第3話 案内人とお姫さま

 ユレンが深刻な顔で黙ったことにより、商店前は張り詰めた空気に包まれた。ユレン自身はそのことに気づかぬまま、外から来た少女をながめる。


『くせえな、おい。二人も付き人を連れたお嬢様が〈神樹〉に何の用だ?』


 ポケットの中で、カシューが刺々しく呟く。ユレンは首をかしげた。町の人たちが囲んでいるのは、少女一人だけだ。


 何はともあれ、まずは話を聞くべきだろう。ユレンはひとりうなずいて、少女の方に踏み出した。


「初めまして、おれはユレンっていいます。お姉さんは、旅人さん?」


 いきなり声をかけられて、少女は面食らったようだった。けれど、すぐに気を取り直して背筋を伸ばす。


「目的があって、王都から参りました。……リーン、と申します」


 ずいぶんと丁寧な喋り方をする子だ。ユレンは、今まであまり出会ったことのない種類の人に感心しつつ、うなずく。


「よろしくね、リーンさん。ところで、目的って森の中心に行くこと?」

「はい」

「それは――〈神樹〉を見たいということ? それとも、〈神樹〉まで行きたいということ?」


 翡翠色の視線が鋭くなる。少女も町の人々も息をのんだ。よく似ているふたつの言葉は、まったく違う意味を持つ。


 少しの間息を詰めていた少女は、やがて意を決したように目を見開く。青い瞳がしかとユレンを見据えた。


「〈神樹〉のもとまで行きたいのです。いえ、行かなければなりません」


 玻璃はりを打ち鳴らすような声。そこにはためらいも迷いもなかった。ざわめく町民をよそに、ユレンは少し考えこむ。それから、杖で地面を軽く叩いた。


「ねえ、リーンさん。もう少し詳しい話を聞かせてくれない?」

「え……」


 少女は顔をこわばらせる。先ほどまでとは一転、戸惑いがちにうつむいた少女に、南の農家の奥さんが話しかけた。


「ユレンは〈翠蓋の森〉の案内人なんだ。森に行きたいなら、きちんと話を通しておいた方がいいよ。聞かれたくない話なら、あたしたちは聞かないから」


 奥さんの言葉は脅しでも誇張でもない。ユレンが町で一番〈翠蓋の森〉に詳しいから、ということで、外から森を見にきた人々の案内を頼まれることがあった。そう頻繁ではないのだが、毎度引き受けているうちに、森の案内人と呼ばれるようになったのである。


 少女は息をのんで、まじまじとユレンを見つめた。彼が笑ってうなずくと、彼女も覚悟を決めたようである。深呼吸してから、「わかりました」とささやいた。それに対して、ユレンは明るく答える。


「それじゃあ、静かなところに行こうか!」


 この一言が合図となった。つまり――この場での話はついた、ということである。


「やじ馬はここまでだな」

「そうだね。はいはいあんたたち、仕事に戻りな!」


 アウルスと農家の奥さんが手を叩いて、人々を追い払う。彼らが名残惜しそうに去っていくと、その二人もユレンに別れを告げて立ち去った。


 商店の扉が閉まるのを見届けてから、ユレンは少女を仰ぎ見る。


「じゃあ、行こうか。いい場所を知ってるから、ついてきて。近くにいる二人も一緒にね」


 あっけらかんと言うと、少女は目をこぼれ落ちんばかりに見開いた。


「気づいていらしたのですか?」

「んーとね。おれの相棒が先に気づいたんだ。おれは、相棒の言葉を頼りにちょっと耳を澄ませただけ」


 少女は唖然として、見慣れぬ物体を装着した少年を見下ろす。


「ちょっとって……彼らは気配を消していたはずなのに……」


 その声は、ほとんどささやきだった。なのでユレンには聞こえていなかった。正確には、少し聞こえていたが、独り言だと判断して流していた。


 体の向きを変えたユレンは、振り返って「こっちだよ!」と少女を呼ぶ。彼女は左手で帽子を押さえて、慌てた様子でついてきた。


 ユレンたちが向かったのは、中央通りから横の路地に少し入ったところにある、小さな酒場だ。昼間は大衆向けの食堂としても開いていて、扉の外ににぎやかな声が漏れていた。素朴な木の扉の真ん中で、犬をかたどった板が揺れている。そこには、大きな文字で『営業中』と書かれていた。


