精がユレンたちの目の前まで下りてくる。腰に手を当てた彼女とユレンを見比べて、レイトリーンは唇を震わせた。両目がわずかに潤んでいる。不思議と、薄暗い森の中でもそれがわかった。
『ユレンの言う通りだぜ』
それまでふてくされたように丸まっていたカシューが、のっそりと起き上がる。
『王女サマよ。心がけは立派だが……そもそも今回の護衛は、おまえさんが選んだのか?』
「い、いえ。護衛の選定を行ったのは、父と騎士団長です。わたくしは、できればエイヴァをつけてほしい、と希望を伝えた程度で……」
『なんだ。それなら、一番に責任を取るべき奴は別にいるじゃねえか。おまえさんがそこまで気に病む必要はねえよ。パトリックの坊やは、
カシューはあくび交じりにそんなことを言う。唖然としている王女と護衛を見た彼は、いつもの調子でひげを動かした。
『王にこのことを伝えてもらうためにも、おまえさんたちには生きて帰ってもらわにゃなんねえ。そうじゃないと、ターレスも野放しになっちまう。それじゃあ、俺っちの腹の虫はおさまらねえぜ』
〈竜の耳〉は、ふん、と鼻を鳴らす。相棒を見下ろしたユレンは「もう、カシューってば」と唇を尖らせた。
一方、顔を見合わせたレイトリーンとエイヴァは、何やら力強くうなずいている。かと思えば、ふたりに向き直って低頭した。
「わかりました。当初の予定通り、〈神樹〉に向かいます。ご寛容なお心遣いに感謝いたします」
「そんなに堅苦しくしなくていいよ。……おれも一緒にがんばるから、よろしくね」
苦笑したユレンはしかし、ふと表情を改めた。ターレスに関して、思い出したことがあったのだ。
「そういえば、二人とも。ターレスさんのジョウシってわかる?」
背筋を伸ばしたレイトリーンが、不思議そうにした。
「上司……ですか」
「うん。ターレスさん、言ってたんだ。『ジョウシの命令で護衛を演じていたけれど、〈神樹〉の手前まで耐えきれる自信がなかった』って」
レイトリーンが息をのんだ。エイヴァも、真剣な顔つきでユレンを見つめる。
「ターレスは誰かの指示で動いていて、〈神樹〉の手前で我々に何かを仕掛けるつもりだった、ということでしょうか」
「多分、そうだと思う。だからその、指示を出していた人が誰なのか、ちょっと気になるんだ。王様なわけがないし」
ユレンがそう付け加えると、護衛の女騎士は唇に指をかけて考え込んだ。
「ターレスの上司――上官といえば、歩兵部隊の隊長ですが……」
「彼がそのような指示を出すとは思えません」
レイトリーンがおずおずと言う。エイヴァも「私もそう思います」とうなずいた。
歩兵部隊の隊長は豪快な人物で、卑怯なことが大嫌いなのだという。王族に対しても敬意を払っていて、とても暗殺や公務の妨害を部下に命じるとは思えない、ということだ。
ユレンも首をひねった。
「じゃあ、誰なんだろうね」
『こんなことをやるとしたら、王女サマのことを鬱陶しく思っている、またはパトリック王を邪魔だと思っている奴だよな』
カシューが頬を押しながら呟いた。どうやら、頬袋の中のものを出しているらしい。彼の言葉を聞いて、レイトリーンとエイヴァが再び顔を見合わせた。明確な答えは出ないようだが、レイトリーンの方がまばたきする。
「そういえば……ターレスが今回の護衛に決まったとき、知らせにきてくださったのが、なぜかザニーニ大臣だったの」
「なっ――」
エイヴァがうめいた。ユレンは少し顔をしかめる。
「誰だっけ、それ」
『内務大臣だな。偉い奴にゃ違いねえが……護衛選びに関わってない奴が、なんでいきなりしゃしゃり出てきたんだか』
「今回の〈
カシューに便乗するように、エイヴァが付け加えた。やや気まずそうである。
「王族の中で一人だけ魔法が使えないリーン様に思うところがおありのようで、普段は非常に嫌な……失礼、厳しい態度なのですが」
『それが今回は王女サマを推薦したって? 怪しい臭いがプンプンしてんな』
カシューの歯に
