第4話 護衛たちと〈竜の耳〉

 翌日、一同はユレンの家のそばで待ち合わせた。そこが森に近く、かつ人目につきにくいからだ。


 ユレンはいつも以上に早起きし、ヴィゼムの店まで「追加料金」を届けた。それから家に取って返し、改めて身支度をする。いつもの装備に加えて、革の水筒と短剣を腰帯に吊るし、保存食や火おこし道具、厚手の布などを詰めた鞄を背負った。


 近場の地霊たちに言伝を残し、しっかりと戸締りをして家を出る。身の端を雲に隠した太陽に気づき、ゴーグルを下ろしたとき、道の先に人の集団が見えた。


 ユレンは、声を上げる代わりに手を振る。すると、集団の進む速度が上がった。やがて、淡い金色がユレンの目にも映る。


「ユレン様、おはようございます。本日はよろしくお願いします」


 今日のレイトリーン王女は、豊かな長髪を下ろしていた。帽子もかぶっていない。そうしているとずいぶん印象が変わる。ユレンは顔を輝かせた。思わず飛びつきそうになったが、昨日護衛の女性に注意されたことを思い出して、ぐっとこらえる。


「お、おはよう! えーと……」


 明るく返したユレンは、けれどそこで固まった。王女は不思議そうに目を瞬く。


「どうされました?」

「えっとね。あなたたちのこと、なんて呼んだらいいかなあって」


「ああ」と納得して両手を叩いたレイトリーンは、穏やかに笑う。


「わたくしのことは、今まで通り『リーン』とお呼びください」

「いいの?」

「もちろんです。……町の人々に王女と知られたら、騒ぎになってしまいますから」


 言葉の後半は、少しひそめられていた。目を丸くしたユレンは、それからいたずら小僧のように笑う。


「それもそうだね。わかったよ、リーンさん!」

「ありがとうございます。それと……護衛の二人もきちんと紹介していませんでしたね」


 レイトリーンは、付き添っている二人を振り返った。今日の二人は昨日と同じ外衣コートをまとっているが、頭巾はかぶっていない。女性の方が半歩踏み出した。その足音は、かたく鋭い。


「私たちはリーン様の剣であり、盾です。自己紹介など不要」

「そのようなことを言うものではないわ、エイヴァ。これから魔物がいるような森を案内していただくのよ。名前くらいは伝えておかないと、失礼でしょう?」

「それは……」

「それに、あなたたちはただの剣や盾ではないわ。大切なわたくしの護衛であり、父の臣下です」


 しとやかな少女は、冬の朝の空気のような声で、きっぱりと言い切る。護衛二人は呆気にとられたような顔をしたのち「恐縮です」と頭を下げた。


 ユレンたちはその様子をぽかんと見ていたが、レイトリーンに呼びかけられて我に返る。高貴な少女はふんわりと笑って、護衛たちを示した。


「改めまして、この二人がわたくしの護衛です」


 その言葉を受けて最初に口を開いたのは、男性の方だ。


「王国歩兵部隊のターレスです。よろしくお願いいたします」


 低く落ち着いた声が、丁寧な挨拶を紡ぐ。全体的に余裕を感じる立ち居振る舞いだ。ユレンは内心驚きつつも、いつも通り「よろしくお願いします」と返す。ダメもとで手を差し出してみると、ターレスはにっこり笑って握り返してくれた。


 ユレンは隣へ視線を滑らせる。女性が、不満げな空気をまといつつも、四角四面な礼をした。動作に合わせて小さな金属音が響く。


「王国近衛騎士、エイヴァと申します」


 ユレンは先ほどと同じように答えて、手を差し出した。エイヴァはその手を取らず、ぐっとユレンに顔を近づけてくる。少年は初めて、彼女の鋭い目を間近に見た。


「今回、私たちは案内していただく立場です。なので、森の中では基本的に貴殿の指示、意向に従います」

「あ、ありがとう――」

「ただ――王女殿下に無礼を働くのは許しません。まして、貴殿が殿下を傷つけるようなことがあれば、私は即刻その首を刎ねる。覚えておきなさい」


 刃のような音が、高い山のような圧力が、覆いかぶさってきた。ユレンは若干ひるみつつも「わかった」と答えを絞り出す。すると、それまで周囲の臭いをかいでいたカシューが顔を突き出した。