 しり込みした様子の少女をよそに、ユレンはためらいなく扉を開ける。小気味いい鐘の音が響き、人の声と熱気が押し寄せてきた。肉やイモや油の匂いが漂う中に、わずかながら酒精アルコールの香りも混ざっている。


「こ、ここは……」

「大丈夫。怖いところじゃないよ」


 おびえる少女に、ユレンはいつもの調子で片手を差し出す。少女はためらいがちにその手を取った。彼女の後ろから鋭い気配をまとった大人がついてきていることに、ユレンは気づいている。しかし、あえて何も言わなかった。代わりに、店内へ踏み込みながら息を吸う。


「おっちゃーん! ヴィゼムのおっちゃん、いるー?」

「いるに決まってるだろ!」


 すぐさま大声が返ってきた。


 店の奥、カウンターの向こうから、大柄な男がこちらをのぞいている。体を鍛えているのか、それとも長年の飲食業で勝手に鍛えられたのか、肩の筋肉が盛り上がっていた。黒い服に白いエプロンをつけた彼は、カウンターの前までやってきたユレンを見下ろす。


「おうユレン。珍しく大勢連れてるな。おめえの客か?」

「うん。地下の個室を使いたいんだけど、空いてる?」

「空いてるぜ。いつものごとく、追加料金だかんな」


 ヴィゼムは、太い指でカウンターを叩く。ユレンは天井を見上げてから、指を鳴らした。


にじ葡萄ぶどうの干したやつなんてどう? 一袋」

「おっ……おめえそれ、高級品じゃねえか!」

「前に森で採ったやつ、ようやくいい感じになってきたんだ」


 無邪気に語るユレンを見て、ヴィゼムは深いため息をついた。「いいだろう」と天板を叩く。


「四人……と一匹だな。案内するからついてこい」

「ありがとう! 追加料金は今夜持ってくるね」

「いや。明日でいい。夜道は危ないからな」


 ユレンは数度まばたきした後に「わかった」と答える。ヴィゼムは小さく手を振って、右側――階段の方へ足を向けた。


 地下へ続く階段を下りると、細い通路がある。四人が入れる個室は、奥から二番目にあった。その部屋を開けたヴィゼムは「自由に使え」と言い残して去っていこうとした。ユレンはとっさに呼び止めて、軽食と飲み物をいくらか注文する。


 今度こそヴィゼムが去るのを見届けて、四人は静かに席についた。ひりひりとした空気が漂う中で、ユレンがのんびりと口を開く。


「それじゃあ、お話の続きをしよっか。リーンさんは〈神樹〉のもとまで行きたいって言ってたけど……」


 対面の少女が肩をこわばらせ、左右についた大人たちが鋭い空気をまとった。大人たちは頭巾つきの外衣で全身を覆っているので、表情などはわからない。が、田舎町の少年を警戒していることは明らかだった。それでも構わず、ユレンは続ける。


「〈神樹〉のもとまで行けるのは、〈翡翠竜〉に認められた人だけだよ。それ以外の人が森の中心部に入るのは禁止されているし、そもそも入ることができないんだ。これは知ってる?」

「……ええ。存じ上げております。だからこそ、わたくしが行かなければならないのです」


 少女がかたい声で答える。ユレンは首をかしげた。ポケットの中でカシューが『面倒くせえ臭いがするぜ』とうめいたが、一旦流しておく。いきなりねずみと話し出したら、相手が驚いてしまうだろう。


 そんなとき、扉が叩かれた。給仕の娘が入ってきて、注文したものを並べてくれる。どぎまぎと一礼した給仕にユレンが変わらぬ調子でお礼を言うと、彼女は耳を赤くして退出した。とりあえずナッツを適当につまんだユレンは、咀嚼しながら三人の様子をうかがった。