『じゃあじゃあ、そいつが黒幕なんじゃない?』
妖精がなぜか楽しそうに口を挟んだ。空気がわずかにひび割れる。
飛び回る妖精をながめて誰もが沈黙する。その中で、王女が軽く咳ばらいをした。
「いえ。証拠もないのに疑うのはよくありません。『上司』の件は父……陛下に調べていただきます」
『ま、それが堅実だろうな』
溜め込んだご飯を食べながら、カシューが答える。それで、場の空気が少し緩んだ。
気が付いたらかなりの時間が経っていたので、妖精の住処であるティーネの泉のそばで野宿をさせてもらうことになった。
彼女も地霊も水霊も、一行に好意的だ。森の中で少しでも快適に過ごせるようにと、結界を張ったり食べられる木の実の場所を教えてくれたりした。ユレンとエイヴァが彼らの情報をもとに食べ物を集める。その間、カシューにはレイトリーンのそばについていてもらった。
エイヴァがユレンの火おこしを手伝って、なんとか焚火を作ると、一同はそれを囲んで再び向き合う。意識したわけではないが、話題はまた元護衛にまつわることになった。
「ひとつ、気になったことがあるのですが。申し上げてもよろしいでしょうか」
スモモに似た果実を恐る恐る口にしてから、エイヴァが切り出した。レイトリーンが「もちろん。何かしら」とうながすと、彼女は一礼して続ける。
「ターレスはなぜ、案内人殿を狙ったのでしょう」
ユレンはぎくりとして、食事の手を止める。彼の内心を知らないレイトリーンが、首をかしげた。エイヴァは淡々と言葉をつなぐ。
「元々、奴は我々に対して何かを仕掛けるつもりでいた。しかし、実際には案内人殿を脅して〈翡翠竜〉様のもとへ案内させようとした。どうして心変わりしたのか、私には不思議なのです」
「言われてみれば……」
レイトリーンも深刻な表情になる。
ユレンは思わずカシューの方を見たが、今の彼は丸まっていた。起きているようだが、口を挟むつもりもないらしい。しかたなく、ユレンは自分から手を挙げた。
「えっと、それはね。ターレスさん、おれと〈翡翠竜〉が特別な関係なんじゃないか、って思ったらしいんだ。もしそうならおれを利用した方が早い、って考えたみたい」
そういう切り出しで、ユレンはターレスに問い詰められたことを語った。聞き入っているレイトリーンのかたわらで、エイヴァが厳しい表情をする。
「正直、私もそれらの点は不審に思っていました。いくら案内人とはいえ、貴殿は森の者たちと親しすぎる」
「ふ、不審……そっか……」
辛辣な本音を聞いて、ユレンは頬を引きつらせる。不審者扱いは、さすがに落ち込みそうだ。しかし、勝手に落ち込んでもいられなかった。
「泉の妖精にしてもそうです。まるで――我が子か弟のように、貴殿に接しているでしょう」
エイヴァとレイトリーンは、泉の方を見る。澄んだ水の上に、ドレスをまとった少女の姿はない。彼女は少し前に『ヤーデルグレイスのところに行ってくるわ』と飛んでいった。
エイヴァが表情を引き締めて、ユレンを見据える。
「いい機会ですから、こちらからお伺いします。貴殿と〈翡翠竜〉様はどういったご関係なのですか」
ユレンは困り果てた。視線をさ迷わせたあげく、丸まっているねずみの背中をつつく。
「ど、どうしよう、カシュー。話しちゃっていいのかな」
『……まあ、仕方ねえだろ。主のところに行ったら、どうせばれちまうだろうし』
つつかれた方は、面倒くさそうにしつつもそう呟く。うなって頭をかいたユレンは――観念した。呼吸を整え、二人の方をまっすぐに見る。
「あのね。落ち着いて聞いてほしいんだけど」
「はい」
王女と護衛の声が揃う。ユレンは、二人からわずかに視線を逸らして、焚火を見た。薪が音を立てて爆ぜる。
「〈翡翠竜〉――ヤーデは、おれのお父さんなんだ」
声は穏やかに響いて、真っ赤な火に溶け込んだ。
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