『はん。そっちこそ、口には気をつけろよ』

「なんだと?」


 小さなねずみの反抗に、エイヴァが眉を寄せる。ユレンとターレスが「まあまあ」と言ったが、険悪な空気は変わらない。もちろん、カシューも止まらなかった。


『ユレンや俺っちへの発言は、すべてヤーデルグレイスに伝わると思え。俺っちは〈竜の耳〉だからな』


 彼の口から飛び出た言葉に、王女一行が目をみはった。護衛二人が怪訝そうに頭を傾ける。


「〈竜の耳〉、ですか……」

「人の国に加護を与える竜は、人の国の様子をよく知るために、各地にしもべの動物を送る……。それが〈竜の目〉や〈竜の耳〉だといいます。話には聞いていましたが、実際にお会いするのは初めてです」


 思案するターレスのかたわらで、レイトリーンが目を輝かせる。尊敬のまなざしを受けたカシューは『ふふん。かっこいいだろ』と鼻先を逸らした。機嫌を直したらしい。


『俺っちは、各地で聞いたことを主に伝える〈耳〉の一匹だ。……まぁ、今はユレンにつきっきりだがね』

「だから、カシューも森に詳しいんだ。何か聞きたいことがあったら聞いてね」

「助かります」


 レイトリーンが恐縮したように答える。なんとなく打ち解けてきた少年少女を見ながら、カシューがひげを動かした。


『なんでも答えられるわけじゃねえからな。知っていても言えねえことだってある』


 その呟きを聞いて目を細めたのは、ターレスだ。


「もしかして、〈翡翠竜〉様のご加護が弱まった原因もご存知でいらっしゃる?」

『さあ? どうだかな』


 カシューはいつもの調子で、王女の護衛からの問いをかわす。そのつぶらな瞳から彼の心のうちを読むことは、ユレンにもできなかった。


 少年は小さく首をかしげる。けれど、それも一瞬のことだった。相棒が黙っているのには相応の理由がある。それを知っているから、今は詮索しない。めいっぱい息を吸うと、金属の杖を持ち直した。


「そろそろ出発しようか。ついてきて!」

「はい。不束者ではございますが、よろしくお願いします」

『……それ、使いどころが違くねぇか? 王女サマ』


 朝から元気な一行は、人目を避けつつ町を出る。――聖なる森は、まだ遠い。



 カロの町の東口と森を結ぶ道は、大きな街道のように整備されているわけではない。ただ、町の人々が日常的に行き来するため、人が通るのに不自由しない程度にはならされていた。


 名も知らぬ雑草のはざまから、スミレやタンポポが顔をのぞかせる。小さな虫や蝶々が、そのまわりを忙しなく飛び交う。春らしい光景を横目に、ユレンは杖で地面を叩きながら進んでいた。先端がかたいものに当たる。木の根だろう。ユレンは気合を入れて、それを大股で越えた。


 しばらくして、護衛に挟まれていた王女が踏み出してくる。


「ユレン様。昨日から気になっていたのですが……」

「ん? なあに?」

「そちらの杖や、ユレン様が身に着けていらっしゃる……仮面? は一体何のための物なのですか?」


 ユレンは両目をしばたたいた。遅れて質問の意味と意図を理解する。小さく笑って、杖を体の方に引き寄せた。


「この杖は、道の上に何があるかを確認するためのものだよ。そこの木の根っこみたいなものにつまずいて転ばないように使ってるんだ。とっても丈夫だけど、意外と軽いんだよ」