 二人の大人はこちらを見ている、気がする。少女はわずかにうつむいていた。……そういえば、室内だというのに帽子をかぶったままだ。不思議に思ったユレンだが、自分もゴーグルをつけたままだったと思い出す。お互い様か、と声に出さずに笑ってゴーグルを外した。ナッツを飲み込むと、改めて少女に向き合う。


「どうして〈神樹〉に行きたいの? 話せるところだけでいいから、聞かせてくれない?」


 少年が穏やかに問うと、少女は消え入りそうな声で「そうですね」と言った。


「町のご婦人の仰る通りです。あなたが森の案内人だというのなら、きちんと事情を説明するべきでしょう」

「……リーン様!」


 ユレンから見て左側に座っていた大人が少女を見る。ユレンは目を見開いた。頭巾の下から発された声は、凛としていて高い、女性のものだったからだ。


 少女が女性を見上げる。


「このままでは、いつまでも話が進まないでしょう? それに、大丈夫。この方はきっと、信頼できるわ」


 木漏れ日のような声でそう言って。彼女は静かに帽子を取った。月光を編んだような淡い金髪がわずかにこぼれ落ちる。優しげな両目とすきとおった白い相貌があらわになった。


 わずかに身を乗り出したユレンに向かって、少女は丁寧に礼をする。


「改めてご挨拶させてください。わたくしは、ネフリート王国第二王女、レイトリーンと申します。こちらの二人はわたくしの護衛です」


 少女――レイトリーンの視線を受けた大人たちが頭巾をとる。左の人は雀の羽を思わせる赤茶色の髪を後ろでまとめ上げた女性、右の人は黒髪を短く切って額を見せている男性だった。


 ユレンは何度もまばたきして、三人を交互に見る。驚きに染まっていた顔が徐々に緩み、頬が赤く染まった。


「う……」

「……う?」

「――っわああ! 王女さま? 王女さまってことは、お姫さま?」


 甲高い歓声が個室に響き渡る。元々密談も想定してつくられた部屋なので、音が外に漏れる心配はない。王都から来た人々は、部屋の用途を察していても飛び上がりそうなほど驚いた。


 一方のユレンは、翡翠色の瞳を輝かせて頭を突き出す。急に近づかれた王女がわずかに身を引いた。


「おれ、お姫さまなんて初めて見たよ! すごいねえ、すてきだねえ!」

「あ……はい……ありがとうございます……?」


 レイトリーンは、ひっくり返った声でそれだけを返す。おびえているというよりは、少年の反応にただ戸惑っているようだった。


「不敬ですよ、森の案内人。レイトリーン様から離れなさい」


 見かねた女性がぴしゃりと言う。冷水のごとき声を浴びせられたユレンは「あっ」と固まった。


「ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃった」

「少し驚きましたけれど、大丈夫ですよ。気になさらないでください」


 申し訳なさそうにうつむいたユレンが、椅子に座り直す。対するレイトリーンはあわく笑った。その顔がほんのり赤くなっていることに、本人も少年も気づいていない。


「冷静に冷静に」と呟いたユレンは頬を叩く。本題に戻ろうと彼が口を開きかけたとき――ポケットから、杏色の毛玉が飛び出した。


『なるほど、第二王女か。そんならあるじに会うこともできるわな』


 王女と護衛が目をみはる。ユレンは、自分の肩にのぼっていく相棒を目で追った。


「カシュー」

『んでも、王の子がこそこそ来るなんて珍しい。パトリック王はおまえさんに何を指示したんだ?』


 肩に辿り着いたカシューは、そこから机に飛び乗った。三人の視線がしゃべる獣に集中する。中でも王女は、興味津々に彼をながめていた。続く言葉を予想して、ユレンは手を構える。


「えっと……しゃべる、ねずみさん?」

『誰がねずみだ! たとえ王女サマでも、ねずみ呼ばわりだけは認めねえぞ!』

「す、すみません!」


 案の定、カシューは毛を逆立てて怒鳴った。飛びあがった王女の両隣で護衛たちが眉を寄せる。しかし、先ほどのようにすぐさま口を出しはしなかった。彼らなりに、カシューに何かを感じているのだろうか。


「まあまあ。初対面の人にいきなりそれを言うのは酷だよ」


 少年は構えた手をそのままに相棒をなだめる。レイトリーンが、そんな彼をおずおずと見た。


「あの、ねず……この方はなんとお呼びすればよろしいでしょうか……?」

「カシューでいいよ。おれの相棒」

「わかりました。では……カシュー、さん?」


 呼ばれたカシューがふんぞり返る。ほっと息を吐いたレイトリーンは、咳払いして姿勢を正した。


「先ほどカシューさんがおっしゃった通り、わたくしは父の指示でこちらへ参りました。その内容は……『〈翡翠竜〉様にお会いして、様子を見てくること。可能であれば、異変の原因を取り除くこと』です」

「異変……?」


 気になる言葉を繰り返したユレンは、次の瞬間、息をのむ。カシューも目を細めた。


 一人と一匹の反応を見て、レイトリーンはうなずく。


「この春は王国全体で作物の出来がよくありません。そのことは、お二方も感じていらっしゃるのではないでしょうか」

「うん。今年は小麦も野菜も果物も、あんまり採れてない。それだけじゃなくて、草やお花もちょっと元気がないみたいなんだ」


〈翡翠竜〉ヤーデルグレイスの加護を受けたこの国で、ここまで明確な不作に陥ったことは今までないという。加えて、冬が寒すぎたとか暖かすぎたとか、そのような異常もなかった。当然、王や臣下たちは原因を探った。


「我々王族と宮廷魔法士は、〈翡翠竜〉様の加護が弱まっていることを突き止めました。そこで、わたくしが詳しい状況を探りに参ったのです」

「はあ~。王家の人たちが、ヤーデ……〈翡翠竜〉の力を感じられるっていうのは本当なんだねえ」


 ユレンはしきりにうなずく。ひたすらに感心している彼の横で、ひげを手入れしていたカシューがその動きを止めた。


『でもよ、そういうことなら普通は王や王妃が来るじゃねえか。王は何してるんだ?』

「父は今、王都から離れられないのです。食糧不足や民への対応で手いっぱいで……。兄も同様です」

『なるほどねえ。でも、おまえさんの上にはもう一人……』


 言いかけたカシューは、そこでまぶしいときのような表情をした。


『いや、あっちの王女サマは主とが合わなさそうだもんな。そのへんを考えての人選か』

「は、はい……そのようです」


 しぼんだ声で答えたレイトリーンは、少しうつむく。急に縮こまった王女を見て、ユレンは頭を傾けた。だが、その思考はすぐに〈翠蓋の森〉と竜のことへ延びる。


 春の不作。遠くなった森。極秘でやってきた王女。それらのことを重ねて、考えて――決断した。


「うん。そういうことなら協力するよ」


 王女と護衛たちがユレンに顔を向ける。六つの視線に臆することなく、少年は笑った。


「おれがあなたたちを〈神樹〉のもとまで案内する」


 レイトリーンが「えっ」と身を乗り出す。


「さすがに案内までは……そもそも、あなたは立ち入れないのでは……?」

「大丈夫。あのへんは、おれの家だから」


 ユレンは胸を張り、拳を叩く。カシューが『やれやれ』と呟いて彼の肩に駆け上った。


『いいのかよ? 絶対面倒なことになるぜ』

「王女さまを案内しないわけにはいかないでしょ? それに、おれだって〈翡翠竜〉様のことは気になるし」

『しかたねえな』


 少年がおどけて答えると、杏色のねずみは気だるそうに丸まる。今回は、止める気はないようだ。


 王女一行はしばらく唖然としていたが、一人と一匹の話が終わると我に返って何かを話し合う。そして、それが一段落すると、レイトリーンがユレンに向き合った。


「ご同行、お願いしてもよろしいでしょうか。……ユレン様」

「うん! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 かしこまった王女に対して、少年は無邪気に答える。彼が右手を差し出すと、彼女は表情をやわらげてその手を取った。

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