 なるほど、とレイトリーンが身を乗り出す。知的好奇心が顔じゅうに表れて、今にもあふれ出しそうだ。ユレンは苦笑して、ゴーグルを持ち上げる。


「これはね。仮面じゃなくて、まぶしくないようにしてるんだよ。道とかリーンさんたちの姿とかは、ちゃんと見えてるから安心して」

「まぶしくないように……そんな道具があるのですね」


 王女は、さらにユレンへと顔を近づけてくる。夜空を思わせる青い瞳に星の輝きが散っているようだ。ユレンは少々たじろぎつつも、きれいな人なんだな、と思って彼女を見ていた。エイヴァに怒られそうなので、口には出さないでおく。


 すでに顔をしかめているエイヴァの横で、ターレスが顎をなでた。


「確かに興味深いですな。町では聞いたこともない装備ばかりだ。一体何でできているのか、どのような仕組みなのか……」

「うーん……素材は貴重なものばかりらしいし、どうやって作ったのかはおれも知らない。人間の町では手に入らないものだと思うよ」


 ユレンはゴーグルの位置を直すと、杖を再び道につける。それで話は終わり、と察したのだろう。レイトリーンが申し訳なさそうに距離をとった。


 さらに、しばらく歩いたところで、外衣コートのポケットに隠れていたカシューが顔を出した。


『そろそろ目的地だぜ』

「うん――」


 元気よく答えかけたユレンは、けれど足を止める。


 地霊たちが騒いでいることに気が付いた。手のひらほどの老人、葉っぱのドレスをまとった少女、翡翠の輝きを持つモグラ。そういった、常人の目には見えない者たちが、叫び声をあげている。ある者は森の主の名を呼んでいた。そしてある者は――ユレンやレイトリーンに助けを求めているようだった。


「案内人殿? いかがなさいましたか」


 かたい声が響く。ユレンははっとして振り返った。エイヴァが、じっと彼の方を見つめている。探るような空気には気づかぬまま、ユレンは前を向く。


「……やっぱり、変だ」

「変、ですか。何がでしょう」

「〈翠蓋の森〉の様子が変なんだ」


 息をのむ音がする。


「前に来たときは、ここまでじゃなかったんだけど……」

「前に? 最近来られたことがあるのですか」

「うん。半月前くらいかな」


 半月前、とレイトリーンが繰り返した。彼らの疑念を背中で感じたユレンは、首をすくめて振り返る。


「森は恵みをいただく場所でもあるから、『浅い』ところにはよく入るんだ。おれだけじゃなくて、木こりさんや猟師さんも」

「な、なるほど。そのときは、おかしな感覚はなかったのですね?」

「少し気がしたけど、今日ほどではなかったよ。やっぱり森に……〈翡翠竜〉に何かあったんだ」


 四人と一匹の間に緊張が走る。薄氷のような空気を少年の声だけが揺らした。


「おれはあなたたちを〈神樹〉まで案内する。その気持ちは変わらない。あなたたちが行くのをやめると言わない限り、おれもやめないよ。でも、今の森の中には何があるかわからない。おれも知らないようなことが起きるかもしれない。……それでも、この先に行く?」


 地霊たちの声だけが響き、人間たちは沈黙している。地霊に気づかない人々にとっては、ただ居心地の悪い空間であろう。そんな中、まっさきに口を開いたのは、レイトリーンだった。


「……このまま、森へ参ります。『危険だから』というのは、使命を放棄する理由にはなりません」


 ユレンは思わず口もとをほころばせる。カシューも『へっ』と前歯を見せた。二人の護衛が礼をする。


「私も、最後までリーン様のお供をいたします」

「同じく」


 エイヴァが力強く言い切り、ターレスは言葉少なに同意した。それを聞いて、森の案内人はしかとうなずく。


「わかった。それなら、おれも全力で案内するね。――このまま行けば森に入れるから、もうちょっと頑張ろう!」


 彼が杖の先で地面を叩くと、ふっと空気がやわらいだ。「ユレン様」と後ろについたレイトリーンが声をかける。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」

「どういたしまして。森の案内人として、当然のことをしたまでだよ」


 ふわりとほほ笑んだ王女に、少年は胸を張ってみせる。不敬だ、と両目をつり上げたエイヴァを、ターレスが一生懸命なだめていた。

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